奈良時代、天武天皇の仏教による殺生禁断の説(674年)からもわかるように(食べるな、ということは食べていたということである)、食物としても私たちの近くにいた。
食べてもよし、愛でてもよし。ニワトリほど、万能な家畜はいないかもしれない。家畜の条件はこうだ。
「人間の飼養管理の下で繁殖が可能であり、人間の利用目的に適するような形質、能力をもつものに、人間によって遺伝的に変化させられ、そのような性質を子孫に伝えることができるもの。」(水間1982)
上記のように、家畜が人間の利用目的に適するような形質、能力を持つものであるとすれば、家畜はまた、時代の流れを顕著に現しているといえる。
すると、崇拝、闘鶏、食用と様々なかたちをとってきたニワトリの、一番新しい形態がプチコッコであるのならば、人間の動物への最たる需要は、ペット、すなわちコンパニオン・アニマルなのかもしれない。
プチコッコは部屋のなかで飼える。人なつこくはないものの、一般的なニワトリとはかわすことのできないコミュニケーション、撫でたり、しつけたりができる。専用のおむつをすれば、動物を飼う際の一番の悩みも無いに等しい。
人間の求めるかたちに常に作りかえられてきたニワトリは、それ自体がある意味でメディアとして動いている。今、ニワトリにまなざしを向けることは、決して無駄にならないはずだ。
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Posted by: Gulibulus at 2005年07月12日 02:33