2004年03月26日
「金閣寺」に便乗して
[引用 quotations]自分も昔、「金閣寺」を読みました。
「金閣寺」の話しが出てきたので便乗して、かつて自分が付箋を貼った部分を引用します。
(新潮文庫 212ページ)
「子供らしい負け惜しみはやめにするさ」と柏木は嘲笑した。「俺は君に知らせたかったんだ。この世界を変貌させるのは認識だと。いいかね、他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。それが何の役に立つのかと君は言うだろう。だがこの生を耐えるために、人間は認識の武器を持ったのだと云おう。動物にはそんなものは要らない。動物には生を耐えるという意識なんかないからな。認識は生の耐えがたさがそのまま人間の武器になったものだが、それで以って耐えがたさは少しも軽減されない。それだけだ」
「生を耐えるのに別の方法があると思わないか」
「ないね。あとは狂気か死だよ」
「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない」と思わず私は、告白とすれすれの危険を冒しながら言い返した。「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」
長々とすいません。
さて、世界を変貌さえるのはどちらでしょう。
あるいは、どちらでもないのかもしれません。
2004年03月16日
OH!いいこと言うねぇ。
[OH!いい言葉コレクション]日々過ごしていて、他人の発言に驚いたり、感動したり、ハッとしたり
することってありますよね。
本を読んでいても、そういうことは沢山あります。
そこで、いいコトバをコレクションしていこうと思います。
第1回目は三島由紀夫の「金閣寺」の一説。
彼のシャツの白い腹が波立った。
そこに動いている木漏れ日が私を幸福にした。
こいつのシャツの皺みたいに、私の人生は皺がよっている。
しかし、このシャツはなんとなく光っているだろう。
皺がよっているままに。
この文章は実に、渋くて、シュールで、ポップです。
かなり主観的ですが、「笑う」という表現を「シャツ」でするという荒技と
笑いながらも、常に冷静な自己が展開させる皺と「人生」。
「彼」から「こいつ」へと変わる呼び方にも切れ味を感じます。
これは、さっぱりとしていてカナリ素敵な表現です。
と思っているのは私だけかもしれませんが、
この言葉コレクションは続きます。
2004年03月15日
ひとりっこのミッキーマウス
[ミッキーマウス・プロジェクト]芸大生(女性)
彼女は小学4年生の夏休み、自分に課題を課したのだという。
「この夏休み中に、ミッキーマウスの描き方をマスターする。」
見本にしたのは、いとこからもらったディズニーランドみやげのハート形のクッションだったそうで、これを夏休み中描き続けたらしい。くる日もくる日も、彼女はミッキーマウスを書き続けた。
彼女はひとりっこである。ひとりっこのあそびにはこういうものが多いらしい。
兄弟がいないと、遊び相手がいないから、自然と自分一人で勝負をすることになるそうだ。一つのことを思い込んで、とことん演じる。そのせいか、ひとりっこは一見わがままに見えるけれど、なかなか我慢強い面がある。
この一夏の出来事により、彼女はミッキーマウスを描けるようになった。
しかしながら、この一方向からしか、描くことができない。あのときの、ハート形のクッションのミッキーしか、描くことができないのだ。
一夏の思い出は、永遠に続いていく。
どうもありがとうございました。
[お知らせ]昨日3/14をもちまして、To.coの最初の企画「物見遊山」は終了しました。期間中お越しくださった皆様本当にありがとうございました。
これからのTo.coにどうぞご期待ください。