2004年03月09日

人生

これまでは、堅苦しく言葉の面から物見遊山を考えてきましたが、私自身ちょっと疲れてきましたし、食傷気味ですので、ちょっとブレイク。


2人の人がいました。
2人はそれぞれ別々の列車に乗って、あてどもない漂白の物見遊山に出かけることにしました。
1人は、果てなく続くように見える1本のレールの上を走る高速の列車に乗っています。実は、その線路はぐるりと回って元の所に戻ってくるようになっているのですが、列車に乗ってしまっている彼にはそれはわかりません。神のみぞ知るといったところです。
もう1人は、レールも何もない、ただひたすらの荒野を走る路面電車のような列車に乗り込みました。彼は、レールの上を走る列車上の人以上に、自分がどこを走っているのかわからないことでしょう。

2人の人間を乗せた2つの列車。レールの上を走る列車とレールから外れた列車。
レールに乗っかった列車はいつまでも走り続けます。走り続けて、走り疲れてしまうまで。
レールから外れた列車は、壁にぶつかり、止まってしまいます。それでも走り続けようとあがき続けるのですが、無駄に振動を繰り返すだけです。稀に、自力で方向を修正することもありますが。
しかし私は、レールを外れて走る列車が、その軌道を修正する時というのは、レールの上を走る列車に出会う時だと思うのです。互いに異なる走り方をしてきた2つの列車は、時にはぶつかり反発しあい、時には並走し、その軌道を変えていくのです。
 
レールの上を走っている人は、レールから外れた人と出会うことによって、自分がレールの上を走っていることに気づきます。そうでない走り方があることも。
レールから外れて走っている人は、レールの上を走っている人と出会うことで、壁を乗り越えて、また再び走り出すことができるのです。

人生とは、そういうものなのではないか、と私は思います。

Posted by nagai at 2004年03月09日 00:57
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