2004年03月05日

イギリスを例とした「メディアと動物」考 03

こうした動物虐待を支えていたのが、動物には感情がない(従って苦痛を感じない)とする、いわゆる「動物機械説」である。これに対してホガースやクレアの作品は、動物にも苦痛や恐怖といった感情があるということを強く訴えかけている。
しかし、訴えかけるのは結局のところ人間であり、可哀相という他者への感情は自分のなかでしか起こり得ないものである。わるく言えば、可哀相という感情を押し付けることが、倫理のはじまりともいえるだろう。
このように、動物の感情を認めるようになることが、動物愛護の時代を招来させたのだった。しかもその時代は奴隷や子どもの人格を認めはじめた時代である。つまり時代的背景としては、奴隷や子どもの人格を認めたそのまなざしが、動物の感情を発見させたのだといってよい。
動物や子どものように「かわいい」もの。奴隷が「かわいい」かどうか、私はしらない(奴隷を見たことがないからだ)。しかしながら「かわいい」と「かわいそう」という語源は非常に近いところにあるというのはまちがいない。古文の授業において「あはれなり」という古語に「かわいそう」「かわいらしい」「いとおしい」という複数の訳をあてることは、多くの人の記憶に残っているだろう。
「かわいそう」という言葉は相手に対して多少失礼な感があるが、それをカバーするのが「かわいい」の言葉にこもっているパワーである。ある種、不条理なものをさらなる不条理さで覆い隠すような。
ものの根源に目を向ける流れがある昨今であるが、次のブームを占うのは「かわいい」ものから、さらに立ち戻った「かわいそう」なものであるかもしれない。(おわり)

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イギリスを例とした「メディアと動物」考 02

それは1822年、議会が馬と牛の酷使を禁ずる法令を制定したことに始まる。さらに2年後には動物虐待防止法を、1849年には闘鶏の禁止令も出されている。
のち、ヴィクトリア女王は、1887年の即位50周年記念祭で、動物愛護の精神が国民の間に広く行き渡ったことに謝意を表したという。
考えかたを変えてみれば、愛護の法令があらわれるということは、愛護していなかったという過去があるからであって、やはり(というのも意地悪いが)イギリスでは19世紀中頃まで愛護とはまったく正反対の文化がスタンダートとしてあった。
例として、熊や牛や猫や犬などをいじめることが見せ物として大変人気があったという事実がある。
18世紀の画家ウィリアム・ホガースの有名な絵『残酷さの4段階』には、猫や犬いじめの実体が生々しく描かれていて、首を吊るされた猫などの絵は、なかなかどうして不快な気持ちにさせられる。
また、ロマン派詩人ジョン・クレアの名詩『穴熊』という作品では、穴熊をとらえて町に連れて行き、広場で犬をけしかけて笑い者にし、石を投げつけ、蹴飛ばし、こん棒でたたき、ついには息たえさせるまでの穴熊の必死の抵抗ぶりを克明に書き留めたもので、これも『残酷さの4段階』と同様、だれしもがなんとも言いがたい感覚を得るだろう。
(つづく)

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イギリスを例にした「メディアと動物」考 01

ペットブームという言葉が世に現れて久しい。
チワワのくぅーちゃんがスノーボードで滑走している姿を、テレビで見ない日はない。犬系ブームは種々あったが、これほどにもメディアをまたにかける犬系ブームはなかったかもしれない。
ブームには「今が最高潮」という印象をつよく与えるものであるが、しかし、これまでにもブームと言われる現象はいくつもあった。ハムスターが子どもたちのなかの誕生日に欲しいものランキングで上位に上がったり、シベリアンハスキーがブーム後に、筑波山で群れをなしていたのはまだ記憶に新しい。また、私は東急ハンズでウ−パールーパーや、小さなフグを見かけたこともある。それらは何かしらのメディアにブームという言葉でとりあげられてはいたものの、結局世の中に氾濫するとまではいかなかった。
こんなにもメディアに動物が氾濫し、また翻弄されている日本であるが、イギリスは、また違った意味で、動物好きの国であるといわれている。
「動物好き」この言葉の定義は千差万別、十人十色である。しかしながら、イギリスはさらに、世界でも初めて、文明社会における人間と動物の関係について法的なルールづくりをしたという点で、特筆すべき国であるといえよう。
(つづく)

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2004年02月26日

黄身返しタマゴ

タマゴ料理のなかで、最も難しいと思われる料理です。
江戸時代の料理本「卵百珍」より。近年やっと作り方が判明しました。

【用意するもの】
・卵
・針金
・安全ピン
・ラップ
・なべ
・紙皿

【作り方】
(1)10cmの長さの針金を、先端から2〜3センチの部分で135°にまげる。

(2)卵のとがった方のてっぺんに、安全ピンなどで穴をあける。 タマゴケースに立ててやるとやりやすい。

(3)(1)の針金の曲がったほうを卵の穴にさしこみ、ぐるぐるとかき回す。 中の皮をやぶらないように注意。

(4)しばらくすると、針金の感触が重たくなってくる。※「ワイゼンベルグ効果」
穴から黄色い液がでてきたら、針金を抜く。

(6) 穴を上にして、ラップで卵をつつむ。穴の上で、きつくラップをねじり、 針金などでとめ、よけいな部分を切りとります。

(7)85℃(上下±2℃)で、15分間ゆでる。その間、おたまや箸などで、 たまごをゆっくり回転させてやること。このとき、なべに紙皿 (穴をあけておく)などを入れ、なべ底にたまごが直接つかないようにするとカラが割れない。

(8)卵をが湯であがったら、冷水にさらす。

(9)カラをむくと黄身と白身の逆転した「黄身返しタマゴ」の完成。

※ 温度がミソ。
※ 難易度★★★★★(参考:ゆで卵★、オムレツ★★★★)

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2004年02月20日

捨て鶏

sute.jpg

国道6号線の茨城県取手市付近で、捨てられたと思われる4羽のニワトリを見ました。
鳥インフルエンザの余波はここまできたのです。深刻!

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2004年02月15日

街角のにわとり

tori.jpg

茨城県つくば市で見かけた、黒くてツヤツヤして美しいにわとりです。

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卵百珍

生卵を食べるのは、ヘビと日本人だけである。
日本には醤油とご飯でいただく「卵かけご飯」をはじめとして、最近世間を賑わせた讃岐うどんにも「釜玉」(熱々の釜揚げうどんを生卵の上に落とし、出汁をかけて食べる)という生卵を使った料理がある。
さて、「卵百珍」とは、江戸時代の天明5年(1785年)に出版された「万宝料理秘密箱」という料理本の「卵之部」(卵料理記載部分)のことである。 ここには103種類に及ぶ様々な卵の料理方法が記されていて、「卵百珍」は「万宝料理秘密箱」の前編一〜五にみることができる。
このなかでとくに有名なのが、「卵百珍」の15番目に記載されている「黄身返し卵」である。長い間(200年ほども!)つくりかたがあきらかになっていなかったもので、これは次回のコラムで作り方をご紹介したい。
日本人は、江戸よりもっと昔から卵を様々な調理方法で食してきた。卵は物価の変動に影響されにくい「物価の優等生」として誉れだかいが、調理のバリエーションをとってみても多様な変化を見せる。茶わん蒸しを固まらせたり、ケーキを膨らませたり、マヨネーズのように調味料になったりする。生のままで食すというのも、その様々な調理方法のなかの一つにすぎない。
卵かけご飯などは、日本の米文化がなければなかなか生まれなかっただろうし、さらに新鮮な卵が手に入らなければ食べることができない。ニワトリを身近なところで愛でてきた日本人ならではの食文化である。
さあ、そろそろ卵かけご飯が食べたくなってきた。筆をとめなければならない。

たまご博物館
http://village.infoweb.ne.jp/~takakis/
卵百珍
http://homepage3.nifty.com/takakis2/hyakutin.htm

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2004年02月12日

コンパニオン・ニワトリ 02

奈良時代、天武天皇の仏教による殺生禁断の説(674年)からもわかるように(食べるな、ということは食べていたということである)、食物としても私たちの近くにいた。
食べてもよし、愛でてもよし。ニワトリほど、万能な家畜はいないかもしれない。家畜の条件はこうだ。
「人間の飼養管理の下で繁殖が可能であり、人間の利用目的に適するような形質、能力をもつものに、人間によって遺伝的に変化させられ、そのような性質を子孫に伝えることができるもの。」(水間1982)
上記のように、家畜が人間の利用目的に適するような形質、能力を持つものであるとすれば、家畜はまた、時代の流れを顕著に現しているといえる。
すると、崇拝、闘鶏、食用と様々なかたちをとってきたニワトリの、一番新しい形態がプチコッコであるのならば、人間の動物への最たる需要は、ペット、すなわちコンパニオン・アニマルなのかもしれない。
プチコッコは部屋のなかで飼える。人なつこくはないものの、一般的なニワトリとはかわすことのできないコミュニケーション、撫でたり、しつけたりができる。専用のおむつをすれば、動物を飼う際の一番の悩みも無いに等しい。
人間の求めるかたちに常に作りかえられてきたニワトリは、それ自体がある意味でメディアとして動いている。今、ニワトリにまなざしを向けることは、決して無駄にならないはずだ。

Posted by Haruna at 05:44 | Comments (1)

コンパニオン・ニワトリ 01

プチコッコは手に乗るニワトリである。
高知県畜産試験場で作り出されたこの新しいペットは、小さな体、温和な性格、めったに鳴かないといった特徴を持つ、改良されたニワトリである。10年以上前から開発が始まり、この空前のペットブームに追い風を受け、今ではずいぶんと認知度も高まっている。
日本において、ニワトリの家畜としての歴史は長い。それも食用ではなく、宗教的、娯楽的に家畜化されてきた歴史が目立っている。
古事記によれば、天照大御神が天の岩戸に隠れたのち、暗黒の世界を救うための活躍したのは長鳴鳥、すなわちニワトリであった。ニワトリは夜明けを告げる鳥、すなわち夜という真っ暗な、不穏な世界に光をもたらす、聖なる動物であり、それは同時に宗教的なシンボルであった。
また雄鳥の色、形や美しさは、人々を慰め、尾長鶏に代表される鑑賞用動物として、日本固有のペット分野を確立している。同時に闘鶏というかたちでも、人間と動物の関係性によるエンターテイメントを担ってきた。
もちろん、食料としても人間に深く根付いている。 (つづく)

Posted by Haruna at 05:31 | Comments (1)