2004年02月20日

出会い

前回、歌をポンと投げておいてそのまま、ではいけませんから、解説文のようなものを書きたいと思います。
作者の壬生忠岑(みぶのただみね)は平安時代の歌人です。その身分は終身、宮中の下級の武官であったようで、彼は長歌の中でそのことを嘆いています。しかし、歌人としての忠岑はなかなか素敵な人で、三十六歌仙にも列せられていて、百人一首の中の

有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかり憂きものはなし 

という歌は有名でしょう。
忠岑は、紀貫之らとともに古今和歌集を編纂した人とされていて、古今集の中にも30首あまりの歌が収められていますが、中でも恋の歌が一番多いのです。前回挙げた「かすが野の~」の歌もその中の一つです。
春日大社は摂関家藤原氏の氏神とされ、その例祭には、天皇の勅使が参向するなど非常に賑やかなものでした。古代において「物見」とは、こうした大社の祭礼や、天皇の御幸の行列などを見物することだったのだと思います。ちなみに、そうした祭礼などを見物する際に乗って出る牛車のことを「物見車」と言います。
この「かすが野の~」の歌に登場する男女もそうした物見をする見物人の一人でした。そこに一つの恋が誕生します。詞書にあるように、忠岑が春日祭見物に出てきた際に、同じく見物に来ていた一人の女性に恋をするのです。その後、その女性の家を探し出して、この歌の手紙を贈ったのでした。今こんなことをすれば、ストーカーなどと言われて捕まってしまいそうですが、当時としてはすばらしく情熱的なアプローチだったことと思います。

歌人の窪田空穂はこの歌を、

春日野の雪の間を分けて、生い立ち現れた草の葉の、わずかに見えたところの君は、いずれにいるであろうか、なつかしい。

と解釈しています。そこで生まれる気持ちは「なつかしさ」ではないと思いますが、大体の感じは掴めます。春日祭見物の人混みの雑踏の中で、ほの見た女の恋しさをいって、言い寄るのです。その「ほの見た」ということを表す表現として、雪の間に現れた草の葉と言っているのですが、その比喩のなんと秀逸なことでしょう。真っ白なキャンバスの中にわずかに見える緑色の鮮やかさ。その色彩感覚の見事さだけでなく、チラリと姿を見ただけであるということをも巧みに示してもいます。現代的感覚からすれば、少々アブナイかとも思われるこの歌が、少しもいやらしくなく、情熱的でありながら、清らかな余情すら含んでいるのは、この表現によるところが大きいと思うのです。

話が物見からだいぶ離れてしまいましたので、戻します。ここで、春日祭という「物見」の場は、二人の男女の「出会い」の場でした。それも、雪の間に見える草の葉というような、ほんのささやかな「出会い」です。古今東西、物見遊山を通して、男女間に限らず、いくつもの「出会い」が生まれきたことでしょう。
私は、この「物見遊山」という一つのプロジェクトを通して、何らかの「出会い」が数多く生まれてくれるだろうことを願っています。私自身も、すばらしい仲間たちと出会うことが出来ました。皆さんもたくさんの「出会い」を見つけてみてください。それは人と人との出会いにかぎったことではないのです・・・。

Posted by nagai at 2004年02月20日 22:31
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