「物見遊山」は「物見」と「遊山」である。と言われても、説明になっていないと思うのが普通でしょうから、次は「物見」と「遊山」それぞれの言葉から探っていきたいと思います。
まず「物見」です。辞書類を総合すると
①見物(けんぶつ)すること。
②敵状偵察。斥候。
③遠方や内部をうかがうための設備。
④見事なもの。見物(みもの)。
ということに大体集約されます。
②の意味や③の意味はひとまず置いて、一般に「物見遊山」というときは、①の意味で使用していると思います。①の目的語として④があると考えてよいでしょう。
我々は現在、見事なものを見物(みもの)とは言いますが、物見(ものみ)とは言いません。この「ものみ=みもの」という意味は、日葡辞書にも出てきます。「新解さん」における物見遊山の意味は、この「ものみ=みもの」という意味を強く反映させているものと言えます。
それでは、「物見遊山」の「物見」が④の見事なものを①見物することということにしますと、一体何を見物するのでしょうか。「新解さん」の言う「見るに値する物」とは何なのでしょうか。
『小学館 日本国語大辞典』によれば、
祭礼や、観賞にあたいする場所、または賑わう場所などに行って見ること。
となっていて、
『角川 古語大辞典』には、
行事、風景などを見ること。
とあります。
『古今和歌集』には、「かすがのまつりにまかれりける時に、ものみにいでたりける女のもとに、家をたづねてつかはせりける」という詞書がついた壬生忠岑の歌があります。
かすが野の雪まをわけておひいでくる草の はつかにみえしきみはも
というものです。このように、大和春日大社の祭礼に出かけていったことを「ものみ」と言っていることが分かります。
Posted by nagai at 2004年02月19日 09:21