カオスには2つの意味があります。
1つは哲学としての「全くの混沌」。いわゆる「めちゃくちゃ」。
2つめは科学(複雑系)としての「決定論」。
(初期値敏感性が全体的に複雑に無限に影響を与えるというだけのこと。)
つまりは、ただ単に計算が複雑なだけなのである。
しかし、複雑故に自然と「カオス」に興味がいくというのも事実であると思う。
つまりは、「カオス」には一種の魅力があるといえるだろう。
そこでイリヤ・プリゴジンの散逸構造論から「カオス」と「To.co」の関係を考えてみよう。
(この散逸構造論は非生物にも、自然に複雑な構造を構築するということを発見であった。)
散逸構造論というのは簡単に言うと、
「ランダムな運動は相互に打ち消しあい、残ったものの方向へその傾向を増大させる」ことで、
そして増大する場合には、増大する確率が高いだけであって常に逆の方向性も存在している
可能性もある。
この逆行して秩序を形成するシステムは「ゆらぎ」と呼ばれる。
カオスの中にある「ゆらぎ」が肯定的な反応を示した時に、自己組織化(バラバラなものを自身で一定の機能を持つようにまとめること)のプロセスを経てカオスから秩序のある構造が自発的に形成され得るのだ。これは、決定論でも自由論でもなく「どちらにも作用する」ということを示す。
つまり、穏やかでつりあいの取れた状態では「ゆらぎ」による「自己組織化」の作用は少ない。
というのも「ゆらぎ」は「入」と「出」の差の部分に発生する現象であり、混沌としている限り
動的なプロセスが保たれるからだ。
以上の点から社会構造にもこの論の応用が図ることができるといえるだろう。
この論は環境との一体化の重要性も説いている。
To.coが行う「凸凹レーション」も混沌とした社会の中で微妙な変化を起こし
その肯定的反応により、影響が増幅する可能性があるといえよう。
外部からエネルギーを取り込み、To.coの中で「凸凹レーション」(変換)され、
また外部に代謝していくというプロセスは「秩序形成」であり、散逸構造だといえよう。
今後のTo.coの動きには注目である。