東京大学総合研究博物館動物部門所蔵の海綿標本 (1) 六放海綿綱
小川数也1) ・ 阿部 渉2) ・ 上島 励2, 3)
1)中井研究室 ・ 2)東京大学大学院 理学系研究科 ・ 3)別刷請求先
六放海綿標本の概要
当館所蔵の六放海綿標本は、この分類群の世界的権威であった飯島魁と、その弟子である岡田弥一郎が研究した資料である。標本点数は当海綿コレクションの中で最も多いが、六放海綿が現生種の数ではむしろマイナーなグループであることを考えれば、当時の関係者が六放海綿を精力的に収集していたことが分かる。標本総数は813点 (液浸470点、乾燥315点、化石28点) である。骨片のプレパラート標本はほとんど残っていない。合計で106点ものタイプ標本を含み、その中には原記載以来再発見されなかった種も含まれており、分類学には宝の宝庫とも言える重要な資料である。特にLonchiphora inversaは、Lonchiphora属のタイプ種であるが、Ijima (1927) が暫定的に行った簡単な記述のみしか知られてないため、長らく正体不明の幻の分類群とされていた (Reiswig, 2002)。今回の調査では本種のタイプ標本が発見されたため、Lonchiphoraの詳細な特徴や分類学的位置が80年を経て初めて明らかになることが期待される。
本コレクションの大部分を占めるのは相模湾産の標本であるが、このほかにも、飯島が研究を担当したSiboga号の採集標本、岡田弥一郎が担当したAlbatross号採集標本、Valdivia号採集標本 (F. E. Schulzeの寄贈あるいは交換標本と思われる)、外国産の化石標本 (A. Schrammenの寄贈標本と思われる) が含まれる。本六放海綿コレクションは多数のタイプ標本だけでなく、一世紀前の標本および再採集がきわめて困難な相模湾産の標本を数多く含むという点において、世界的にも類を見ない貴重なコレクションである。残念なことに、この六放海綿標本は保存状態がきわめて悪いものが多く、著しく破損した乾燥標本や、アルコールが蒸発した液浸標本も少なくない。また、少なからぬ数のタイプ標本が紛失していることが明らかになった。現存するタイプ標本も原記載時の写真と比較すると、見る影もないほどに傷んでしまったものが多いが、これらの標本が百年近くに渡って放置されてきたことを考えると、むしろ貴重なタイプ標本の一部がなんらかの形でも残っていたことを評価するべきであろう。
今回の調査では、標本以外の資料として、飯島直筆のカードが大量に発見された (Pl. 14, figs. 1, 2)。このカードは飯島が個々の種についての形態学的特徴をまとめたもので、重要な分類形質である骨片のスケッチも描かれている。このカードには初期の研究対象種を欠いていることから、Siboga号採集標本研究以降に作成されたものと思われる。このカードの内容は飯島の記載論文のもとになった"秘伝"であり、未発表の知見も多く含まれている。一例を挙げると、Topsent (1929) が相模湾産として新種記載したTretochone duplicataは、最近になってReiswig and Wheeler (2002) が再記載を行うまでは、骨格・骨片の特徴は知られていなかった。しかし、飯島カードには本種の詳細な骨格・骨片がすでに記録されていたことに驚かされる (Pl. 14, fig. 2)。骨片は海綿の最も重要な分類形質であるが、飯島や岡田が記載時に観察した骨片のプレパラート標本はほとんど残っていないため、骨片のスケッチや特徴が記されたカードはきわめて重要な資料である(骨片のプレパラートはUMUTZ-PorfH-H-20, H-564の2点だけが現存しているが、封入剤が変性しているため観察不能である)。