緒言
日本産カニ類の分類に関する研究史はSakai (1976) の和文編にごく簡単に紹介されているが,欧米の著名な研究者によって開始され,発展した日本産カニ類の分類学的研究は,極東の限られた海域という条件にも拘らず,世界レベルの研究発展に大きく貢献した.日本人自らによるカニ類の分類学的研究の黎明期には,東京帝国大学が果たした役割は大きく,現在,東京大学総合研究博物館所属の標本にその一端を垣間見ることができる.しかし,分類学一般の衰退とともに,積極的な標本の収集が行われず,また,標本の重要性もあまり意識されることがなく,さらには,戦争という不幸な出来事もあって,東京大学理学部動物学教室の長い歴史を考えれば,収蔵標本は貧弱なまま今日に至っている.とはいえ,日本各地および東アジアからミクロネシアにかけて明治時代の収集された標本には分布上興味がもたれる種が数多く含まれており,また,日本では見ることができないアメリカや地中海という遠隔地の標本も含まれており,今後の比較研究には役立つと思われる.戦前に外国人研究者が一部標本を同定しているようであるが,とくに新種の記載に関係したと思われる標本は含まれていない.しかし,後述するように,動物学教室のコレクションの基盤を築いた寺崎留吉によって記載された2種のうち,トゲナシビワガニの完模式標本が発見された.