東京大学総合研究博物館動物部門所蔵ウミトサカ類標本
今原幸光
(財) 黒潮生物研究財団 黒潮生物研究所 和歌山研究室
コレクションの概要
東京大学総合研究博物館動物部門所蔵の無脊椎動物標本は、おもに明治時代から大正時代にかけて採集された標本を中心としていて、国内に現存する最古の動物学標本とされている (上島, 2006)。ちょうどこの時期は、当時の東京大学動物学教室に在籍していた木下熊雄*1や大久保忠春が、日本人研究者として始めて日本産ウミトサカ類の分類学的研究を開始した時期であったことから、彼らの研究標本が総合研究博物館に保存されていることが期待された。また、京都大学の内海冨士夫*2も東京大動物学教室に保存されていた標本を報告していることから (Utinomi, 1951, 1952, 1960)、それらの標本の存在も期待された。実際に標本を調べてみると、ウミトサカ類の標本は、エタノールまたはフォルマリンの液漬標本として保存されていることが確認され、標本瓶の数は112本 (ロット) であった。112ロットの標本のうち、20ロットは16種に同定されていて、これ以外に属まで同定された標本が4種5ロット、科まで同定された標本が3種3ロット含まれていたが、残り83ロットは未同定であった。
ほとんど全ての標本に産地情報等を記載した標本ラベルが入れられていて、それらの中には、一部の文字が判読不能のケースもあったが、大部分のラベルは比較的良い状態で保存されていた。標本ラベルは、いくつかの異なる様式の紙ラベルのほかに、毛筆で記入された綿布が使われていることもあり、また一つの瓶に複数枚のラベルが入れられていた場合もあった。これらのラベルの中には、米水産局調査船アルバトロス号*3が用いていた標本ラベルと、米スミソニアン自然史博物館の標本ラベルも含まれていた。これらのうち、アルバトロス号のラベルについては、採集者名と産地情報からアルバトロス号の採集した標本とは考えにくいことと、同号が1906年に来日した際に乗組員と東京大学の研究者が交流を行っていたことから、その際入手したラベルだけが流用されたものと考えられる。また、スミソニアン自然史博物館のラベルについては、同博物館の八放サンゴ類研究者であったベイヤー*4のサインが記入されていたことから、彼が1953年に来日した際に直接調べた標本であることが確認された。
今回の調査では、保存液の種類を確かめて、フォルマリンが使われていた場合はエタノールに置き換えた。また、一つの瓶の中に明らかに複数種の標本が混在している場合は、それらを種類ごとの瓶に取り分けた。ウミトサカ類は、軟珊瑚類と呼ばれるように、群体が柔軟なうえに伸縮活動を行う種が多くて、これらの種では固定時の状況により標本の外部形態が著しく変化する。そのため本動物群は、外部形態の特徴と共に、群体内に散在する微小骨片の形や大きさ等を重要な分類形質として、種分類学が行われている。今回の調査においては、種までの同定が行われていた標本については、その同定結果の検証を行った。しかし、多数を占める未同定標本については、外部形態と、ポリプ外周を骨片が覆う種についてはそれらの骨片の配列様式から判断できる範囲で同定を行うに留めた。その結果、最終的に種名の特定を行なうことのできなかった32種を含めて、種類数は77種、標本瓶の数は125本 (ロット) であった。
標本の採集年代は、1892年 (明治25年) から1923年 (大正12年) にかけての32年間にわたっていた。採集地域は、東京大学三崎臨海実験所周辺の相模湾が最も多いが、外房沖から琉球諸島 (尖閣列島を含む) 及び小笠原諸島に及んでいた。これらの中には、高知沖、鹿児島沖等の珊瑚漁場が含まれていた。また、海外の標本も含まれていて、フィリッピン、ポナペ、パラオ、及びナポリの標本が見出された (Fig. 1)。採集者の中には、東京大学動物学教室第3代教授の箕作佳吉 (三崎臨海実験所初代所長)、第4代教授の飯島魁 (同臨海実験所第2代所長)臨海実験所の名物採集人青木熊及びイギリス人標本商アラン・オーストンらの名前がたびたび出てきていて、これらの標本の多くが三崎臨海実験所を中心に収集されたことが確認された。相模湾産以外の標本は、箕作・飯島両教授のほか、宮嶋幹之助、木下熊雄、池田岩冶らのその当時の学生が行った調査活動に伴う標本であった。このうちの木下熊雄は、ウミトサカ類に関する論文は少ないが、ヤギ類の研究で大きな業績を上げた人物である。
種まで同定済みの標本の中には、紛れもなく木下熊雄と内海冨士夫のタイプ標本が含まれていた。今回発見されたタイプ標本は、下記の通りである。
Carotalcyon sagamianum Utinomi, 1952 (UMUTZ-Cnid-A -81, Holotype)
Chromonephthea hirotai (Utinomi, 1951) (UMUTZ-Cnid-A -104, Holotype)
Telesto tubulosa Kinoshita, 1909 (UMUTZ-Cnid-A -103, Holotype)
なお、飯島 (1918) が、動物学提要の中で「海鶏頭一種 Alcyonium sp. 相模海産」として図示した種は、上記の Carotalcyon sagamianum Utinomi と同一種であると考えられる。本種は、多数の枝をつけた樹木状を呈する種であるが、群体の退縮時には、枝分かれした群体の上部全体が、トランクと呼ばれる柄部中に完全に収まってしまうという、著しい伸縮性を示す種である。タイプ標本は、内海が新種記載で図示したように、群体の大部分が収縮した状態であるが、飯島の図は群体が比較的伸張した状態であって、そのような状態の標本は今回の調査では発見できなかった。また、タイプ標本の存在が期待されていながら、今回の調査では発見できなかった標本は下記の2種である。これらのタイプ標本は紛失したと考えられ、状況によってはネオタイプの指定が必要になるかも知れない。
Paratelesto rosea (Kinoshita), (Holotype), one colony, Miyake Island, south of Izu Province, 10 August 1893, collected by S. Hirota.
Telesto sagamina Kinoshita, (Syntypes), two fragments probably belonging to one colony, Doketsuba, Sagami Bay, 60 fathoms (i.e., ca. 110 m), October, 1908, collected by the author himself.
その一方、以下の4種は、これまでの日本産リスト (Imahara, 1996) に含まれておらず、日本新記録となる。
Chromonephthea cf. imaharai Ofwegen
Dendronephthya (Morchellana) cf. filigrana Kukenthal
Nephthea cf. junipera Thomson et Dean
Stereonephthya cf. papyracea Kukenthal
下記の標本目録は、原則としてカリフォルニアアカデミーのG. C. Williamsとスミソニアン自然史博物館のS. D. CairnsがWEBで公開している最新の分類体系に基づいて配列した。
[ http://research.calacademy.org.research/izg/OCTOCLASS.htm ]
標本情報は、次の順に要約して記述したが、該当事項のない場合あるいは不明な場合は項目自体を省略した。①標本番号、②標本の数量、③Type status: タイプ標本である場合はその種別、④Locality: 一枚あるいは複数枚のラベルから読み取った産地、⑤Date: 採集日、⑥Collector(s): 採集者名、⑦Label data: 元ラベルの記載内容、⑧Reference(s): 論文発表に使われた場合はその文献情報、⑨Remarks: その他の情報。産地については、ラベルに記載されていた地名だけでは具体的な場所 (海域) を特定しにくい場合もあったので、県名または海域名を最初に記述したが、その中には筆者の責任において判断を下した場合も含まれる。採集者名についても、同様に筆者の推測も含めてできる限りフルネームを記述した。⑦の元ラベルの記載内容は、ラベル中には文字の消えかけているラベルも散見されたことから、ラベル情報の保全を目的とすると共に、筆者の推定した産地名等に誤りがある場合に備えて記載した。
注釈
*1 木下熊雄は、熊本県出身で東京大学動物学教室在学中から主に深海性ヤギ類の分類学を始め、学位取得後も大学に残って研究を続け、八放サンゴ分類学では世界的な研究業績を挙げた。しかし、若くして病に侵され、また夫人が早世したことも重なり、彼の研究生活はわずか10年で途絶えて、彼自身も早世した (大島, 1965)。
*2 内海冨士夫 (旧姓 弘冨士夫、Hiro Fujio) は、日本が統治していたパラオ諸島に、昭和9年から18年まで設置されたパラオ熱帯生物研究所へ第一次研究員として派遣された際に、同研究所の眼前の海におびただしく分布していたウミトサカ類に興味を持ち、八放サンゴ類の分類学を始めた (私信)。
*3 アルバトロス号 (U. S. Fisheries Steamer "Albatross") は、1881年に建造され、1921年に退役するまでの間に主に北半球の海洋生物調査を行い、日本へは1896年 (明治29年)、1906年、1910年の3度にわたって来日した。特に1906年の調査航海では、アラスカから噴火湾に到着した後、本州の日本海沿岸を南下して九州南端に至り、次いで豊後水道と瀬戸内海を経て本州太平洋沿岸を北上し、津軽海峡を抜けて北海道を時計回りに一周した。その後伊豆半島沿岸まで南下した後に、相模湾を調査してサンフランシスコへの帰路についた。当時の三崎臨海実験所長の箕作佳吉が相模湾と駿河湾の調査に乗船するなど、日本人研究者数名も調査に加わった (磯野, 1988)。
*4 ベイヤー (Frederic Merkle Bayer) は、マイアミ大学教授とスミソニアン自然史博物館研究員を在任中に、170種以上の新種記載を行うとともにウミエラ類を除く八放サンゴ亜綱全属の検索表を作成するなど、八放サンゴ類の分類学に多大な貢献をした。