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ヒマラヤの植物研究を支えるシェルパたち

大場 秀章



東大ヒマラヤ植物調査隊員とこれを支援する常連のシェルパ。
ネパール、ジャルジャル・ヒマール、
パンプレ・デオラリ(Pamphule Deurali)、標高4630mにて。
写真は左からニマ・ギャルツェン、1人おいて筆者、シェーレ、
1人おいて秋山忍(国立科学博物館)、ダワ・トゥンドゥ、
菊池多賀夫(岐阜大学)、スベジ(ネパール国立森林・資源植物研究所)。
1991年8月10日撮影


渡渉するポーターとそれを助けるシェルパ。ネパール、フンクー谷、
セト・ポカリ周辺にて、標高4900m。1995年8月14日撮影


野外調査では実験室での研究では出会えない、いろいろな体験をする。特に、亜氷雪帯という高山帯の最上部を研究の中心としている私たちのヒマラヤ植物の研究は、人里から遠く離れ、しかもきびしい自然に日々さらされており、ヒマラヤの自然や地理、民情などに詳しい現地の人たちの協力なしにはやれない。
遠隔地までの物資の輸送もすべて人力に頼るしかない。たった5人の調査隊員でも町を出発するときには総勢80人を超える大人数になる。この大隊を統率し、毎日のキャンプ地を決め、通過する村では許可や情報を集め、道中や無人の山中での調査の日々を支えるなど、彼らに依存しなくては調査そのものを効率よく進めることができない。
1983年にはじめて現地調査隊を派遣したが、このような協力をどのようにして得ることができるのか心配だった。幸いなことに、これに先立つ東京大学のインド植物研究チームの派遣の一切の実務を取り仕切った金井弘夫博士が、コロンボ・プランでネパール滞在中に教育した有能なシェルパ族の青年、ダワ・ザンブーが荷物輸送のポーターと隊員の調査を支えるアシスタントを手配してくれることになった。ヒマラヤの登山ではアシスタント役の人たちをシェルパと呼んでいる。シェルパとはヒマラヤ高山に住む、一民族の名称であるが、登山では彼らの協力は欠かせないものであった。その後、タマンのような他の民族の人たちもこうした役を行なうようになったが、役名はシェルパのままで通っている。
私たちは、1983年以降1997年まで16回、現地へ調査隊を派遣しているが、そのいずれもこうしたシェルパとポーターの支援を受けている。もう少し詳しく書くと、調査隊全体を統率するシェルパ、これをサーダー(sirdar)という。サーダーがちゃんとしないと統率は乱れ調査そのものにも支障が生じる。キッチンは隊員とシェルパの食事を賄うが、コックはサーダーに次ぐ権限をもつ。コックはキャラバン中、真っ先にキャンプ地に到着する。というよりも行程などからキャンプの適地を見つけるのはコックの役目になる。ナイケはポーター頭とでもいう役目を担う。これもシェルパの一人で、サーダー、コックに次ぐ権限をもつ。
さて、1985年から今日までサーダーとして私たちの現地調査を支えてくれているのは、ダワ・トゥンドゥというシェルパである。彼は1983年にコックをしてくれた。日本語もかなり理解する彼は私たちの調査を実によく理解している。電話も直通になった現在、調査の概要が決まり次第、彼にまず第一報を入れる。登山には時期外れとはいえ、トレッキング、テレビ取材などシェルパを必要とする仕事は多い。また、シェルパの中には田舎に田畑を持ち、仕事がないときには帰郷してしまい連絡できなくなるからだ。
シェルパの多くは、木登り、穴堀り、根堀りなどの得意技をもつ。シェーレは、かなりの植物の属名を空んじているばかりでなく、種の識別ができるネパール有数の植物通である。私たちの調査には欠かせないシェルパの一人だ。私は、彼に献名したBistorta sherei(タデ科)、Juncus sherei(イグサ科)という学名を発表し、彼の植物学への貢献を讃えた。

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(本館教授/植物分類学)


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Ouroboros 第5号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成10年7月1日
編者:西秋良宏/発行者:林 良博/デザイン:坂村 健