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新規収蔵の「ヒトおよび脊椎動物脳の組織標本」

神谷 敏郎




写真1 脳組織標本観察コーナー


写真2 プレパラートケース
連続切片が交互に異なる染色で
仕上げられている

本年3月に琉球大学医学部平田幸男教授(神経解剖学)から、退官にあたり30余年間の研究に用いられてきた「脳の組織標本」を公開提供し、神経科学研究に役立てばとのご希望で、東京大学総合研究博物館に寄贈の申し出でがあった。平田博士は新潟大学医学部解剖学教室・東京都神経科学総合研究所・琉球大学医学部において一貫して脳の神経発生学、比較神経組織学的研究を展開してこられた権威で、在職された各研究機関で、ヒトの妊娠初期の胚子から出生時までの胎児および新生児の脳の組織標本を精力的に整え研究にあたってこられた。同時に脊椎動物の脳の収集にも尽力され、東京都上野動物園の協力により、多種の脊椎動物脳の組織標本も作成、研究をされた。一例を挙げれば、国民的なアイドルとして人気を博したジャイアントパンダ「ランラン」や、生後43時間で死亡したホアンホアンの赤ちゃんパンダの組織標本も含まれている。
この貴重な標本寄贈の申し出を受け、林良博館長と高槻成紀助教授(哺乳類学)が中心となって受け入れが検討され、今回の標本の主体がヒトの脳であることから、医学資料室に収納して広く学内外の研究者に公開・活用をはかることとなった。寄贈標本は4月下旬に沖縄より本郷に空輸され、本館6階の医学資料室に収容された。室内ではドア左側の壁面を整理し、新しく準備された4基の標本ケースに納められている(写真1)。新規収蔵標本の内容は次の通りである。
ヒトの脳:妊娠初期の胚子から、出産胎齢にあたる受精後第38週(266日)までの全胎齢期の連続した脳、および新生児の脳を含め324件の見事な組織標本が整えられていて、「脳の発生」を連続的に顕微鏡下に観察することができる。ヒトの脳は第6週目頃から急速に発達し、出生時の脳重は400g前後にまで発育するが、神経組織は臓器の中で最も軟柔で取扱が難しく、切片の染色法も神経細胞層の観察と、神経突起の走行を追跡するのでは異なった染色法が欠かせない。脳組織標本作製には熟練した技術と膨大な時間を要する。平田博士は2人の技師を指導され、この見事な脳の組織標本コレクションを完成されたと伺った。
脊椎動物の脳:円口類から魚類・両生類・爬虫類・哺乳類にいたる幅広い227件の動物の脳の組織標本が整えられている。哺乳類では有袋類・食虫類・翼手類・霊長類・齧歯類・食肉類・有蹄類について主だった種類の脳が揃えられている。神経生理実験に用いられるマウス、テンジクネズミ、ネコについては胎生期から成体まで、脳の発育段階を追跡観察できる多数例の標本が整えられている。これらの標本を比較観察することによって「脳の進化」を顕微鏡下で構築できる。
プレパラート収納方法:特別注文で作製されたノート型の厚紙製マッペ(長さ27cm、幅23.5cm)に3列に納められ、蓋をすることでプレパラートの縁が軽く押さえられ、安定がはかられる仕組みになっている。これが10マッペずつブック型ケースに納められている。実に効率の良い、安定した収納方法がとられている(写真2)。
標本検索方法:標本データとしては登録番号、動物種名、性、発生・発育段階、組織包埋方法、切片の切りだし方向(前額断、水平断など)、切片の厚み、染色方法、備考項目が記録されている。胚子例・胎児例・動物例の脳は組織標本が完成した順に通し番号が付けられ、物理的に個別に収納・保存する方法は採られていないので、コンピュータによる検索で各対象例の収納位置を探しだし、これに基づいて目的の標本を容易に引き出せるようになっている。
公開利用:医学部門では7月より週2日火曜日と木曜日の10時より17時までを公開利用日とし、利用希望者はあらかじめ医学部門主任に申し出る。脳組織標本ケース前の観察机には検索用コンピュータ・実体顕微鏡・高倍率生物顕微鏡(撮影装置内蔵)を整えて利用者の便宜をはかる。次の段階としては全例のプレパラートをデジタル画像化し、本館で進められているインターネットによる国内外への研究資料データベース公開作業を進めていく。
脳観察センター構想:本学の医学部脳研究施設解剖学部門には初代の小川鼎三教授以来、歴代教授によって、長年にわたって収集・作成されたヒト胎児・成人脳および多種の脊椎動物脳の組織標本が保存されている。また、本館の医学資料室には故細川宏教授(医学部解剖学)が収集された、円口類から哺乳類にいたる脊椎動物ほぼ全般にわたる多数例の脳の実物(肉眼)標本が保存されている。金井克光医学部門主任は今回の寄贈標本に加えて、脳研究所所蔵標本を本館に移管統合することによって、国内で最も充実した脳の観察センターにして、学内外の神経科学分野の研究者への便宜をはかる計画を進められている。21世紀は脳科学の時代とされ、わが国でもその研究実践が始まっている。その基礎的研究に欠かすことのできない「脳の発生」・「脳の進化」を考察できる脳観察センターへの発展が期待される。

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(本館協力研究員・筑波大学名誉教授/解剖学)

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Ouroboros 第5号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成10年7月1日
編者:西秋良宏/発行者:林 良博/デザイン:坂村 健