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新規収蔵のヒスイ標本

田賀井 篤平・清水 正明




写真1 ミャンマー産ヒスイ標本


写真2 青海町海岸で採集のヒスイ標本


写真3 ヒスイ輝石の偏光顕微鏡写真。
中央下部及び右の割れ目に沿って
毛状の組織が見られる。

この度、コスモ宝飾株式会社、廣川和雄氏、佐々木登氏からヒスイ標本が総合研究博物館に寄贈された。コスモ宝飾株式会社から寄贈の標本(24点)は、産地も日本各地からミャンマー、アメリカ、ロシアなどで、世界の主たる産地を網羅している。また、廣川和雄氏(翠宝堂)(7点)と佐々木登氏(1点)から寄贈された標本は、日本の考古学の上で歴史的な産地である新潟県糸魚川市小滝、新潟県西頚城郡青海町橋立、同青海町海岸から採集された様々な産状と色彩のヒスイ標本である。
ヒスイは、硬玉とも呼ばれ、鉱物学的にはヒスイ輝石(jadeite)であり、所謂軟玉と共にjadeと称されている。軟玉はヒスイ輝石とは異なった結晶構造を有する角閃石(tremolite-actinolite)でネフライトと呼ばれる。この両者は、鉱物学的には別種であるが、同じ様な特色ある緑色を示し、古代から珍重され、遺物として広く出土している。ヒスイもネフライトも、その産地は、大部分が北半球であり、各々独自の文化圏を形成していた様である。ヒスイとネフライトを共に愛でていたのは中国だけであろう。ちなみに、中国の「玉」はヒスイ、ネフライト、石英、玉髄など多様であるが、古代中国はネフライト文化圏であった。中国でヒスイが利用されるようになったのは、18世紀にミャンマーからヒスイが輸入されてからである。ヒスイの産地としては、日本の新潟県糸魚川市・青海町、ミャンマー北部カチン高原、アメリカ・カリフォルニア州・ニューイドリア、グアテマラ・モタグア、ロシア・西サヤンなどが挙げられるが、全ての地域が、固有のヒスイ文化圏を形作っている訳ではなさそうである。ヒスイに限ってみると、日本を中心とした縄文ヒスイ文化圏と、オルメカ・マヤ・アステカ文化におけるヒスイ文化圏が良く知られている。
日本では縄文時代の前期から古墳時代にわたって、全国の遺跡からヒスイの遺物が出土しているが、そのヒスイの原産地は、比較的近年まで不明であった。中国にはヒスイの産出はなく、そのために当初は世界的なヒスイ産地であるミャンマー北部から輸入されていたと想像された。しかし、ミャンマーからのヒスイの導入時期がはるかに後であること、また中国や朝鮮半島北部の遺物はネフライト、朝鮮半島南部と日本に出土する遺物はヒスイであることから、遺物のヒスイの原産地がミャンマーでないことは容易に推測できる。日本のヒスイ原産地の学問的発見は、昭和13年に河野義礼による新潟県姫川支流の小滝川でのヒスイ発見がそれであった。昭和17年ごろに調査が行われたようであるが、第2次世界大戦のために詳細は不明である。戦後になって、糸魚川周辺の調査が行われ、小滝川流域の明星山西麓のヒスイ産地と青海町青海川の橋立のヒスイ産地が日本で出土するヒスイ遺物の原産地である可能性が高まり、その結果、この2産地が文化財として国の天然記念物の指定を受けた。糸魚川市、青海町周辺には縄文中期から後期に亘る多数の遺跡が存在する。それらの考古学的調査から、ヒスイの原石や半加工品などが出土する。特に、長者ヶ原遺跡や寺地遺跡からは、ヒスイの大珠などの製品や半製品も発見され、この周辺がヒスイ文化圏の中心であったことを示している。しかしながら、縄文時代末期には、この地域を中心としたヒスイ文化圏は急速に消滅していく。弥生時代から古墳時代にかけては勾玉が各地で出土するが、この時代に糸魚川付近が生産の中心であったかは解らない。7世紀にはヒスイ文化圏は歴史から消滅するが、中国が、現代に到るまで玉の文化を保ち続けたことと比較すると興味深い。
日本には、糸魚川周辺以外にも、北海道日高、鳥取県若桜、岡山県大佐、兵庫県加保坂、長崎県三重などが知られているが、これらの産地のヒスイがヒスイ文化圏に関わっていた証拠は今のところ得られていない様である。今回寄贈された標本が日本各地のヒスイを含んでいるため、本試料に新たな解析手法を試みることによって、なんらかの知見が得られる可能性がある。
写真1はミャンマー北部カチン高原産のヒスイの試料(横幅25cm)、写真2は青海町海岸で採集されたヒスイの試料(横幅25cm)である。いずれの標本でも、局所的に美しい緑色部分があるが、白黒印刷なので、残念である。また写真3は、青海町橋立の緑色部分のある試料の偏光顕微鏡写真である。毛状に見える所が緑色のヒスイに対応するが、最近の研究では、緑色部分はヒスイ輝石ではなくオンファス輝石(omphacite)と呼ばれる組成の異なった輝石であり、白色部分に対応する等粒状の箇所がヒスイ輝石である事が解った。ヒスイには、緑色以外に紫色(ラベンダーヒスイ)、青色(コバルトヒスイ)、黒色などの多様な色が観察されるが、色の原因については未だ解らない事が多い。現在、我々のグループで、組成分析、分光などの装置で研究中である。
最後に、試料を寄贈されたコスモ宝飾株式会社、廣川和雄氏、佐々木登氏に感謝します。また、この文章を書く際に、茅原一也著の「ヒスイの科学」を参考にさせていただきました。ヒスイの偏光顕微鏡写真は東京大学大学院理学系研究科鉱物学専攻の渡辺由実子さんの提供によります。

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(本館教授/バイオ鉱物学・富山大学教授/岩石学鉱床学)

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Ouroboros 第5号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成10年7月1日
編者:西秋良宏/発行者:林 良博/デザイン:坂村 健