東京大学総合研究博物館動物部門所蔵ウミエラ類標本
今原幸光
(財) 黒潮生物研究財団 黒潮生物研究所 和歌山研究室
日本産ウミエラ類の分類学的研究略史
日本産ウミエラ類 (刺胞動物門・花虫綱・八放サンゴ亜綱) を近代的な分類学に基づいて最初に報告したのは、オランダ国立自然史博物館のハークロット (Jan A. Herklots) である。ハークロットは、江戸時代末 (1823-1828) に来日したシーボルト (Philipp Franz von Siebold) がオランダに持ち帰った標本の中から、フトウミエラLeioptilus fimbriatusなど4種のウミエラ類を新種記載した (Herklots, 1858)。次いで、ヴュルツブルグ大学の著名な解剖学者であったケリカー*1が、チャレンジャー号のコレクションの中から、9新種を含む11種のウミエラ類を報告した (Kolliker, 1880)。1885年には、オランダのユトレヒト大学教授であったフブレクトが、日本海産のトゲウミサボテン Echinoptilum macintoshiを新種記載した (Hubrecht, 1885)。1897年になって、東京大学動物学教室の学生であった宮嶋幹之助*2が、アカサボテン属Veretillumの生態についての論文を発表し (宮嶋, 1897)、その後も2度にわたりウミサボテンCavernularia obesaの分類や生態についての論文を発表したが (宮島, 1900a, b)、宮嶋のウミエラに関する研究はそれで終わった。
その後、日本産ウミエラ類の研究は再び外国人の手にゆだねられ、1910年にはドイツ人海洋動物学者ドフライン (Franz Doflein) の収集標本から、ミュンヘン動物学博物館のバルッス*3が、2新種を含む22種を発表した (Balss, 1910)。また、1906年に日本周海調査航海を行った米水産局調査船アルバトロス号のコレクションを調べたナッチング (Charles C. Nutting) は、11新種を含む30種を報告した (Nutting, 1912)。1927年になり、英国アバディーン大学教授のトムソン*4と、彼の学生であったレネットが、1新亜種を含む日本産ウミエラ類24種1亜種 (そのうちの1種は、日本産かどうか産地不明) をまとめて発表した。彼らの研究材料は、論文の緒言に記されているように、東京帝国大学 (当時) 動物学教室教授であった飯島魁らが集めた東京大学動物学教室のコレクションであった ”This is a report on a collection of pennatulids made in Japanese waters by Prof. Ijima and others, and housed in Tokyo University”。その後は、東京文理大学の熊野正雄*5が、陸奥湾産ウミエラ類3種を第28回日本動物学会で紹介した (熊野, 1936)。熊野は、博物学雑誌において日本産ウミエラ類50種を紹介すると共に (熊野, 1937)、翌年にはその内容を第30回日本動物学会上でも改めて紹介している (熊野, 1938)。この時期には、高知県立高岡高等学校教諭であった植田穂が、ヤナギウミエラとトゲウミエラ類の解剖学的研究を行っているが (植田, 1939, 1941)、その後日本産ウミエラの分類学的研究は途絶えていた。1958年になり、京都大学の内海冨士夫と原田英司が、紀伊半島沖の底曳網漁獲生物についてのリストを公表したが、その中でウミエラ類3種が報告された (Utinomi & Harada, 1958)。内海は同年の四国沖八放サンゴ類リスト中でもウミエラ類3種を報告し (Utinomi, 1958)、1961年には紀伊半島沿岸の八放サンゴ類の報告の中で既知種7種の記載を行い (Utinomi, 1961)、その翌年には昭和天皇御採集標本のリスト中で8種のウミエラ類を報告した (Utinomi, 1962)。その後今原が、沖縄諸島産八放サンゴ類の報告中で4種のウミエラ類を記載し (Imahara, 1991)、さらに2006年には沖縄のマングローブ干潟に生息するマヒルノヤナギウミエラの記載 (Imahara, 2006a)と相模灘産八放サンゴ類のリスト中でウミエラ類16種をリストアップして (Imahara, 2006b) 現在に至っている。このほか、飯島が「動物学提要」でウミエラ類4種を記述し (飯島, 1918)、熊野 (1960)、内海 (1964) らも各種図鑑の中でウミエラ類の記述を行っているが、これらの記述が標本に基づく記載なのか文献からの引用なのかは定かでない。
注釈
*1 ケリカー (Albert Rudolph von Kolliker) がヴュルツブルグ大学で指導した学生の1人にヘッケル (Ernst Heinrich Philipp A. Haeckel) がいる。ヘッケルはその後イェーナ大学の教授になったが、その学生の1人にキュケンタール (Willy Georg Kukenthal) がいた。キュケンタールは、ウミエラ類を含む八放サンゴの現代的分類学を確立した人物であって、1898年から1917年までブレスラウ大学教授・動物学博物館長 (現ポーランドのブロツワフ) を勤めた。キュケンタールが「動物界-現生動物の分類と整理」第43巻で著した「ウミエラ類」は (Kukenthal, 1915)、当時記録されていたウミエラ類全種を再検討していて、日本産ウミエラの分類学にとっても最も重要な文献の一つである。
*2 宮嶋幹之助は、1899年に東京大学動物学教室を卒業したが、卒業後京都大学で寄生虫学を専攻し、北里研究所副所長や慶応大学医学部教授などを歴任した (磯野, 1988)。東京大学在学中は、九州と沖縄方面への調査旅行をしきりに行った。また、日本初の蝶類図譜の刊行や民俗学などにも業績を残した。
*3 ミュンヘン動物学博物館主任標本管理官であったバルッス (Heinrich Balss) は、甲殻類の分類学で大きな業績を残したが、ウミエラについての論文も残している。
*4 トムソン (Arthur John Thomson) は、”Outline of Science”の著者として著名な科学者であるが、1905年から1931年にかけて八放サンゴの論文を発表した。特に英国統治下のインド博物館が行ったインド洋調査の報告では多数の新種を発表した (Thomson & Henderson, 1906; Thomson & Simpson, 1909) が、それらの標本は行方不明である。またレネット (Nita J. Rennet) は、オーストラリアが行った南極調査の八放サンゴもトムソンと共に報告している (Thomson & Rennet, 1931)。
*5 熊野は、後に金沢大学教授、附属能登臨海実験所初代所長を務めたが、金沢大学時代のウミエラ類に関する研究業績は、北隆館の原色動物図鑑 (熊野, 1960) や新日本動物図鑑の執筆を除いて不明である。なお、近年になり、昭和天皇陛下の八放サンゴコレクションと、斉藤報恩会自然史博物館が国立科学博物館に寄贈した標本の中から、熊野が同定を行ったことを示すラベルの付いたウミエラ標本が見つかった (今原, 未発表)。