このデジタルミュージアムは機能的にとらえると大きく3つの機能よりなっている。3つの機能とは1つが「蓄積」、2番目が「利用」、3番目が「ネットワーク」である。この1番目と2番目の機能は2000年以上前に作られたアレキサンドリアの時代よりの博物館の基本機能であり、同時に両立しにくいことから、博物館関係者にとってこの両者のバランスは悩みの種であった。デジタル技術が、その両立と新たな展開を可能にすることは、今回3度目になる「デジタルミュージアム展」において我々が示してきたとおりである。一方、3番目の「ネットワーク」は、ある意味で蓄積にも利用にも新たな次元を与えるが、世界の博物館をネットワークで結んだ「分散博物館」というコンセプトは、まさにデジタル時代が可能にした博物館の新しい可能性である。
デジタル技術により博物館が変わることはもはや議論の対象ではない。明らかに「電脳が博物館を変える」。しかし、だからこそ、「より良く変える」ためにはどうするかということに関しての真剣な検討が必要になってきているのである。以下では、それぞれの機能について明らかになってきた今後解決すべき問題点についてまとめ、デジタルミュージアムの次のステップへの総括としたい。
そして現在、デジタルアーカイブについては技術的に可能になってきた。からこそ、さまざまな問題が表面化してきている。たとえば、文字の入力について。文献については検索や文体の統計処理など研究のためにも文字データとしてのデジタル化が望ましい。しかし、コンピュータで読めないような手書き文字の歴史資料では、当然人間の労働が必要で、しかもできる人は限られる。結果として文字として読みとるというプロセスがネックとなり、いくら蓄積容量があっても利用できない。
たとえば、デジタル情報の形式の問題。デジタル情報による蓄積は、画像でも文字でも数値として、すなわち符号化して記録する。従って、どのような符号化がされているか、またファイル構造やデータベース項目の形式が明確になっていなければならない。たとえば1980年代に作られた文書ファイルを読もうと思った場合、すでにそのファイルを作成したソフトウェアが販売されていないということは十分ありうる。その場合、符号化形式やファイル形式がわからなければ蓄積されていたとしても、読むことができない。
さらに、媒体の劣化防止のため転写においても、データ圧縮の不可逆性による劣化の問題がある。転写時に別のデジタル化方式に変えようとした場合、画像を一旦復号して、それを新しいデジタル化方式で記録する。その場合に再度圧縮をすることになるが、その時に、情報欠損が累積し大きな劣化となる可能性がある。動画でも圧縮方式がデジタルビデオテープとDVDで異なるため、何度も交互に転写していくと画像は目に見えて劣化していく。
この他にも、著作権保護のためにデータに暗号化が施される場合があるが、将来何らかの原因でその暗号を復号する鍵が失われると、データはあっても内容を見ることができなくなってしまう。
このように博物館や美術館の資料のデジタル化蓄積は、多くのメリットを持ち、情報技術の進歩により実用性も高まってきたが、同時に解決しなければならない問題も明確になってきた。それらの問題に対してどう対応するかだけでなく、将来に大きな禍根を残さないためにも、基礎からのデジタルアーカイブの方式固めを今こそ行わなければならないのである。
利用
デジタルアーカイブには、資料の情報の長期にわたる保存という重要な目的があるが、情報がデジタル化されることで、従来にない積極的な利用が可能になるという利点も生じる。資料のデジタル化や蓄積には費用がかかるが、資料情報の利用をもっと便利に、より多くの人に提供できれば、デジタル化した意義はさらに高まる。
デジタルミュージアムでは、本物と仮想空間内の展示とを相互に関係づけることにより、「展示の強化」を目指す。いくら精密な写真でも本物の資料に優るわけではない。本物が展示されているなら、そこで仮想空間内の展示を一緒に見ることができるようにする。本物の展示では見られない裏側やレントゲン画像を見たり、詳しい解説、背景説明、関連資料を参照できるようにする。館内であれば、高速な無線ネットワークで結ばれた小形の携帯端末──PDMA(Personalized Digital Museum Assistant)や、展示物に付随したキオスク端末で仮想空間内の展示にアクセスさせる。従来のパネルなどによる解説の掲示では解説は一辺倒になってしまうが、PDMAやキオスク端末を使えば、来館者に合わせた解説が可能である。たとえば子供向けの解説や外国語による解説、高齢者向けに大きな文字で見せるということもできる。見る人一人一人のためのミュージアムの実現ができる。
一方、見る人一人一人に合わせた対応ができるミュージアムということは、裏を返せば博物館が個人を認識し、関心構造や身体属性や利用履歴などの個人情報を収集するということにほかならない。個人情報も多角的利用することで、さまざまな場面でより高度なサービスが行えるわけであるが、当然その情報の管理には責任が伴う。そのため、情報セキュリティが、今後のデジタルミュージアムにおいて必須となっていくであろう。
しかし一方、博物館のように開放的で、情報管理の専門家といえない人員が多くを占める組織で、これらのプライバシー情報を安全に管理し、同時に正当な多角的利用を行えるようにすることは困難であるという現実がある。コンピュータに詳しくなくても容易に利用できる、汎用ネットワークセキュリティ技術が求められている。これは、博物館に限らずコンピュータ社会において重要なインフラストラクチャーとなる技術であり、われわれの研究室でもeTRONと呼ぶネットワークセキュリティのためのトータルアーキテクチャを研究開発している。
先に述べたeTRONと呼ぶ汎用ネットワークセキュリティ技術を利用すると、仮想空間に作ったミュージアムのネットワーク経由の利用に対して課金をしたり、画像情報などの商業利用などに対する対価の決済をネットワーク経由で安全に行うこともできる。一般にはインターネットなどのネットワークはセキュリティに関して保証がされず、つねに盗聴、改竄、なりすましなどの危険にさらされている。このようなネットワーク基盤においてもeTRONを利用することにより安全に、確実に取引を行うことが可能である。ネットワークと自動化により事務手続き費用などの間接経費を限りなくゼロに近づけることで、従来は非現実的であったような少額課金も可能になり、それにより多くの利用が行われれば博物館の維持費用の一部を賄うことができるようになる。この結果展示の内容が充実されれば利用者も増えるというように良循環をつくることができ、文化的にも貢献が可能となる。
ネットワーク環境は着実に進歩しており、ブロードバンド化が進めばより大量の情報を利用した仮想博物館を作ることも可能になる。一方、だからこそ博物館や美術館は実際の館内でももっと魅力ある展示に努力を払う必要がある。博物館や美術館に実際に足を運ばなければ見ることができない「本物」の展示品の見せ方や、触れたり動かしたりすることができる体験型の展示により一層の充実が求められる。デジタルミュージアムは決して、博物館や美術館を仮想的なミュージアムにしようというものではない。仮想的なミュージアムで興味や知識が広がれば、本物を見に行きたくなる。本物を見れば、その背景情報が知りたくて仮想的なミュージアムにアクセスする──このように、デジタルの世界と現実の世界が相互に補完し、より良いミュージアム体験をより多くの人にしてもらえる。それが、デジタルミュージアムの理想なのである。
(大学院情報学環教授/情報科学)
Ouroboros 第16号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成14年1月10日
編集人:西秋良宏/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館