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フィールドレポート

シリア国立アレッポ博物館の常設展示

西秋 良宏


アレッポはシリア・アラブ共和国第二の都市である。首都ダマスカスからは北に350kmほどのところにある。人口は約300万、シリア北部の政治経済の中心地として古くから栄えてきた町だ。2001年の夏、シリアへ発掘に行った際、ここの国立博物館の常設展示室の一角に私たちがかつて発掘した遺跡の出土品を展示してきた。

 この博物館は第一次大戦後、フランスの委任統治時代に建てられた。2階建ての展示場の総面積はざっとみたところ我が総合研究博物館の数倍を優にこえる。たいへん大きな歴史系博物館である。玄関からはいってすぐ右側が先史時代展示室になっている。世界最古の農耕遺跡の出土品やメソポタミアの古代文明を伝える貴重な品々が展示されているとはいえ、多くは数十年も前に施工されたもので、ラベルが剥がれたり、貸し出した作品が戻されていなかったりで、正直言って、かなり荒れていた。そのため、近年、シリア北部で発掘している外国調査隊のいくつかに博物館側が呼びかけ、最新の発掘成果でもって展示の模様替えをしようということになったのである。私たちのチームにも声がかかった。

図1 アレッポ博物館の外観(下釜和也撮影)

 大学院に入ったころから数えるともう20年近くもシリアに通っているのに、発掘の成果を現地の人たちに知ってもらう試みはほとんどしてこなかった。絶好の機会なので、すぐさま応じたのは言うまでもない。

 対象となったのはテル・コサック・シャマリという遺跡の発掘品である。ユーフラテス川の上流に建設されつつあったダムの水没予定地にあった遺跡だ。1994年から1997年まで掘った。この遺跡の目玉は紀元前5000年頃の土器工房である。火災があって、土器製作場や土器保管庫がそっくりそのまま埋もれていたのである。圧巻は土器保管庫だ。総数200個にもなる作りたての美麗な彩文土器が瓦礫の下に埋もれていた。これほどの一括資料が出土したのは、この地域では初めてのことであり、(専門家の間では)少々、話題にもなった遺跡である。

図2 テル・コサック・シャマリ遺跡で出土した彩文土器
図3 製作中の展示ケースと大工さん。
この後ケースを半分に切った。
 展示が実現するには実は紆余曲折あった。電話や電子メイルはもちろん使えない。しかも郵便事情の悪いお国柄である。行方不明の手紙が連発して現地の担当官とのやりとりに苦労した。展示物はアレッポにおいてあったからよかったが、問題は展示スペースである。博物館側が予定しているケースの大きさがはっきりしない。最初、連絡があった時には幅4mで高さ3m、奥行き1mのケースを4つ使ってくれとのことだった。かなり大きなスペースだ。そこで文字や写真を配置した90cm角の大形パネルを日本で12枚も用意した。さてこれをどうやって持参しようかとメンバーと相談していたところに突然連絡があった。幅4mのケース2つに変更してくれという。連絡があったのが我々のフライトの4日前。そんなに急に修正できるわけがない。結局、準備したパネルを日本においたまま出発した。現地を自分で確認してから、後からやってくる他のメンバーに連絡し作り直すことにしたのである。

 ところが現地に着いて、私たちに与えられた展示場をみたら、先史部門室のほぼ中央。ベストポジションである。だだっ広い空間に細長い展示ケースはいかがなものか。結局、担当のシャッバーニさんと相談のうえ、自分たちでケースを設計し市内の大工さんに作ってもらうことに決めた。平面が3mx2mで高さ70cmのステージを作って、上を高さ1mのガラスの箱でおおうものだ。ステージの上には土器保管庫で出土した土器をずらりとならべ、保管状況を再現してみようとしたのである。そしてケースの四隅には超大型の土器を一点ずつ裸展示する。ステージの下には展示しきれない標本を保管できる棚も設計した。なかなかいい案だと思ったのだけれども、今度は私たちの描いた図面が担当の設計技師さんになかなか理解してもらえない。らちがあかないので、同行した学生諸君とケント紙を買ってきて1/10のマケットを作って見せた。少々悪のりして展示物や来館者の模型まで添えてみた。

 これならみんながすぐ理解してくれた。しかも大工さんはなかなかの腕利きだ。あっという間に板材をそろえて、作り始めた。骨格ができあがり、後はガラスをはめ込めば完成というところまで来て、またしても問題発生。展示ケースが大きすぎて工房から出せない!途方にくれた私たちを横目に、大工さんがどうしたかといえば鋸でケースをまっ二つに切り始めた。細長い支柱まできれいに縦に切った。全てを半分にして博物館に運び込み、そこで接着し、化粧板で接合部を隠し塗彩して完成。あまりの大胆さと作業の素早さには舌をまいてしまった。

図4 完成した展示

 この年、私たちが発掘地としていたのはイラク国境に近いハッサケ市である。アレッポからは車で片道5時間もかかる。一月半の滞在中、そんなやりとりのため、この道のりを4回も往復するはめになった。新しいケースにあわせて製作し直したパネルも後発の地理班が無事運んできてくれた。かなりの強行スケジュールだっただけに、完成のよろこびもひとしおだった。無駄になった例の12枚の大形パネルのこともその頃にはすっかり忘れていた。

 展示の説明文はアラビア語を主にしてそれに英語、そして日本語の訳をつけた。アレッポ博物館の来館者にヨーロッパ人が多いのはもちろんだが、国別に集計してみれば、実は日本人来館者は上位5ヶ国にはいるのだそうだ。遠いアラブの地で日本語に接するのもささやかな驚きではなかろうか。逆にシリアの人たちが日本に接する数少ない機械にもなることだろう。

 2001年11月12日には総合研究博物館に小石川分館がオープンした。私たちの研究チームにしてみれば、一足先にアレッポにも分館ができたような思いである。中東屈指の巨大博物館の一角の小さな展示スペース。これを大事に育てていきたいと思っている。

 

 

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(本館助教授/先史考古学)

  

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Ouroboros 第16号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成14年1月10日
編集人:西秋良宏/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館