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この研究では、たとえば「古事記」に現れる“和邇”・“赤海魚”・“志毘”などはどんな魚か、またその後どのように変遷して今日用いられている和名(標準和名)になったかを調べようというのである。「古事記」以降の代表的な文書の中の魚名を一つずつ当たっていくのであるが、江戸時代では50近い図譜も調査した。ここでは、「魚名の由来」の研究の中から、図譜に描かれた魚の査定時、(魚類分類学専攻として)特に興味を引かれた“鯛の九つ道具”を紹介したい
戸時代に数多く作製された魚類図譜は、ほとんどが外形を写生した(そして彩色した)ものであった。しかしながら、大変珍しいことに、後期に出版された岩崎潅園 の「養浩館魚鳥図」(1820〜40年)(図1)、奥倉辰行 の「水族四帖」(1850年頃)と「水族写真」(1857年)(図2)には、鯛(マダイ)の体全体の骨格図があり、さらに大龍・小龍・鯛中鯛などと称する「鯛の(九つ)道具」の図も描かれている。以下、「水族写真」の“鯛名所之図”に従ってそれぞれの「道具」を紹介する。
三ツ道具((前から)鍬(くわ)・鎌(かま)・熊手(くまで)):上神経棘
鯛石(たひせき):扁平石
耳石は、礫石・扁平石・星状石からなるが、ふつう扁平石が最も大きく、単に耳石と呼ぶ場合には扁平石を指す。図譜にある耳石も大きさや形から判断して扁平石である。耳石(器)は聴覚や平衡感覚に関係するが、奥倉(「水族写真」)が「凡て石大なる魚ハ浮バず又驚易し、是魚の心なり或云耳なり」と記している点は興味深い。
大龍(だいりゅう):前鋤骨・上篩骨・側篩骨(1対)・副蝶形骨
前鋤骨を龍の口、上篩骨と1対の側篩骨を頭、そして細長い副蝶形骨を胴に見立てたのであろう。眼に当たる部分は側篩骨にある孔で、第I脳神経(嗅神経)が通る。
小龍(こりゅう):準下尾骨
龍の髭に相当する部分は左右一対の下尾骨側突起である。
鯛中鯛(たいちゅうのたい):肩胛骨・烏口骨
「タイのタイ」ともいう。「タイ」の眼に当たる部分は肩胛骨にある孔で、胸鰭に分布する神経が通る。
鍬形(くわかた):第1神経棘
真骨魚類では第1神経棘は椎体と癒合したりしなかったりするが、マダイでは癒合しない。
竹馬(ちくば):第2尾鰭椎前脊椎骨の血管棘
マダイなどスズキ目魚類では、第2と第3尾鰭椎前椎体と血管棘は一般に癒合していない。
鳴門骨(なるとほね):肥厚した血管棘
血管棘が肥厚したもの(hyperostosis)で、まれに見られるものである。「養浩館魚鳥図」には「魚ニ依無モアリ」とある。奥倉の2つの図譜にもこの引用と思われる記述がある。「本朝食鑑」(人見必大、1697)に「—俗に、鯛が阿波の鳴門の急灘を乗りきると骨が労れるので瘤が出来るといわれている。はたしてそうなのか、未だわからない。」とある。また、「養浩館魚鳥図」には「此骨二モ有亦二三モ有鳴門ヲ超ルコトニ骨ヲ生ト云」とある。明瞭な「瘤」の数は2から3がふつうであるが、時には4以上のこともある。「瘤」はいろいろな海域のマダイにみられるもので、名称の由来にもなった、鳴門海峡を通ると生じるというような、「瘤」の出現に地域性はないと考えられている。
鯛之福玉(たひのふくだま):等脚類の1種タイノエ
口腔に寄生するが、全てのマダイに寄生しているわけではない。「養浩館魚鳥図」と「水族四帖」にはなく、「水族写真」にのみ描かれている。
奥倉(「水族写真」)には、「古來より」“鯛の九つ道具”を持っていると、「物に不自由な」く、「又福禄を得る」とあるが、まだ試したことはない。
(本館協力研究員・おさかな普及センター資料館長/魚類分類学)
Ouroboros 第15号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成13年10月19日
編集人:西秋良宏・佐々木猛智/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館