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エトルリア考古学に魅せられて

シュテファン・シュタイングレーバー


筆者
モンテラーノ(ヴィテルボ県)。凝灰岩に彫り出されたエトルスク製玉座に腰掛けた筆者。

考古学との出会いは大変古く、子供の頃から両親に連れられて、フォロ・ロマーノやティポリのハドリアヌス大帝別荘跡、あるいはフィレンツェ近郊のフィエーゾレの劇場など、ローマ時代の有名な遺跡やモニュメントを次々と見学したものでした。ニュ-ルンベルグのギムナジウム時代、考古学への興味が募る様々な体験をしました。14歳の時初めて、ヴュルテンベルグ地方で行われたローマ辺境防壁の発掘に参加しましたが、その2年後にはフランケン地方タールメッシングで、ハルシュタット時代の埋葬地(前8-前6世紀)を掘りました。ギムナジウム最後のクラス旅行では、ローマとその周辺地域を2週間にわたって訪ね、その時、タルクィニアのかの有名なエトルリア壁画装飾墓も初めて見学したのです。

大学時代は、ミュンヘン、ケルン、ボン、ローマの各大学で、エトルリア学、古代史、先史学を専攻しました。その間に私の興味は、ローマ以前の古代イタリアの文化、中でもエトルリアの美術と文化に集中していったのです。エトルリア人は、前8/7世紀から前3/2世紀にかけての古代イタリアの歴史に大きな足跡を残しましたが、イタリア中西部を占めた定住地を中心に、墓建築、葬祭絵画、金細工、ブロンズ工芸の分野においては優れた美術工芸品を生み出しました。

1977年、ケルン大学に博士論文“エトルリアの家具”を提出し学位を得た後は、長い伝統を誇る、ローマのドイツ考古学研究所に就職し、写真資料課の主任を務めました。エトルリアの歴史地誌についての単行本“Etrurien-St外字dte, Heiligt外字mer, Nekropolen(ドイツ語版1981、イタリア語版1983)はこのローマ時代に書いたものです。

ミュンヘン大学、続いてマインツ大学で教鞭を執った1982年から1994年にかけては、毎年数カ月にわたって主にローマ、エトルリア、南イタリアで研究生活をおくり、南イタリアではプーリア地方を中心に、ローマ以前の墓建築、葬祭絵画及び風俗についての研究を始めました。長年にわたるタルクィニアの地下墳墓とその装飾壁画(前6-前2世紀)についての研究は、エトルリア壁画の集大成的記録を目指した“Etruskische Wandmalerai (1985)”の出版で最高潮を迎えました。この本は、岩波書店の企画により、日本、イタリア、ドイツの研究者の共同執筆により、4カ国語で刊行されたものです。

バルバラーノ・ロマーノ(ヴィテルボ県)の町。
筆者の書斎がある。
ノルキア(ヴィテルボ県)。
エトルリアの岩窟墓(紀元前4-3世紀)。
トゥスカーニア(ヴィテルボ県)。
エトルリアの家型岩窟墓
(紀元前6世紀前半)、柱廊付き。
タルクィニア(ヴィテルボ県)。
エトルリアの部屋型墓
(紀元前5世紀前半)を飾る踊りと
音楽の情景のフレスコ画。

日本との関係が生まれたそもそものきっかけは、1973-74年のローマ大学留学時代の仲間の日本人留学生と後に結婚したことにあります。1977年の初めての訪日以来、何度も日本を訪れて、ここの研究者や研究期間と接触を深め、講演しました。1994年10月に東京大学文学部の招聘を受けて来日して以来、この4年間は古代地中海圏の考古学について講義してきた他、毎年夏タルクィニアの沿岸地域で行われる青柳正規教授主宰のローマ時代の別荘跡発掘(前1-後5世紀)チームにも参加しました。過去、客員としての短期集中講義は、イタリア、USA、オーストラリア、ニュージーランドで行っています。

この先2年間は、エトルリア及び南イタリアの考古学に関する研究と発表をさらに進めるのと同時に、日本の美術館や様々なコレクションに収蔵される古代地中海美術工芸品を調査記録し、少しずつ発表したい所存です。さらに、出来ることなら、ヘレニズム絵画(前4世紀末-前1世紀)についての国際研究会(於:東京大学)の計画や地中海圏のことに興味深い地域の新しい出土品、発掘、及びその方法についての展覧会(於:総合博物館)の計画を進め、講義も続行したいと願っております。私の重要な任務は、日本の研究者及び学生をヨーロッパ/西洋の同僚及び研究機関に紹介し、国際交流をますます推進し、確立することと考えております。

考古学的に最も好きな地域は、古代の南エトルリアに当たるトゥッシャ一帯です。ここの風土は、まだ殆ど手つかずの自然と凝灰岩の地質に特色づけられ、深い峡谷、美しい火口湖、密林のように生い茂る植物、美味しいワインやこの地ならではの親しみ深い人々など、魅力に富んでいます。エトルリア人は前6世紀から前2世紀にかけて、凝灰岩壁から見事な岩窟墓を彫り出しました。ときどき見られる神殿ファサードをかたどった墓は、小アジアにある同様の墳墓を想起させます。岩窟墓の最も重要な例証は、ブレーラ、サン・ジュリアーノ、ノルキア、カステルダッソ、トゥスカーニアに残されています。

バルバラーノ・ロマーノは、この美しい田園地帯の真っ只中、凝灰岩の台地に築かれた古い小さな町で、約740年前、スウェーデン王グスタフ・アドルフ6世の率いる考古研究チームが南エトルリアで発掘活動を展開した際、しばしば立ち寄ったところです。私にとって25年来、何かと縁の深い町で、最近ここに考古関係の蔵書や写真資料を集めた書斎を作りました。バルバラーノを起点にすると、周辺のネクロポリスや岩窟墓を訪ねて散策したり、タルクィニアの壁画装飾墓や東大の発掘地を訪問したりすることができます。ローマへ出るのも短時間の道のりです。

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(本館客員教授/古典考古学)

  

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Ouroboros 第6号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成10年10月1日
編者:西秋良宏/発行者:林 良博/デザイン:坂村 健