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東京湾学生実習と昔の地図

茅根 創


東京東南部 東京東南部
図1 「東京東南部」平成6年修正の5万分の1地形図。
国土地理院作成発行。
図2 「東京東南部」大正11年修正の5万分の1地形図。
陸地測量部作成発行。国土地理院の地形図とは10秒(約250m)だけ東にずれているが、ほぼ同じ範囲。中央上(北)が江戸川河口三角州、左下(南西)が多摩川河口三角州。左上の5つの島は、江戸を異国から守る砲台を置くために人工的に築造された台場。

フィールドレポートに、私の研究対象である南の島のサンゴ礁ではなく、東大から車で30分の東京湾でやっている学生実習を紹介したい。葛西臨海公園沖で、学生実習を始めて4年になる。理学部地理で学部実習を担当することになり、私は大いに困惑した。地理学は現場の学問だから、現場で観測や測定をやらせたい。しかしサンゴ礁に学生を連れていくことは難しい。悩んだ末、青く澄んだ海とは正反対、茶色く濁った東京湾を実習の場にすることとした。

実習では、水質、生物、底質の観測・測定手法を身につけるだけでなく、これらの因子が干潟・海岸という場で密接に関係し合っていることを理解し、こうした相互関係と人間活動との関わりを考えることを目的とした。実習の初回では、実習地の本来の地形条件と人為改変の歴史を知るために、地図を用いた作業を行なう。先ず、最新の5万分の1地形図「東京東南部」を配布する。地図の中央上に実習地点である葛西臨海公園、左上に臨海副都心、左下に羽田空港がある。私は「同じ東京東南部の大正11年の地図がある。当時の海岸線を書き入れなさい」と学生にクイズを出す。皆、思い思いの線をひく。正解のコピーを配布すると、ほとんど陸のない昔の地図に驚きの声が上がる。

次に、この間に作成された「東京東南部」とその北の「東京東北部」の地図5セット(大正11年、昭和5、28、49年、平成6年)のコピーを時代ごとに貼り合わせ、市街地はピンク、工場は青、農地は黄色など、土地利用を色鉛筆で塗り分けさせる。時代とともに埋め立て地が広がり、高度成長期を境に江戸川の東が一気に水田から住宅地に変わる様がはっきりとわかる。実習地点が、もとは江戸川河口三角州の干潟だったこともわかる。

これらの地図はすべて博物館地理資料部門が所蔵しているものである。昔の地図によって、本来の自然条件や都市化に伴う海岸線や土地利用の変化を知ことができる。地理資料部門では、国内3万枚、国外2万枚というぼう大な数の地図を所蔵しており、これらはすべて、位置や縮尺、作成年代ごとに整理され、4冊の目録として出版されている(資料館標本資料報告、8、23、29号、印刷中)。こうした地道な努力の積み重ねがあってこそ、教育や研究に利用することができる。

東京東南部
図3 船上の実習の様子。

地図作業や海水測定の練習を行なった後、メインイベント葛西沖の現地実習である。学生を順に小船に乗せ、葛西沖とディズニーランド沖で、海水の溶存酸素を測定したり、海底の泥をとって生物をふるい分けたり粒度を分析する。舞浜のホテル群やシンデレラ城を海から見るのは新鮮で、皆一様に興奮するが、やがておし黙ってしまう。船上で海水を処理したりデータを記録している内に、学生の半数は船酔いで気分が悪くなってしまうのだ。私からすると穏やかで凪いだ海でも、学生の三半気管には辛いようである。船底にうずくまった学生を何とか励まして実習を終える。

葛西臨海公園沖には干潟本来の地形が残され、豊富な酸素によってアサリやゴカイなど予想以上にたくさんの生物が住んでいる。これに対してディズニーランド沖は、埋め立ての土砂をとるために深く掘り込んだために、無酸素で硫黄臭のするヘドロの海で生物もほとんどいない。陸上からはわからないこうした違いが、地形や水質によってどのように生み出されているかを理解させる。ちょうど諌早湾の干拓が話題になっているが、干拓には心情的に反対している学生も、自分たちがデートで行き疑似自然体験もできるディズニーランドが実は干潟が埋め立てられたもので、その前面が今は死の海であることを知り、海岸環境の機能と人為的壊変を足下の問題としてとらえられるようになれば、実習は成功である。

この機会に、本実習を支援して下さっている地理の栗栖技官、芙蓉海洋開発、東京医薬専門学校、東京都港湾局の関係各位に心から感謝します。

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(大学院理学系研究科助教授/本館地理部門主任)

  

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Ouroboros 第6号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成10年10月1日
編者:西秋良宏/発行者:林 良博/デザイン:坂村 健