ノルウェーから寄贈されたBirkeland教授の胸像 |
この度、ノルウェー大使館からビルケラン教授の胸像が東京大学に寄贈され、総合研究博物館に収蔵されることとなった。ビルケラン教授(Kristian Olaf Bernhard Birkeland)はノルウェーの世界的な物理学者で、オーロラに関する研究で名高い。オーロラジェット電流の存在を予想し、その存在が確認されたことから、「ビルケランド電流」の名が冠せられている。Birkeland教授をノルウェーが誇りにしていることは、教授の肖像が描かれた紙幣が発行されていることにも現れている。
東京大学理学部名誉教授の福島直先生は、理学部広報(28巻3号)に[紙幣に登場した「B教授」]という記事を書かれている。その中で「Birkeland教授の肖像が描かれた新紙幣が1994年にノルウェーで発行された。ノルウェー王国が1905年にスウェーデンから分離独立した当初の財政的苦境を、Birkeland教授案出の空中窒素固定法を利用して製造された人工肥料の輸出が救った。従って、当時のノルウェー経済を支えた恩人として彼の肖像が新紙幣に登場したと解釈するのが自然であろう」と、述べておられる。
このBirkeland教授と、今回の胸像の東大への寄贈を結びつける縁は、寺田寅彦の随筆「B教授の死」にある。この随筆は、寺田寅彦が昭和10年7月に雑誌「文学」に発表したもので、Birkeland教授が大正6年6月15日に上野精養軒附属ホテルで睡眠薬の量を誤って死去した事件をもとに書かれた随筆である。N国K大学の高名な物理学者B教授は、突然、東大を訪問し関係者を驚かせる。が、上野のS軒附属のホテルに部屋を世話されたB教授の体調は勝れない。呼び出された寺田寅彦に、B教授は、「軍事上の発明を某国へ売り込んだが採用されなかった。それ以降、スパイの気配を身辺に感じていたが、ここにきて、やっと気配がなくなった。」と語った。その翌日、ホテルからの連絡で、B教授が、亡くなったことを知る。ベッドの傍らに、睡眠薬の袋が転がっていた。寺田寅彦が、事件後18年たって、随筆にした心境は、伺い知ることはできないが、心に焼きついて離れなかった出来事であることは、推測される。
このような、当時の世界情勢をバックに、寺田寅彦の随筆で描かれた「B教授」Birkeland教授の胸像が東京大学総合研究博物館に収蔵され公開されることは意義深いことと信じる。博物館収蔵にあたってご尽力いただいた、ノルウェー大使館の関係各位、東京大学大学院理学系研究科地球惑星物理学専攻の福島直名誉教授、寺沢敏雄、山形俊雄両教授に謝意を表します。
(本館教授/バイオ鉱物学)
Ouroboros 第6号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成10年10月1日
編者:西秋良宏/発行者:林 良博/デザイン:坂村 健