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博物館

——パースペクティヴをずらすだけで劇的な変化がおこるであろう

セルジオ・カラトローニ


「Salgassum」
Dolziel & Scullion作「Salgassum」
“Scuola di San Pasguale”出展(Venice、1995年)
 
(無題)
Angelo Savelli作(無題)
“Italian Pavilion”出展(Venice、1995年)
 
「Sculpture in fabric」
Roberto Capucci作「Sculpture in fabric」
“Italian Pavilion”出展(Venice、1995年)
 
「The Gothic Arch」
G-B.Piranesi作「The Gothic Arch」
“Carcere XIV”1761年より転載。
 
博物館は遊園地ではなく、純粋無垢なカテドラルでもない。博物館は、歴史の中で、美術の守護神を象徴するミューズの神殿として、今日まで伝えられてきた。柱廊、正面の大階段、ティンパヌム、大理石、宝石、ゼニスを通してさしこむ光、そして静寂は、閉ざされた聖なる知の領域としての博物館に、独特の雰囲気を与えてきた。しかし、人の心が時とともに移りかわってきたように、これら博物館を象徴する要素の意味も変化してきたのである。過去の数世紀の間にまとめあげられた表象体系は、今やその均衡が崩れつつある。

70年代には、のちには粗野で非人間的であるとみなされたリアリズムの到来とともに、博物館は、様々な暴力的なプロジェクトの格好の餌食となった。実利的で、自己表現に躍起になっている社会そのものの攻撃的な体質がさらけだされたのである。つまり、博物館という知のイコンに投資しそれを運営管理するということは、文化的に高度に発達した社会にとって、いわば世論を左右する力を得るということを意味するのである。事実、博物館という建造物のイメージは、博物館を支える行政側の戦略において、必需品のひとつとなっている。政治的な思惑のからまない建築は存在しない。博物館の建築を計画する際にはかならず、博物館を必要とする社会そのものの財政状態を長い目で見きわめねばならない。建築においては偶然とか適当といった要素は存在しえない。出資者が富めるか貧しいかにかかわらず、博物館は結局は公共のものとして残るのである。

80年代には、貴重な公共空間を回復する可能性や、人に見せるための建築という考えや、権力の自画自賛の欲求や、テクノロジーへの相当な依存、といった諸要素が、博物館建築に新しい道を開くこととなった。互いに本質的に異なるプロジェクトや哲学が増殖するなか、公共部門への投資は経済成長の波にのって急上昇し、博物館は変貌をとげた。博物館はもはや、単に過去の場所ではなく、未来や未だ実現されない夢を託す場所ともなったのである。文化は、明らかに新しい顔を求めており、その結果、文化的な競争においては、利害の衝突のなかをかきわけ、そこから一歩前へ出るために、新しい武器が用いられるようになった。博物館はこうして、新しい社会から生まれてくる欲望や思想の仲裁役として、新たな主人公となったのである。そうして、博物館の建築上の外観が、巷に横行する文化の自己顕示癖と完全な共存関係にあることが明らかになった。今日、表現行為を成立させる新しい生態系とでもいうべきシステムにおいては、その表現行為がいかなる説得力をもち、人々の同意をいかに広く得られるかが、根本的な問題なのである。そういった説得力が、イマジネーションを現実に形にする力となり、その力が、たとえば博物館という表現手段を得て、たんなる情報を悦びに結び付けるのである。この傾向は、地味なものではあったが、90年代の前半まで続いた。

現代の博物館は、伝統の歴史的制度的遺産からなんとかぬけだそうとしている。つまり、知を保存しているだけの凍てついた祭壇から宣われるようなイデアのレトリックからぬけだし、新たな実験主義の領土を回復しようとしている。システムとして正統性を得た慣習から自由に、より広範な方法論や関連性を回復しようとしているのである。それは、博物館自体が芸術作品−芸術を収容する芸術作品−であるという、重要な役割を回復することであり、唯一性と理想郷としての場所を運営管理する権利をかちとることである。要するに、博物館は今、それ自体が表現主体となり、独自の言語を獲得しようとしているのであり、そのために、その独自の言語がおびやかされるような、複雑で、危険な状況へと踏み込もうとしている。それはたしかに危険ではあるが、同時に刺激的な領域である。そうして博物館は、フォルムや方法や関係という概念を練り直そうとしているのである。博物館はたんなる陳列のための建物、新しいテクノロジーの玩具であってはならない。そうではなく、修正や変更を、自他ともに加えることができるようなダイナミックな思想として、それ自体が実験室であり作品であるようなものとして、存在すべきなのである。

夢を語る能力を獲得すること。知と感情をひとつにして博物館が整理する諸作品の一大集成を通して、想像力に正当性をあたえること。そんな途方もない冒険を、現代の博物館は実現したいと望んでいるのである。

しかしながら、即興的な修復のジャングルのような状況からぬけだすには、美しいイメージや優れた意図だけでは不十分である。新しい空間を創造するときは、同時に新しい境界線がひかれるものである。創造のためには破壊せねばならない。しかしその際、博物館建築という目的を遂行する人、あるいはそのために用いられる作品は、その目的に仕えつつも、その予定された機能のコンセプトを変化させる義務を負っている、という希望を忘れてはならない。このことのなかにこそ、芸術作品の力の持つ限界と偉大さがあり、博物館は今、それ自体がそうした芸術作品になろうとしているのである。このように、パースペクティブをちょっとずらしてみるだけで、驚くべき変化があらわれるかもしれないのである。

建築においては、因習的な解決がもっとも安全であるが、それは同時に、いかにもかわりばえがせず、不毛このうえない。今日の建築家たちは、場所と作品との、また、空間と作品のコンセプトとの相互作用を重視するような新しい表現方法を模索している。しかしこうした必要に応えるためには、おきまりの方法として普及した標準を追求しても、そんなものは存在せず、どうにもならない、ということを最初に明らかにしておく必要がある。げんに、博物館の内部の、柔軟な、いわゆるあそびの空間についての理論には、難しい問題を避けて近道をとろうという意図が見えるばかりである。こうした理論が、博物館の空間の不毛化を促進したのである。一方では無意味なあそびの空間が広がっているかと思えば、また一方では、過度に抽象的で、美的センスに欠けるばかでかい設備でごてごてと飾りたてるしまつである。その上懸念されるのは、博物館のシステムの周縁においやられ、忘れられた、あるいは心もとない整理しかされていない大量の作品には、いったいどのような運命がまちうけているのか、ということである。

ひとつの解決方法は、空間−作品−場所の相乗作用から生じる、未だ生かされていない、潜在的な物語る力をひきだし、作動させるために、建築家とキュレーターと博物館という機関との間に照準をあてた調査をすすめることである。このようにして、博物館という巨大なタンクは、人々の集団的想像力を潤しはじめるだろう。芸術作品はしばしば、異議申し立ての記録であり、一つの限界の表明、すなわち一つの考え方の偏狭さの表明である。博物館の整然としたたたずまいのなかで凍りついた、熱い感情のかたまりである。このことは、現代芸術にとって明白であるが、じつは現代芸術にかぎったことではない。

博物館という場の魔術を再活性化せねばならない。建築はその霊媒をもっている。芸術はこうして、空間の共犯者へと変貌し、空間は芸術の共犯者へと変貌する。現代の新しい博物館は、豊かであると同時にもろく、確かでありかつ矛盾をはらむ生きた有機体として追究される。変化をつかみ、予測し、新しいものも古いものと同様に解釈し伝える場であり、様々な出来事が生起し、探究がなされる場であり、活発な批評の場である博物館は、収容する諸作品をたんに陳列するだけではなくそれらを解釈するのだ。それは自己を確認し、討論を交わし、情報を比較する場なのだ。

新しい博物館は、質の高い建築空間であり、質の高い思想を提出する場でもある。思想と言語を生み出すことの出来る新しい博物館。われわれは、すべてはこれから始まろうとする大冒険のスタート地点に立っているにすぎない。文化の偏狭な植民地化を拒むフロンティアとしての博物館の新しい時代にむけて。精神と日常とがとけあい、活気づけあうオアシスとしての博物館をめざして。

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(本館外国人客員教授/建築デザイン学)
(イタリア語翻訳協力:大学院人文社会系研究科助手・林 直美)

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Ouroboros 第3号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成9年1月21日
編者:西秋良宏/発行者:林 良博/デザイン:坂村 健