冬季特別展 平成9年1月21日(火)〜2月28日(金)
3Dスキャナ |
まず、確認しておきたいのは、画面での情報提供と実物の展示のどちらが重要かといった議論は意味がないということである。デジタル化された情報に対して「本物」の方が重要であることは論を待たない。デジタル化は決して「本物」を不必要にする技術ではないし、ましてや「本物」の展示と二者択一的に対立するものでもない。
例えば、資料をデジタル化することは、その資料の情報が定式化されてコンピュータに納められることである。そしてそれは、名前や資料番号といったきわめて記号的な情報からだけでなく、検索可能になるということである。例えば今ここに画像データからなる陶器のデータベースがあったとする。後で述べるが、現在のデータベース技術を使えば、特定の模様と類似の模様を持った陶器をすべてピックアップするということも可能である。ピックアップしたものの情報を画面上で見ていって、その中で本当に必要なものがあれば、そのコンピュータでどこにあるかをチェックしてその「本物」を見ることもできる。単に「本物」があるだけでは意味がない。「本物」があるなら、必要な時にはそれを特定できて、それがどこにあって、どうすれば見られるかがわからなければ意味がない。そういうことをデジタル化が可能にするのである。
逆に、画面などから情報を得るだけですむ場合には、「本物」を持ち出さなくてもすむようにするということも、資料の劣化を防ぐためには重要であり、それにもデジタル化は寄与する。つまり、資料をデジタル化するということは、「本物」の有効利用を促進することでもあり、同時に「本物」の無効利用を減少することで「本物」を守ることにもつながるのである。
このような認識の上に立ち、デジタル技術をいかに活用してくか、デジタル技術をよりよく利用するには、どのようにデジタル化をし、分類整理していくのかを検討してくことが重要である。
このような議論を理解していただくために、ここで、確認の意味も含めてデジタル記録の特質について簡単に触れてみよう。
オブジェクト指向関係データベース | 小型端末のパーソナル化 | |
デジタル記録はこれに対して、情報をデジタル化する。デジタル化すれば、たとえ記録媒体が劣化しても、符号理論による冗長のある情報をつかうことにより、誤りを発見したりさらには訂正することが可能である。従ってトータルの誤り率は殆どゼロに近いものとなる。また、複製は数字列を複製すればよいので、いくらでもオリジナルと同じものを複製することができる。記録媒体が劣化しないうちに複製を行えば永久的に情報をオリジナルのまま保存できることになる。
デジタル情報の利点はこの他にもある。デジタル技術の結晶であるコンピュータを使うことにより、情報を素早く検索したり、伝送したり、必要なら加工することができる。インターネットをみてもわかるように、一旦デジタル化された情報は全世界に自由に伝送することができ、利用者側では許可があればオリジナルのままの情報を利用することが可能である。もちろん、この情報は写真をデジタル化したものだけにとどまらない。文章はもちろん、3次元情報、化学式や各種データ、音や動画なども含まれる。そして、これらの情報を整理したり、互いに関連づけて引きだしたりすることが可能となる。
コンピュータを利用して情報を管理し、整理した情報を引きだしたり、目的のものを検索するためのシステムはデータベースと呼ばれる。初期のものは使用にあたって決まり事も多く、扱えるデータも文字や数字に限られていたが、現在ではオブジェクト指向関係データベース(オブジェクト・オリエンテッド・リレーショナル・データベース: Object Oriented Relational Database)と呼ばれる柔軟性の高いものがつくられるようになってきた。これはデータベースに入力するデータをシンプルな表の形でいれておき、検索のときに複数の表を相互参照して様々な観点から必要な情報を探しだすものである。また、扱える情報もマルチメディア対応となってきており、例えば地図上の領域を指定して、その範囲にある情報を探してくるというようなこともできる。さらには、先に述べたように、似たような画像を探すといった検索もできる。
またこれらの操作はインターネットのWWWブラウザを通して行うこともでき、コンピュータの操作にあまり慣れていない一般利用者でも比較的容易に活用できる。
古地図と携帯情報端末 |
小型端末で壺の情報を見る |
デジタル技術の応用によるメリットは、このようなコンピュータの内部にある情報のデータベース化だけではない。例えば小さな電子タグを資料自体につけておくと、それをコンピュータについたセンサーで読み取ることにより、資料を特定することができる。このような電子タグを利用して、ある資料が収蔵庫の中のどこにあるかを自動認識するシステムも可能である。移動や展示のたびに電子タグをチェックしておけば、ある資料がどこにあるかとか、最後に展示されたのはいつかといった、その資料の過去を徹底的に記録し追跡することが可能になる。そのような情報があれば、虫干しのスケジューリングを自動化することもできる。
電子タグは、展示にも応用可能である。博物館の利用者にセンサー付きの小型端末を貸し出せば、展示物に近づくと、その説明が表示されるといったことが簡単にできるようになる。このようなシステムを応用すれば、従来のガラスの箱の中を覗く形式を主体とした展示から、パノラマ風に自由に展示物をならべ(レプリカを利用する必要もあるかもしれないが)、そこを自由に歩き回り、気の向くままに小型端末で説明をみていくというようなユニークな展示も可能である。さらに、大きな資料には複数の電子タグを付け、その資料の特定の場所に近づけると、さらに詳しい情報が得られるというようにすることもできる。また、個々人に合わせて小型端末を調整すれば、目の悪い人には音声で、外国の人にはそれぞれの自国語でといったように、利用者に合わせた情報提供が可能になる。
このような技術は私が「どこでもコンピュータ」とか「超機能分散システム(HFDS : Highly Functional Distributed System)」と呼んで研究を進めていたものであるが、最近では「ユビキタス(Ubiquitous: 遍在)コンピューティング」「電脳強化環境」とか呼ばれる先端分野として確立しつつある。
デジタル技術は、このように「物」を管理すること自体にも利用できる。というより、むしろいま挙げた電子タグのようなものを利用して、「物」の世界と「情報」の世界を結びつけることによって、より一層強力になるのである。つまり、コンピュータを利用して「本物」の世界を代替するというのではなく、それによって「本物」の世界を「強化」する——それこそが、デジタルミュージアムの考え方であり、代替を主眼とするバーチャルミュージアムと最も異なる点なのである。
インターネットWWWブラウザは、利用を爆発的に広げる重要なアイデアであった。ネットワークで接続された世界中のコンピュータにある情報をどこからでも見ることができるということと共に、関連情報や詳しい情報をクリック一つで読み進めていくことができる点にある。これは専門的にはハイパーテキストと呼ばれる構造であり、ちなみに東京大学坂村研究室で仕様開発を行ったBTRONではこれをオペレーティングシステムの中の情報管理機構として組み込んでいる。 ハイパーテキストは最初文章の階層構造化として登場したが、参照した先が画像であったり、音であることも可能となり、さらに汎用化した用語としてハイパーメディアという言葉が使われるようになった。先のオブジェクト指向関係データベースは、関係データベースをハイパーメディア化したものと考えることもできる。
さらに我々のデジタルミュージアムでは、このハイパーメディアのリンクに「本物」を加え、本物から情報にリンクしたり、情報から「本物」にリンクしたりできるという、より進んだハイパーエンバイロンメントとでもいうべき構成を取る。
従来の展示では「物」の資料に「物」のパネルで解説がつけられ、利用者はそれを読み取ることしかできず、さらに詳しい情報や不明点の解説は運良く専門家がそばにいて聞くことができなければ、わからないままであった。ハイパーエンバイロンメント化されたデジタルミュージアムでは、「物」から利用者の望む情報をどんどん引き出していくことができるし、逆にその情報から関連する別の「物」へ誘導されることもある。このような機能は一般利用者だけでなく研究者にも有意義であることは論を待たない。
さらに、東京大学総合研究博物館だけではなく、全国さらには全世界の博物館や研究所などが有機的にリンクされれば、世界の貴重な「本物」と「情報」が相互にリンクした巨大な「知」のネットワークができることになる。インターネット技術によりすでに技術的にはこのような博物館ネットワークが現実に可能な状況になってきている。 ここで重要なことは、資料のデジタル化をしたときにどのように表現をするのかについて、きちんと取り決めをしておくことである。現状のインターネットでは英語だけの情報なら問題なく送れるが、その他の国のことば、例えば我が国の漢字データは送れないものが多い。特に歴史的な文字については画として送るしか手立てがない。この文字コードの問題はインターネット時代における我が国が抱える最大の問題であり、我々のグループも積極的に提案を行い実際の解決に向かって研究を進めているが、文字以外にも3次元データや、素材、分類名、化学組成、地図情報等々、博物館で扱う情報には多様なものが含まれており、これがうまくネットワークで流通できるような規約を明確化することが必要である。ここではこれを博物館情報インフラストラクチャ(MII : Museum Information Infrastracture)と呼ぶが、今後のデジタルミュージアムの展開の根幹をなすものである。
我々東京大学総合研究博物館マルチメディア情報研究部では未来の博物館ネットワークの基盤技術の元となるMII構築に向け努力を続けていく決意である。
(本館専任教授/情報科学)
Ouroboros 第3号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成9年1月21日
編者:西秋良宏/発行者:林 良博/デザイン:坂村 健