山形口縁縄文土器 [中期縄文時代(約5000年前)、富山県朝日貝塚] |
キレンゲクヨウマ |
江戸時代の昆虫標本 |
シロウリガイ標本 |
ここで森の国というのは、現に森があるという意味ではない。今、畑地や市街地となっているところでも、人手を加えずそのまま放置すれば、そこはやがて森と化してしまう。つまりどこでも森になる潜在性をもつという意味で森の国といったのである。 ところで原始の森といえば、樹齢も数千年に及ぶ老木が林立した欝蒼とした森林を想い浮べるに違いない。何千年もの間、少しずつ齢を重ねて今日にいたる、安定して動きの少ない大地をそこに重ねてしまうかも知れない。だがそれは違う。 森は決して静的な構造物ではない。森をつくる木や草は生長に欠かせない光を求めて枝や葉の生長を競いあう。水や栄養分も常に十分にあるとは限らない。それよりも夏や秋に日本を襲う台風、梅雨明けの大雨が引き起す地すべり、山火事、虫害などは一瞬にして森に壊滅的な破壊をもたらす。突然に広大な荒地ができたり、森のあちこちにぽっかりと空いた隙間ができる。それはあたかも放棄した畑のようでもあるが、土地土地での条件や森を育んでいた歴史性に従って再び森へと回帰していくのである。
よく観察すれば森はそれをつくる木々や草が有機的に相互の関係を維持しているが、それは常に緊張を保った関係にあるといってよい。だが、どこでも常に森に還るという求心力をもつのが、森の国、日本なのである。
日本に暮らす人々が築きあげた文化は、このどこでも森に還るという求心力を経験的に知り尽したうえに成り立つ文化であると私は考えている。
少なくとも日本ではすべてが森に還ることが経験的に知りえる速さで進む。この森に回帰する求心力があればこそ、森は神聖な空間であるのだ。またいまも伊勢神宮に残される遷宮は老化もする生きものとしての森の特性を踏まえた儀式ではないだろうか。
ところで文化とは耕すことであり、農耕に起源をもつという。農耕のためには森林を伐採しなくてはならない。伐採し、火を入れ、切り株を抜き取り、種子を播くことを始め、人類の生産力は大巾に向上したといわれている。
手をかけて耕作しても、ひとたび休耕すれば森に還るという求心力にさらされてきたのが日本である。もし文化に地域性が考えられるとすれば、それはその地域の植生と深く関係しているといわざるをえない。日本では森以外の植生は不安定であり、しかも森自体も変遷する。ここに暮らす人々はどうしてもこうした移ろいやすさと付き合わねばならない。農耕でも切り開いた森は再び森に還るという循環を基本としている。いまなお日本の文化にはこの循環という特性が色濃く息づいているような気がしてならない。
博物館について書くべきなのにずいぶんと森のことを書いてしまったが、もう少し森に付き合っていただきたい。それは日本の森ではなく、日本と文化的に対比される西欧の森とである。とくに夏がほとんど雨の降らない地中海、氷河に覆われ土壌を奪われたヨーロッパ中部でも森はある。がどこでも森になる求心力があるかといったらそれは違う。伐採したら二度と同じ森には還らないことも多い。それどころか二度と森にはならないところもある。木の生長も遅々としている。ために森は育むものであったのだ。年々の木々の生長を長時間かけて見守る。森は時間の蓄積の産物なのである。
博物館を育んできたのは、このような蓄積の意識だと私は考えるのである。ここにひとつの問題が浮かび上がってくる。蓄積の文化が生んだ博物館は、循環の文化に育まれてきた私たちにとってどのような意義をもつのであろうか、というのがそれである。
西欧でも日本でも博物館のもととなるのは、神殿の奉物殿であった。だが片方ではそれが博物館となり、日本では奉物殿のまま今日にいたっている。こう書いてしまえば博物館が単なるモノの収蔵庫ではないことに気づかれるだろう。
しかし、私たちは単に西欧の博物館を大学の中に移入することを考えているのでもないのである。まず最初に書いておきたいのだが、大学が博物館をもつということはそれ自体壮大な実験なのである。
本博物館の前身である総合研究資料館の最後の館長でもあった青柳正規教授は、本博物館の生みの親といってよい。彼は私たちがめざすのは、しなやかな柔軟性のある蓄積文化あるいは耐久力のある循環文化を作って行くことであり、そのためにはモノと情報のバランスが重要であるという。博物館がこのデリケートなバランスをうまく取ることに成功すれば日本全体の新しい文化システムになりえるという。様々な危機に直面する人類とそれを一員とする地球上の諸問題を解決するためにはどうしても新しい文化が必要である。青柳教授によれば今まで普及力のある文化モデルを日本はつくっていないという。有限の地球生態系を視野に入れた新しい文化に向けた実験の場、それがめざす博物館の顔のひとつであると私は考えている。
ここで博物館の現実の役割を考えてみたい。前身の資料館の時代から私たちが大切にしてきたのは240万点になる学術標本である。博物館に変わっても、この標本の重要さはますます増しこそすれ、減じることはない。情報社会というものの、こうしたモノあっての情報なのである。新たな情報はモノなしには生み出し得ない。
ところで大学で行なわれている研究の中心となるものは何だろうか。私はそれを新しい考え方や概念の提起であると思っている。何故新しい考え方や概念の提起が必要になるのだろう。それはいままでにあった古い考え方や概念では説明できない多量の事実の存在が明らかになることによることがほとんどではあるまいか。つまり新しい考え方や概念の提起は、古い考え方や概念の不十分さを指摘する批判の精神と自由が欠かせないのは無論だが、これを可能にする事実の発見なしにはなしえない。その事実は多いほど効果的である。その批判の基盤となるのが標本なのだ。物理や化学のような再現性のある現象では、科学者自らが標本を生み出すことができるが、生物の進化の所産である動物・植物や文化の所産など歴史性をともなう標本となると再現性はなく標本1点1点が唯一無二の学術価値をもつ、新しい考え方や概念提起の素材なのである。
これまで日本からグローバルな視点での包括的な概念や新しい考え方の提起は、あまり積極的になされたとはいいがたい。このことは日本にこれまで同類の学術標本を徹底的に網羅した博物館がなかったことと無関係ではないだろう。私の専門の植物学でみると、欧米には日本で最大規模の学術標本をもつ本学の6倍も7倍もの学術標本を収蔵している博物館も少なくない。そういう博物館が世界の植物学のセンターの機能をはたし、新しい考え方や概念提起の中心となっているのである。これからすべてを網羅すべく、やみくもに標本を収集してもそれは物理的な限界がある。たとえ限定的ではあっても、ある群については徹底的な収集をし、世界規模のコレクションを収蔵していきたいものである。もちろんそれは新しい考え方や概念を提起していくうえの基盤となるものでなくてはならない。
大学における批判の精神を支える物的基盤、これを収蔵し研究に活用するのが博物館がまずめざすべき目標であり、これをもって私たちは大学全体の研究教育活動を支援することが博物館に課せられた第一の役割と考えている。
環境問題や人口問題など、現代社会が直面する諸問題は、これまでのような一専門領域内の個別研究だけでは解決のための処方箋を提示しえないことが多い。多くの専門領域を横断する新たな研究組織の必要性が指摘されている。大学においてもこうした諸問題に手をこまねいているわけにはいかないのは当然である。大学の博物館として私たちはどのような支援ができるのだろうか。このひとつは学術標本というモノとそれから得られた情報を介しての支援である。
学術標本はそれぞれの専門領域の研究材料として収集されたものである。したがって標本自体がもつ属性の中で分析・解析された属性は限られている。未だ手つかずに残された属性、これを標本の潜在的価値というならば、未曾有の価値を私たちは保管しているのである。しかし、この潜在的価値を活用していくには、いくつかの問題を切り抜けていかなくてはならない。第一に標本はこれを収集してきた専門領域の慣習に従って分類され整理されている。門外漢にはおいそれとは利用できない。標本からこれまでに得られた様々な情報もそのままでは専門外の利用はむずかしい。
大学における新しい研究に博物館は積極的な役割を果たすことができるのではないだろうか。それは上に記したようにこれまで専門領域に閉じこめられてきた標本と情報を、専門外の研究者や学生が利用できるように開放することを通してである。さらに標本のもつ潜在的価値の発掘を促進することを通して、新しい研究の素材として標本の積極的活用の道を開くことである。このような貢献をなすうえで私たちに課せられている未解決の問題は山のようにあるのだが労力を惜しんではならないと私は考えている。
情報化時代の今日、学術標本も標本というモノ自身とそれがもつ情報とに分けて考えてみる必要にせまられている。環境問題、特に分布の動態や環境変遷の資料として必要なのはモノ自身というよりも、標本がもつ情報、つまり何という種が、いつどこで、誰によって採集されているかという情報なのである。モノ自身を提供することばかりではなく、情報の提供、つまり情報発信のセンターとしても博物館は今日の学術研究に多大な役割を果たすことができるのである。しかも情報化の技術の進展はめざましい。こうした情報を大学内にとどめるだけではなく、広く国内外に提供することも可能である。情報のもととなった標本と合わせ公開することで、大学の研究を視覚的に公開することもできる。
長々と私の考える博物館のめざすところを書かせていただいたが、東京大学の博物館の長所をいまひとつ記しておきたい。それはこの博物館の総合性である。私たちは自然史の標本も文化史の標本もともに収蔵している。ということはこの博物館の中で、自然科学を専門とする研究者と文化科学の専門家が同居するだけでなく、一緒のテーブルで会議を行い、酒を酌み交わし学問上の談義を行なっているのである。大学広しといえども、こうした文科・理科の区別のない日常の交流がスムーズにいっている施設はそうないのではないか。
考えてみるに、博物館とはそもそもそのような場であらねばならない。モノを通じての科学には本来、理科と文科の区別はないのではないか。モノを通じて文科系・理科系の広範囲の研究者と交流ができてこそ、私の考える博物館のめざすところは現実のものとなるともいえる。そして願わくは、森の国、日本にふさわしい森からの発想にふさわしい新しい文化システムの発信の場に博物館を位置付けていきたいものだと思う。
最後になったが、博物館の基礎にあるのは学術標本である。これを安全に未来永劫に保管することを怠っては博物館はそもそも成り立たない。多くの方々のご尽力でできたこの大学博物館であるが、この基盤となる学術標本の保管の体制についてはいまだ不十分なまま残されているところもある。標本あっての博物館である。この点は将来にわたって改善していかねばならない。
(本館専任教授/植物分類学)
Ouroboros 創刊第1号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成8年9月9日
発行者:林 良博/デザイン:坂村 健