「総合研究資料館」時代には学術研究資料の収集・保存・整理までを主な機能としていたため、その管理する総数四百万点といわれる膨大な「東京大学コレクション」の価値だけでなく存在自体も広く知られてはいなかった。
そこで、豊富なコンテンツが収集・保存・整理されていればいいという姿勢ではなく、その豊富なコンテンツを積極的に「公開」し利用してもらおうということで、今までに例のない総合型の「ユニバーシティミュージアム」が設立されることになった。
他の大学博物館に多い特定コレクションの陳列施設ではなく、学部や研究所に付属した特定分野の専門博物館でもない。その名の通り、東京大学全学の資料を背景に、総合的に、それらの資料情報の整備・公開方法を研究する施設なのである。
まさに「静的」な「資料館」から、積極的に研究し公開する「動的」な「研究博物館」への進化なのである。
マルチメディアやインターネットといったコンピュータ技術の普及により、コンテンツの重要性が急激にクローズアップされている。その意味では、「東京大学コレクション」は、まさにコンテンツの宝庫であるといえる。
そのコンテンツを最新のコンピュータ技術でデジタル化することにより、博物館の持つ資料の保存・整理・公開の機能に新しい地平が開かれる。
展示ホールの情報端末 |
一般の人にとっても、より一層の理解のために展示物を触ってみたいという要求はある。壷などの立体物なら、手で触って形を確かめたいし、古書なども自由に取り出して、自分のペースでめくって見たい。古代の楽器や梵鐘なら、鳴らしてみたい。研究者なら、資料のさまざまな部位を測るなど、やはりガラス越しに見るだけでは不可能な、様々な資料へのアプローチを求めるであろう。
もちろん、資料は時間とともにどうしても傷みが激しくなり、利用の機会を制限せざるを得ない。まして、貴重な学術資料を利用者に触らせることなど、セキュリティ上からも不可能である。 デジタルミュージアムでは、このような保存と公開の要求を両立させるために、デジタル技術を活かすことを目指している。
解説なども文字のパネルによる場合が多いが、目の見えない人はもちろん弱視の人にとっても、解説が充実しているほどつらいものになる。また、外国の人にとっては日本語で書かれているということ自体がバリアになってしまう。
逆に耳や口の不自由な人にとっては、資料について質問をして答えてもらうということもままならない。 このように特定の人々を博物館の持つ情報から遠ざけているバリアを、デジタル技術により解消することもデジタルミュージアムの目標である。
その期間、その場所になんらかの理由で行けない人にとっては、これもバリアである。
東京大学の持つ学術資料をどこからでも、いつでも見られる。終わった特別展についても、あとから見られる。どこからでも、いつでも質問できる。さらには、他の博物館のもつ資料とも合せて、博物館横断的な、特定分野に関する総合展を行う。さらに言えば、一つの資料が複数の特別展のキー資料となるとき、同時に二ヶ所に展示するわけにいかないといった問題もある。
そういった場所と時間からの解放をデジタル技術とネットワーク技術により実現することを、デジタルミュージアムでは目指している。
従来の紙ベースの資料や写真は、年月により劣化し、情報が失われてしまうが、資料をデジタル化し記録することにより、半永久的に劣化せずに保存可能な情報資料にすることができる。
壷や人骨などの実物資料も、レーザー利用の3次元デジタイザや各種のセンサーにより、さまざまなデータの集合体として表現できる。
例えば一つの壷は、3次元デジタイズデータ、CADデータ、表面のテクスチャーデータといった外観再現用のデータだけでなく、X線CTのデータや、釉薬の化学分析データ、さらには図案の解説から、制作手法に関する分析まで、さまざまなデータが結びつけられ、それらのデータ群全体が関連しあった実体としてデータベースの中に「収蔵」されるのである。
このように資料を精緻に電子化することにより、源資料へのアクセスの必要性を減らすことができ、源資料を徹底的な保存管理下におけるので、将来的にも資料の傷みを最小限にすることが可能になる。
視覚情報によりかかってきた従来の博物館の枠を越えて、聴覚やさらには触覚など、広い感覚——マルチメディアで資料を「公開」する。
各所に情報端末をおき観覧者の関心の流れにそって変化する展示を行ったり、個々人の必要に応じて、使用言語を他国語に変えたり、動画像から音声までマルチメディアを利用した解説を行ったりといったことを行う。無線によってネットワーク接続する携帯型の情報端末を利用者が持ち歩くことで、館内のどこでも自由に情報検索が可能となる。
また、視覚、聴覚だけでなく、触覚による展示のためにレプリカ作製装置を導入した。これによりデジタルアーカイブに「収納」した立体資料を、レプリカとして「取り出す」ことができる。簡単に再生可能なレプリカなら、資料の破損を恐れずに自由に触ってもらえる。レプリカ作製時にもとのデータを加工することで、スケールを変えたり、微細なゆがみや凹凸を強調したりといった、理解を助けるための特殊なレプリカを作製することもできる。
さらに、博物館館内やレプリカなどに各種のセンサーとコンピュータを仕込むことで、本来の現実をコンピュータによる反応で強化するという強化現実技術を利用して、それ自身が質問に答える展示物や、注目されている部位に合せてより細かい解説を行う展示物、樹脂のレプリカが叩かれたときに陶器の硬質の音を返すといった一種のシミュレーションなども可能になる。
このようなマルチメディア展示能力は一般の人の理解を助けると同時に、いままで博物館の恩恵を受けられなかった様々の障害を持つ人々にも門戸を開くことにつながる。
蓄積した資料をインターネット経由で世界中から一瞬に検索したり、いろいろな所で同時に利用できる。
さらに、電子化の際に各種関連情報を統合してマルチメディアデータベース化しているので、音声や動画はもちろん、三次元データなどもネットワーク経由で入手できるようになる。そのため立体物上の距離を測るといったこともネットワーク経由で行うことが可能となる。
バーチャル展示により資料の利用は格段と高くなり、これらの資料を利用した研究を促進させることになろう。
このような技術革新、インフラストラクチャの整備に伴って、貴重で有用な資料をネットワーク経由で積極的に公開することは、世界に対する貢献であり、意義深いことである。
そのような博物館像を、まさに「東京大学総合研究博物館」が先駆者となって確立したいと考えている。
「東京大学総合研究博物館」という新しい組織にとっての車の両輪である豊富なコンテンツと最新のデジタル技術——その協力によりどのような可能性が開けるのか。
その可能性を「東京大学総合研究博物館」の側から積極的に知らしめることにより、学内外のさまざまな人々や組織・団体とのコラボレーションを可能にする。その中で、従来の博物館の枠にとらわれない、世界に発信するにたる新しい博物館像が生まれてくると考えている。
その未知の可能性を花開かせるために、今後とも多くの方々の、よりいっそうのご理解、ご協力をお願いする次第である。
(本館専任教授/情報科学)
Ouroboros 創刊第1号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成8年9月9日
発行者:林 良博/デザイン:坂村 健