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特別寄稿

「変わるべきもの、変わるべからざるもの」

森 亘


最近ある雑誌社から「不易流行」という題で一文を書くよう求められた。恥ずかしながら私にはこの言葉の意味するところが十分理解できていなかったので先ずは勉強せねばと思い、手初めに近くにある辞書を引いてみた。いずれにも2、3行の解説があったが、それぞれの間には若干の違いがあることも発見した。ここにその一つ、比較的分かりやすい例を挙げよう。「不易は詩の基本である永続性、流行はその時々の新風の体、共に風雅の域から出るものであるから根元においては一つであるという」(松村 明:大辞林)。

 本来は芭蕉が提唱した俳諧用語で一門が俳句の心得として広めたが、今日実際にはいろいろに解釈されていると説明されている。とにかく、こうした精神は世の中の、他の諸分野にも通じるように思われ、学問の世界とて例外ではなかろう。ところで、不易流行にたいする対語は「一時流行」とのことで(竹田 晃:四字熟語・成句辞典)、今の世の中、流行は流行でも、一時流行のほうがもっぱら幅を利かしている雰囲気である。仮に「不易」と「流行」を分けて考えるとすれば、確かに、教育・研究を主たる目的とする大学でも、これら両者は共に大切であり、それらの間の良きバランスが求められる。

文化勲章受章
森先生には本年11月に文化勲章を受章されました。先生は昭和60年度より平成10年度まで本学総長を務められ、本館の学内における地位の向上など多くの面で多大な貢献を頂いております。先生はまたご専門の医学の分野でも本学医学部長をつとめられ、現在は日本医学界会長をお務めです。本館の展示の際はいつもご来館下さり、心温まる激励のことばを頂戴しております。今回のご受賞を本館一同心よりお慶び申し上げます。
 しかし、最近の傾向を眺めると、私の個人的な印象としては、余りにも「流行」のほうに偏り過ぎでいるように感じられ、しかも少なくともその一部は不易に根差していない、まったく一時のもののようである。最先端の研究、それも直ぐ論文になるようなもの、成果を数量化して評価しうるようなもの、そして利便という物差しで測って直接役に立つようなもの、それらのみが社会から求められ、政官民ともにそれを善しとし、時には大学自身すら迎合する。

だがこれらの多くは「一時流行」の最たるもので、「不易」は日に日に影を潜めつつある。これははなはだ寂しい、いや、それどころか心配でさえある。「不易」こそ万古不滅、何時までもその価値を失わないが、他方、単なる「流行」については、それも大切には違いないがしばしば、今日の最先端は明日ともなればもはや最先端ではない。それどころか、簡単に忘れ去られてしまうことすらあると銘記すべきである。

 私は大学の植物園とか博物館が好きである。殺伐とした病理解剖などを自らの業としてきた反動かもしれないが、何とはなしに、そこにこそ「不易」を形として眺めることができるように思われ、心が落ち着き、和むからである。博物館にある標本は概して旧い。しかし、風雪に耐えた一品一品であって、それぞれが何等かの意味で過去・現在・そして未来を通じて変わらぬ価値を有するものが並べられている。情報過多の時代に、良きも悪しきも、正しいものも間違っているものも、総て混然と与えられ、その選別に苦労する今日の生活に比べ、ここに並べられている品々はいずれもすでに精選され、真に値打ちあるものばかりである。

 単なる「流行」のみでは優れた教育も研究もできない。同時にその根底にあるべき「不易」を大切にする必要がある。大学の価値も、品格も、それにどれ程「不易」と「流行」が良きバランスをもって存在するかにかかっていよう、とするのが私の意見である。

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(元本学総長)

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Ouroboros 第23号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成16年1月15日
編集人:高槻成紀/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館