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被爆調査にあたられた渡辺武男先生(長崎爆心にて) |
渡辺武男先生の長崎浦上天主堂のスケッチ(秋田大学付属鉱業博物館蔵) |
東京大学総合研究博物館の前身である総合研究資料館の初代館長であり、理学部地質学教室の教授であった故渡辺武男東京大学名誉教授は昭和20年10月に原子爆弾被害調査団の物理班地学グループのリーダーとして広島・長崎の現地調査に当たりました。
先生は終戦直後の困難な状況の中で調査を行い、被爆の状況を伝える貴重な岩石や建材標本を収集し、東京大学に持ち帰って原子爆弾の岩石に与える影響を研究されました。先生の収集された試料は、先生から博物館の所蔵する最も重要な標本であると指示されたということだけが伝承され、戦後約60年間ひっそりと当館の収蔵庫に眠っていました。
平成12年3月7日に広島護国神社の藤本・林両氏が東京大学総合研究博物館を訪問されました。両氏の目的は博物館に収蔵されている護国神社の狛犬の頭部を見ることでした。平成8年8月6日の毎日新聞に「原爆によって破壊された広島護国神社の狛犬の頭部が東京大学総合研究博物館に保管されている」と報道されたからです。この両氏の訪問をきっかけに今回の展示の計画が始まったと言っても良いと思います。
まず、先生が参加された原子爆弾被害調査団とはどのような組織であり、先生はどの様な目的で調査を行ったのでしょうか。
1945年8月6日に広島に、続いて8月9日に長崎に原爆が投下されました。1945年9月に文部省学術研究会議によって原子爆弾の災害を総合的に調査研究するために原子爆弾災害調査特別委員会(以下原爆調査団)が設立され、物理化学地学科会・生物学科会・機械金属学科会、電力通信科会、土木建築学科会、医学科会、農学水産学科会、林学科会、獣医学畜産学科会で構成されました。その物理化学地学科会に物理班・化学班・地学班があり、渡辺先生は地学班の長でした。渡辺先生は、1945年(昭和20年)10月11日に広島に入り、11・12・13日と広島を調査、14日に長崎に向かい、15・16・17・18・19日と長崎を調査しました。また翌年の1946年5月7日に広島、13日に長崎を再度調査しています。
地学班として原爆被害調査のリーダーとなった先生は、自分がField Scientistであることを強く意識し、岩石学的、鉱物学的見地に立って調査を行いました。この時、地質グループにどのようなミッションが与えられていたかを明解に示す資料は残されていませんが、先生のメモやフィールドノート等を総合的に見てみると、原爆の被害状況を把握し記載すること、物理班の測定に必要な試料を収集することと、様々な建造物に残されている原爆の熱線の影を測定して爆央を決めることであったと推定されます。ちなみに、爆央とは爆発の中心を示し、爆心とは爆央直下の地上位置を示します。
東京大学コレクションXVII
「石の記憶−ヒロシマ・ナガサキ」展
被爆試料に注がれた科学者の目
開催時期:2004年1月24日(土)〜2004年4月12日(月)
開館時間:10:00〜17:00(ただし入館は16:30まで)
休館日:毎週月曜日休館(月曜日が休日の場合、月曜日開館で翌日閉館)
開催場所:東京大学総合研究博物館新館展示室
入館料:無料 |
先生が残された試資料は、克明な記述やスケッチがあるフィールドノート、フィールドノートに記載されている写真、試料と調査団に関連した紙資料などです。記載・スケッチ・写真・標本と全て揃ったものもある一方、何処にも記載が残されていないけれども試料だけが残されているものもあります。その代表的な標本が「狛犬」でした。
最初は、広島護国神社の失われた狛犬とされた標本に個人的興味を持って、ごく軽い気持ちから、その確証を得ようと調査を開始しました。まず「狛犬」が「広島護国神社の失われた狛犬」である根拠を追求していくと、渡辺先生が「広島護国神社で採集した」という発言であることがわかりました。しかし、標本の材質(現存する広島の狛犬は花崗岩製、一方博物館の「狛犬」は安山岩製)や形態など標本の持ついろいろな特徴が広島護国神社の狛犬から離れていく方向を示しました。
その作業の最中に、渡辺先生の資料の中に先生が撮影した写真のネガが見つかりました。全てのネガを紙焼きにしてみると、「狛犬」そっくりの映像が、長崎浦上天主堂の柱飾りに映し出されていました。そこで、広島と長崎の現地調査を行い、現存する様々な被曝の痕跡をとどめる「石」を調査し、また多くの関係者の話を伺いました。そのようにして収集した情報を解析してみた結果、博物館に収蔵されている「狛犬」は広島護国神社の失われた狛犬ではなく、長崎の浦上天主堂の柱飾りである獅子像の頭部であるとの確信を得ました。この「狛犬」問題の、いわば「謎解き」にあたる調査こそ現在のフィールドワークではないかと考え、渡辺先生の残された試資料に注がれた科学所の目を、現在のフィールドワークから解析してみることを今回の「石の記憶」展の主軸とすることになりました。その中心は試料である石とフィールドノートです。
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広島爆心となった島外科の溶融した棟 |
フィールドワークで作成されるフィールドノートは、Field Scientistの記憶術です。そこには、調査に当たった科学者の五感の全てが記録されています。フィールドノートに記述されているデータだけが調査当時の情報を記憶するものになります。従って、野外調査に携わるものは全神経を集中して野外の観察を詳細に行い、そこで得た情報全てをフィールドノートに記録します。その証拠として試料を採集したり写真を撮影したりします。
「石の記憶—ヒロシマ・ナガサキ」は、Field Scientistであった渡辺先生が五感の全てをつぎ込んで作成したフィールドノートを解析しつつ、試料として収集した「石」の記憶をよみがえらせ、科学者渡辺武男が被爆試料である岩石を見つめ何を得たか、自ら撮影した未公開の写真から、科学者渡辺武男がどのような「目」で撮影したか、を解析しつつ、我々がField Scientistとして、そこから何をどのように解き明かしていったのかを共に体験していただきたいと思います。