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フィールドより

2003年のシリア

西秋 良宏


テル・セクル・アル・アヘイマル遺跡遠景(中央の丘)。手前はハブール川。
2003年の発掘メンバー
捕まえたハリネズミ 出土した女性土偶(約9000年前)
2003年は二度、シリアに行く機会があった。一度は4月から5月にかけて、二度目は7月末から10月半ばまで。あわせると3ヶ月半ほどになった。シリアに通い始めた1980年代は4ヶ月から5ヶ月滞在するのがふつうだったが、その後、渡航が楽になったこともあって毎年の滞在はせいぜい2ヶ月という年が続いていた。それからすれば、久しぶりの長期滞在である。春は前年の出土品の整理、夏は発掘。フィールドワークを文字通り堪能した。

 今回は特別な感慨があった。イラク戦争のためである。私たちの調査地ハブール平原は、シリア東北部、悲劇が続くイラクとの国境から目と鼻の先にある。春先の渡航はバグダード陥落直後ということもあり、少々緊張した。いつもは外国発掘隊が多数集う大平原に閑古鳥が鳴いていた。米英はもちろん、ほとんどのチームが渡航をキャンセルしており、私たちの他にはベルギーのチームしかいなかった。夏にはややにぎわいをとりもどしていたはいたものの、往時と同じではなかった。難民キャンプが設けられたり、略奪をおそれて国境地帯の遺跡倉庫から出土品が内陸の博物館に移送されているなど余波がなお感じられた。

 ハブール平原の住民構成は複雑だ。アラブ、クルド、アッシリア系などの人々がそれぞれのコミュニティを入り組ませるようにして住んでいる。私たちが今年キャンプ地にしたテルタモルという町は1920年代にイラクからのアッシリア移民が開いた町である。その後もイラク・イラン戦争やら湾岸戦争やら国難続きのイラクを出た人々が次々に住みついており、さながら砂漠の北縁に浮かぶ小さなイラクタウンとでもいうべきよそおいを見せている。

発掘は、そこのアッシリア人の一家に提供してもらった家を宿舎として、アラブ人作業員協力を得てすすめることとなった。同行してくれた政府役人はクルド人である。イラクの出来事に対する受け止め方は当然さまざまである。だがタフな彼らの明るい笑顔や私たちによせてくれている年来の好意に変わりはなかった。ありとあらゆるホスピタリティを与えてくださったことを本当にありがたく思う。

 発掘しているのはテル・セクル・アル・アヘイマルという遺跡である。1991年、フランスのチームに参加して一帯の先史学的踏査をおこなった時、私が見つけた遺跡だ。シリア領メソポタミア最古の農耕村落と目されている遺跡である。やがて古代文明揺籃の地となったこの広大な平原地帯を人類がいかに開拓し始めたのか。人類のメソポタミア開拓史の起点ともいうべき農耕村落発生の問題を具体的に調べうる遺跡といえる。本格調査によって重要な新知見が得られることは簡単に予想できた。

すぐにでも掘ってみたかったが、当時、シリア政府はユーフラテス川上流にダムの建設を計画しており、そのため水没遺跡の記録保存に全力をあげる方針だった。そのため私たちも、まずは水没予定遺跡の一つテル・コサック・シャマリの発掘に協力することになった。このことは本誌でも書いたことがある(第1号、16号)。その事業も先年ようやく一段落し、2000年からテル・セクル・アル・アヘイマル遺跡の発掘にとりかかることができた。

 以来、4シーズンの発掘をへた。予想通り、当初は土器をもたない人たちがこの平原にやってきて、やがて土器を作り、生活を変化させていった様が層位的に明らかになってきた。また発掘を重ねるにつれ、考古学的な発掘だけでなく、古環境復元用の地学的ボーリング調査、地形調査、動植物微細化石を採集するための土壌水洗、在来の伝統技術に関するデータ収集を目的とした民族学的調査など、調査プログラムもひろがりつつある。フィールドワークもようやく佳境といったところである。だからこそ情勢のなりゆきがいっそう気になる。

 1956年に始まった東京大学の中東考古学調査は当初イラクとイランをフィールドにしていたが、1980年代半ば、長引く両国の戦争を期に調査地をシリアに移したという経緯がある。以来、1990年の湾岸危機に際して一時、調査日程を変更したことがあったけれども何とか大過なく続けられている。イラクはもとより、イスラエル、レバノン、パレスチナ等々多くの国が揺れ続ける中、それらの国々に囲まれたシリアでほとんど影響を受けずに今日まで仕事を続けてこられているというのは希有なことというよりない。

 周囲の喧噪をよそに春先に見た雨季明けのハブール平原には、イラクに向かって緑のじゅうたんがどこまでも、おだやかに広がっていた。かつて夫の考古学者マックス・マロワン卿とともにシリアで発掘に明け暮れたアガサ・クリスティをとりこにした、あの豊かで平穏な原野そのものであった。外国人である私たちが享受しているのは複雑な現実の一部でしかないのだろう。また指導者の決断一つで一変してしまうあやういものであることを承知しつつも、何も無いところに引かれた国境の向こうの人たちのところにはそんな一部の平和ですら広がっていかない現状を何とももどかしく思ったことである。

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(本館助教授/先史考古学)

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Ouroboros 第23号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成16年1月15日
編集人:高槻成紀/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館