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「デジタル小津安二郎展」によせて

坂村 健


写真1 詳細な撮影メモであふれた厚田氏の手帳
写真1 詳細な撮影メモであふれた厚田氏の手帳

当総合研究博物館は1996年に発足した。600万点にもおよぶといわれている東京大学の持つ学術資料の有効利用——それらをベースにした研究、さらには新しい展示方法の研究を行うことを目的とした機関である。そのため当館では、デジタルミュージアムという新しいコンセプトを打ち出し、特別展としてすでに四回の特別展示を行ってきた。
今回は、このデジタルミュージアムの第五回目の成果発表として、世界的に有名な映画監督である小津安二郎氏の作品にかかわる展示会を行うことにした。これは長年、小津映画のキャメラマンを勤めた厚田雄春氏の御遺族より東京大学に寄贈された小津映画ゆかりの遺品をベースとし、そこに従来から知られていた小津氏の遺品を合わせて展示するといった、いわば厚田雄春氏の目を通して小津映画を語る、はじめての網羅的な小津展といえる。
このような展示会を東京大学大学院総合文化研究科表象文化研究室と共同で行えることは大きな喜びであり、協力いただいた関係機関、多くの人々に感謝したい。
ではなぜ「デジタル小津安二郎展」なのか。

映画とデジタル技術

もちろん、デジタルミュージアム特別展として、小津映画ゆかりの遺品等の展示にデジタル手法が駆使されていることは言うまでもない。例えば、厚田氏の詳細な撮影メモ等は電子本化して、めくって見られるようになっており、小津映画の製作過程を詳しく見ることができる(写真1)。
しかし、今回はこれに加えさらに経年変化により劣化した映画の修復にデジタル技術を利用するという新しい試みを行うこととした。
映画はその本質が、マルチメディア情報である。その鑑賞においても、絵画のように直接その実物を見るのではなく、あくまでも再生装置を経た虚像を見ている。その意味で、映画にとっては「本物」という言葉は意味を持たない。フィルム自体には骨董的な価値はあっても、作品はあくまでフィルムと独立した情報そのものである。そのため、デジタル保存にもっとも向いた「作品」であるといえる。
また、一方フィルムというベースに光化学的な方法で作られた像は、絵画のように物理的に作られた像よりはるかに経年変化に弱い。事実、映画が誕生してから100年程度が経過したがそのうちにすでに多くの映画資産が失われた。例えば、1930年代以前のサイレントフィルムの9割、1950年代以前のフィルムの5割は失われているという[1]。

傷1
傷2 傷3 傷4
写真2 フィルムの傷
(上:ショット全体、下左:障子上部分の傷、下中:足部分の比較的幅の広い傷、下右:黒く水平方向に走るフィルムの汚れ)
図1 デジタル修復のプロセス
図1 デジタル修復のプロセス
東京物語フィルム
写真3 オリジナルフィルムが焼失してしまった『東京物語』は、現存しているモノはすべてリプリントにより画像が劣化している。そのため、デジタル修復する際には、保存されていた「カットじり」と呼ばれる編集時に切られたフィルムのあまり部分が貴重な情報源となった

特に初期の映画時代には、映画を人類の資産として残すべき「作品」であるという意識は薄く、そのため管理がいいかげんであったり、はなはだしい場合は文字通り廃棄されるなどしたものも多かった。しかし、最新のフィルムであっても保存の限度は100年程度と言われているように、中世どころか古代エジプト、はては一万六千年前のラスコー洞くつまで遡れる絵画とは比べ物にならない。また、100年の寿命を延ばすために、リプリントを繰り返せば、アナログコピーである以上、情報的には劣化していく。
映画の情報を劣化させることなく後世まで伝える最良の方法はデジタル情報化することである。そして、すでに劣化した作品についても、デジタル情報化することで、デジタル画像処理の技術を適用して失われた情報を再現するデジタル修復が可能になる(写真2)。
コンピュータによるフィルム修復はもとをたどれば、1960年代よりのデジタル画像処理にある。当初はリモートセンシングなど衛星画像の補正や改善から研究が始まった。映画のデジタル修復はコンピュータ能力の発達と記憶メディアの低価格化により1990年代になってはじめて実用になった。それまでは記憶メディアのコストは高く、動画像データの保存のためになどとても使えなかった。 しかし、まだまだ現在でもコストがかかるのが難点である。設備の問題だけでなく、多くの部分に手作業が残されており(図1)、そのためにディズニーの『白雪姫』のように、修復後に再上映して商品価値の見込めるような映画でないとこの技術の恩恵を受けられないという状況が続いている。たとえばUCLA(米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の映画アーカイブでも、保存の予算が年100万ドルしかないので一本の映画もデジタル修復できないという[2]。
アメリカでもこういう現状なのだから、日本ではコスト的にはさらに厳しい。今回の特別展では一部小津映画の復旧を試みてみた。この試みをきっかけとして映画のデジタル修復および保存の分野に注目があつまり、多くの失われつつある映画がこの恩恵を受けられるようになってほしいと切に思う。

デジタルミュージアムと映画

さらに、より大きなコンセプトの視点で、デジタルミュージアムにおける今回のような映画の展示の意味を考えてみよう。 デジタル技術の優れた特性を数え上げればきりがないが、一つの大きなポイントは、デジタル化することで、すべての情報・知識が同じ一つの基盤に乗るということである。
例えばマルチメディア技術はコンピュータでいろいろなメディアが扱えるという技術だが、その本質的な原理はすべての情報が最終的にデジタルの0と1の羅列に変換されるということである。情報とその表現は異なるものであり——情報によって適切でない表現手法はあるにしても——同じ情報をさまざまな表現に変換することができる。
例えば、夕日がどんなものだったかを他の人に伝えたいと思ったとする。一番具体的な方法はまさに映画だろう。でもムービーカメラがなかったら。次には写真を撮るという方法がある。動きはなくなるが、何枚か撮ればどんなものかは伝わるだろう。しかし、カメラもなかったら…絵を描く。絵の道具もなければ…言葉で声に出して——「太陽が西の地平線に沈んでいく。その時の光の色は昼間よりずっと赤くて…」とか。同じように文章を紙に書いて伝えることもできる。
ところで夕日を表現するのに、音はどうだろうか。残念ながら、夕日の沈む音というのはないようである。しかし、例えば交通事故を表現するならば、そのときの音の記録で起こったことをある程度伝えることはできるだろう。ブレーキをかけたのがいつかということに関しては、音による情報がもっとも適しているかもしれない。
このように伝えたい情報の内容によって、適当な表現形式と、適当でない表現形式がある。紙という媒体は写真、絵、言葉、文章には対応できるが、音や動画には対応できない。その意味でマルチメディア技術の画期的なことは、コンピュータが人類が始めて手にしたもっとも多様な情報に、平等に対応できるということなのである。
だから、一度デジタル化してしまえば、映画、写真、絵、言葉、文章、音の何であっても同じ媒体(たとえばCD-ROMなど)に混在して保存することができる。このようなことは従来は不可能だった。そして保存と同様に一度デジタル化してしまえば、同じデジタルネットワークで、どのような情報も平等に届けることができるようになる。
すべての情報にとって平等すなわち共通な、蓄積・伝達の基盤——それがマルチメディア技術の本当の意義であり、それを人類が営々と蓄積してきた知的資産に適用するというのが、デジタルミュージアムのコンセプトなのである。
タテ長小津写真 そこでは、まさにインターネットの上にさまざまな情報が貴賎の差なくごった煮のように流通しているように、すべての人類の知的資産が平等に、すなわち同じようにアクセスされる環境となる。
このような環境は従来存在しなかったといっていい。従来の場所に制約のある知識の集積場所では、図書館にしろ博物館・美術館にしろ、知識はそれと関連が深いと最大公約数的に認定された他の知識と同じ場所に分類されている。これらの恣意的分類の枠は、本来はなければない方がいいものである。しかし、本来物理的な場所の制限で仕方なく行ったような分類の枠が、やがて人々の考え方まで縛るようになる。
実際には、過去には川原乞食と見下されていた歌舞伎がいまや国立劇場の舞台になったように、はたまた西洋に陶器を輸出するときの緩衝材に入れた浮世絵が日本を代表する芸術になったように、評価も考え方の枠組みも変わっていく。
映画も昔は見せ物だったが、今は「作品」である。しかし、同時にいまだにまだ歌舞伎ほど枯れていない——いまだに「商品」なのだ。その意味のある種のいかがわしさというか、パワーを持った分野でもある。
小津の作品はまさに、小津の存命中には「商品」であり、今は日本の誇る「作品」となった。そのような境界的で評価の枠組みの定まらない映画と、すべての人類の知的資産に平等にアクセスできる環境——人類が始めて手にした新しい「知」の可能性が求められる知的創造環境。この二つの出合いが、デジタルミュージアムの発展に新しい意味を与えてくれると我々は考えているのである。

参考文献

[1] Film Restoration in General (http://www.vcpc.univie.ac.at/activities/ projects/FRAME/General.html)
[2] Turner, Dan, "Engineers developing technology to restore Hollywood movie classics. (Special Report: High Technology)", Los Angeles Business Journal, August 7, 1995 v17 n32 p30
[3] http://www.vcpc.univie.ac.at/activities/ projects/FRAME/FRAME_Restoration.html
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(本館教授/情報科学)

  

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Ouroboros 第7号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成10年12月9日
編者:西秋良宏/発行者:林 良博/デザイン:坂村 健