写真1 寄贈された土器 |
写真2 添付されていたカード |
「ペルー国立イカ大学より日本の東京大学(?)へ、敬意を込めて。教授ラウール=エストワルド・コルネッホ博士。1966年7月2日」
遺憾ながらコルネッホ博士についても現時点ではどういうご専門の方か不明である。
土器は口径11センチ、高さ7センチの鉢で、器壁が浅く外反し、丸平底になっている。外壁のほぼ全面と口縁部内側には、赤く塗った地の上に黒と白を使って幾何学模様を描いている。ペルー南海岸のイカ=チンチャ様式の典型的といってよい鉢である。
南海岸では砂漠の地上絵で有名なナスカ文化が栄え、美しい多彩色の土器や上等の織物を残したが、西暦800年頃には滅んで、そこへワリ文化が広まった。この文化もまた11世紀には滅んで、そこへ新しい文化が興る。これがイカ=チンチャ文化で、南海岸の北半分を勢力下に置き、チンチャ谷河口に太平洋を見渡す都市ラ・センティネーラを建設した。またナスカ谷では広大な墓地が見つかっていて、織物や土器などが副葬品として出土した。埋葬された人物たちは人間の髪の毛を編んで作った長さ2メートルから5メートルものかつらをつけていたりする。またこの文化の人たちはすぐれた航海者でもあって、2千キロも北のエクアドル海岸まで出かけ、ペルー産の黄金をスポンディルス(ウミギクガイ)と交換して帰る旅をしていた。やがて15世紀になって南高地から進出してきたインカ族に征服され、インカ帝国の一員として航海を続けたという。
当博物館所蔵のアンデス文明の資料にはイカ=チンチャのものがこれまでなかったので、今般寄贈された鉢は貴重な資料となる。
Ouroboros 第10号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成12年2月29日
編者:西秋良宏/発行者:川口昭彦/編集:東京大学総合研究博物館