東京都品川区に所在する大森貝塚は、日本の近代考古学と人類学発祥の地として知られている。1877(明治10)年にE.S.モース博士により発見され、同年秋に東京大学小石川植物園の松村任三、東京大学生徒の松浦佐用彦と佐々木忠次郎が参加し、日本で初めて学術目的の発掘調査が行われた。大森貝塚はその後も江見水蔭、大山柏、柴田常恵など多くの研究者によって調査・発掘されてきたが、E.S.モースが発掘した遺物資料が高い学史的意義を有することはいうまでもない。モースは大森貝塚から出土した標本資料が、将来出土するであろう他の貝塚資料を評価するための基準標本群として重要であることを早くに認識し、そのため、なるべく多くの遺物標本を正確に報告する目的で、1879(明治12)年に東京大学理学部紀要の第一号として"Shell Mounds of Omori"『大森貝塚』を出版した。
モースにより発掘され、紀要に報告された標本資料の多くは、現在、東京大学総合研究博物館人類先史部門に収蔵されている。これらのうち、現存する標本は1975(昭和50)年に国の重要文化財に指定され、主としてモースが出版した紀要の図版に対応する標本資料として保存されている。また、これら以外にも大森貝塚出土資料と思われる土器資料が多数保存されてきた。
本館では、モースらの大森貝塚調査の直後に発掘された陸平貝塚の標本資料について、美浦村教育委員会と共同で、2003(平成15)年度~2005(平成17)年度にかけて、現存状況の確認調査を実施した。その成果は、美浦村教育委員会の『陸平貝塚 調査研究報告書2―学史関連資料調査の成果―』(2006)及び、東京大学総合研究博物館標本資料報告第67号『陸平貝塚出土標本』(2006)として報告されている。この調査の過程で、大森貝塚出土の標本資料についても同様の調査が望ましいことが判明し、2003(平成15)年度~2006(平成18)年度にかけて、可能な限り網羅的に現存状況を確認する運びとなった。学史史料と土器標本の調査は初鹿野博之と山崎真治が、骨標本については佐宗亜衣子が主に担当した。
本標本資料報告は、これらの調査の成果として、東京大学総合研究博物館における大森貝塚出土標本資料の現存状態を体系的に示すものである。3部で構成され、第1部は本調査の概要や成果、写真図版を掲載した。第2部はモースの紀要に関連する遺物を中心としたデータシートを、第3部は大田区史編さん委員会の『大田区史(資料編)考古Ⅱ』(1980)と『史誌』(1982~86)に記載された遺物のデータシートを収録した。今回の4年間に渡るキュラトリアル・ワークの成果が、今後の先史考古学の研究に少なからず役立てば幸いである。標本の確認調査と整理・情報化などの実際の作業は、以下の方々によるものである:初鹿野博之、山崎真治、佐宗亜衣子、野口和己子、高橋健、高橋大地、田中眞司、福田岬子。写真撮影は上野則宏によるものである。
本事業を実施するにあたって多くの方々・機関のご協力をいただいた。ピーボディ・エセックス博物館に収蔵されているモース関連資料の調査ではピーボディ・エセックス博物館の岡みどり氏と美浦村教育委員会の馬場信子氏に、貝類の同定では東京大学総合研究博物館の佐々木猛智氏にご尽力いただいた。大田区史編さん時の整理状況については大田区立郷土博物館の加藤緑氏にご教示いただいた。また、赤澤威、今村啓爾、大塚達朗の諸先生方には様々にご教示、ご指導いただいた。ここに謝意を表し、厚く御礼申し上げる。
2009年3月
諏訪 元(東京大学総合研究博物館)
2018年2月付記
一覧表およびデータシートは標本資料報告第116号の調査成果にもとづいて更新した。更新内容の詳細はモース関連標本データベースに示している。
平成17,18年度科学研究費補助金使用