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研究部より

西アジアにおける「ドメスティケイション」に関する新しい理論

マーク・フェルフーフェン


 はじめに

  私は、総合研究博物館における研究活動の大部分を、西アジアで起きた「ドメスティケイション(domestication)」に関する新しい考古学的理論を構築することに費やしてきた。西アジアという地域の中でも特に、西部のいわゆるレヴァント地方にずっと注目している。なぜなら、「ドメスティケイション」に関する証拠のほとんどはこの地域で見つかっているからである。このほど、研究成果を考古学関係の学術雑誌に発表したので(Verhoeven, 2004)、その要旨を紹介したい。
  伝統的に、「ドメスティケイション」は、動植物を人類と密接に関わり、かつ人類に益するような形に適応させること、言い換えれば「人類が、動植物の新しい形態、それも野生の祖先とは明らかに異なる形態を創造すること」(Smith,1998: 18)と定義される。西アジアにおけるドメスティケイションの最古の証拠は、新石器時代までさかのぼる。穀物の栽培化を示す指標は、主として花軸つまり穂の茎部の断片の形態・大きさ・丈夫さである。動物の家畜化の証拠となるのは、主に体格の小型化であるが、性別および年齢構成の変化も証拠となる。  レヴァントひいては中近東全体における動植物のドメスティケイションの経過は、今日まで長い間、考古学・人類学研究の焦点となっており、結果として膨大な研究が積み重ねられてきた。主たる研究課題は、ドメスティケイションが、いつ・どこで・どのように、そしてなぜ起こったのか明らかにすることである。一般に、ドメスティケイションに関する理論は、どちらかといえば各論的な見地から現象にアプローチする傾向にある。その各論的見地とは、大まかにいえば環境からの見地、社会学・人類学からの見地、認知論からの見地のいずれかである。これまでのところ、環境からのアプローチが最も多く試みられているが、その中では自然環境(特に気候)と、人類と動植物の生態的・経済的関係が注目されている。いっぽう、社会学や人類学から提起された理論は、環境が人類の行動を決定するという、環境からのアプローチを特徴づける考え方に対して批判的であり、むしろ社会の構造や、事物の交換、人間の営為といった社会的側面に注目する。認知論的なアプローチで特に重視されるのは、人間の心、すなわちドメスティケイションの象徴的・認知的・心理文化的な要因である。

新しい理論

  ここで提起する新しい理論は、これらの「伝統的な」見方とは大きく異り、以下の5つの大前提に基づく。

1.
一つのアプローチや一つの側面を強調するのではなく、レヴァント地方におけるドメスティケイションが全体的(部分部分よりもむしろ全体すなわち完全なシステムを想定するということ)かつ多面的な現象であったと考える。それは、単に生態的でも、社会的でも、認知的でもなく、これらの要因をすべて取り込んだ現象で、時期によって組み合わせや重要度が異なっていた。さらに、理論的な観点から見ればアプローチそのものも全体的であり、人間の生活を「全体的な社会現象」つまり「社会と宇宙の総体」を見なす。そこには、人間、動物、植物、物質文化、それに祖先や霊魂など超自然的な存在の間の関係によって実体化される数多くの異なる次元が含まれる。
2.
したがって、経済的・社会的な側面のみならず、象徴的・儀礼的な側面もドメスティケイションの研究と関わりがある。
3.
人間と動植物が互いに影響を及ぼし合って進化するという共進化の概念、状況が好転したときに進展がみられるという日和見主義の概念、そして人間の意図が事象に作用するという作為性の概念は、ドメスティケイションの過程がどうやら完全に意識的(文化的)なものでもなければ完全に無意識的(自然的)なものでなかったことを示すのに有効である。むしろ、人間や動植物、人工物などに介在するさまざまな関係が、必ずしも時系列的な順序ではなくとも、進化し徐々に変化していったのであろう。
4.
建築という環境の建設・利用・認識は、ドメスティケイションにとって特に重要な要因である。中でも、世帯が暮らし、子供が育つ場としてのイエ、つまり住居の内外では、アイディアや価値観、経験が形成され、協議され、変更される。
5.
ドメスティケイションの因果関係は、通時的に、長期にわたる歴史的過程として追うことによってはじめて理解可能となる。ドメスティケイションは進化の過程の一部であるが、しばしば想定されるような、革命ではない。

 ほとんどすべての定義において、ドメスティケイションは一元的な現象として取り扱われ、動植物(自然)か人類(文化)かどちらか一方の次元で議論される。ここでは、全体的な見地に立って、社会と宇宙の関係をも含めた、一層完全に近い定義を提案したい。この視点に立てば、ドメスティケイションとは、「人類の手が徐々に加えられる中で、動植物、環境、モノ、社会、超自然的存在の間の関係が長期的に変化していく過程」といえる。

ドメスティケイションの経過

  ドメスティケイションの経過を、この新しい理論にしたがって分析した。レヴァント地方におけるドメスティケイションの研究に用いる時期区分は以下の通りである(放射性炭素較正年代を示す)。

・ケバラ期:23,000~15,000年前
・ナトゥーフ期:15,000~12,000年前
・先土器新石器時代A期(PPNA)およびB期(PPNB):12,000~8,250年前
・土器新石器時代:8,250~ 7,300 年前
  これらの時期(と下位区分)のそれぞれについて、(1)生業と建築、そのほか人間が作り使ったモノ、(2)儀礼と象徴性、(3)総論的関係を示す証拠を分析した。そして、植物の成長に喩えつつ、ドメスティケイションの経過を次の各段階に分けることを提案した。

1.

発芽(ケバラ期)

  ケバラ期は狩猟採集民社会に相当する。この時期にはドメスティケイションの萌芽が認められる。この時期には、生活の場が景観の中で定点となっていた。また、数種の野生穀類が採集されており、植物加工用の重たい石の道具が用いられていた(図1)。さらに、墓(臼を伴うものも少なくとも1 基ある)は生活領域の中に位置していた。


2.

発生(ナトゥーフ前期)

ナトゥーフ期の人々は円形住居を特徴とする世界最古の村落生活を営んでいた。これらの集落では長期間居住が営まれたらしいが、必ずしも年間を通じて住んでいたわけではなさそうである。ナトゥーフ期の村々は、野生の堅果類と穀類、ガゼルを含む豊富な動植物資源があったことではじめて存在しえた。人間が動植物や人工物(住居やすりつぶし用の道具類など。図2)に次第に手を加えていく様子から、ドメスティケイションが集約的に進められたことがうかがえる。

 

3.

退行/休眠(ナトゥーフ後期~末期)

この時期には全体的な文化的衰退と、より遊動性の高い生活様式への回帰があった。このような衰退は自然と社会両方の要因、すなわち、更新世末期のヤンガー・ドライアス期に生じた気候悪化と、ガゼルの個体群にかかる狩猟の圧力、そしておそらくは村落における衛生概念の欠如とその結果としての疫病の蔓延に起因すると言われている。

 

4.

成長(PPNA期)

ヤンガー・ドライアス期の後、初期完新世のPPNA 期には、比較的湿潤な環境が急速に回復するとともに、扇状地や湧水、湖沼が発達して、そこに集落が立地するようになった。このように自然環境が好適になったことで、以前ナトゥーフ期に見られた文化伝統の多くが復活したらしい。比喩的に言えば、ドメスティケイションの休眠種子が再び成長を始めたのである。しかしながら、植物の栽培化も動物の家畜化もまだ実現には至らなかった。


5.

開花(PPNB 前期~ PPNB 中期)

PPNB 期には、ドメスティケイションのプロセスがさらに加速・進行した。・遺跡が大型化した。すなわち、おそらく、集落自体が大型化した。・建物は(以前は円形であったのが)四角形になり、しばしば多くの小部屋から構成されるようになった。これは、空間が次第に内部分化し、操作されるようになっていったことを示唆する。
・使われるモノの種類が増えた。
・儀礼、特に公共的な儀礼を示す証拠の多くは、超自然的な存在との関係が徐々に密になっていくことを示すと思われる。
・植物(穀類・マメ類)の栽培化と、それに続く動物(ヤギ・ヒツジ・ブタ・ウシ)の家畜化の最古の確実な証拠が存在する。
植物の栽培化に関しては、どうやら人類と植物の共進化によって、意図的であるにせよないにせよ、土地を耕すということが、(収穫量を増やすために野草を実験的に栽培するということを通して)栽培に適した品種と、種まき、下草取り、収穫、加工、貯蔵など、多大な労力の投入を特徴とする栽培化に帰結した。一方、動物に関してはおそらく、空間と食料供給、繁殖を統御することによって、管理下に置いた個体群のライフサイクルを積極的に操作したことが家畜化につながった。


6.

生育(PPNB 後期) 

PPNB 後期にはいくつかの重要な変化があったが、全体としてはドメスティケイションの過程が続き、さらに発展していった。

 

7.

分散(PPNB 末期~土器新石器時代)

本稿で対象とする最後の段階であるこれらの時期には、全体的にみて、PPNB期の特徴が存続し、さらに発展していく。遺跡は主に河川沿いに立地するテル(集落の営まれる丘)からなる。建築は主として四角形で多くの部屋をもつ。栽培種の農耕と家畜種の飼育(遊牧、つまり牧草地間で家畜を移動させるという方法を含む)を組み合わせた経済が確立する(が、狩猟もまださまざまな場面で重要な役割を担っている)。そして、鏃や槍先、磨り皿、杵、臼、骨製の錐、紡錘車、装身具類があまねく見られる。もちろん、土器も導入されたが、その役割を過大評価するべきではない。

 

図1. イスラエル、ガリラヤ湖近くのエン・ゲヴ遺跡から出土したケバラ期の玄武岩製深臼。この重たい人工遺物はどうやら植物加工に用いられたらしい。
図2. ナトゥーフ文化の装飾付き骨製鎌柄。この道具は野生穀物の収穫が集約的に行われていたことを示す。イスラエル北部の地中海岸に近いエル・ワド遺跡で発見された。有蹄類の若獣が表現されているが、その頭部が上を向いているので乳を吸う様子を表しているのかもしれない。

 むすび

  以上の議論からは多くの結論を導くことができる。しかしここでは、一つの側面を強調するにとどめたい。本稿で提示した全体的なアプローチを含め、多くの理論は一般論であり、全体的なパターンと、広大な領域、長い期間を取り扱っている。レヴァント地方に存在した様々な先史社会に行動上および文化上の共通性が存在するのは明かである。したがって、ドメスティケイションがもつ一般的な特性を探究することは重要である。しかし、地域ごとの状況に即したデータでもってそれらのモデルを補うことも必要である。共同体によっては同じ環境に対して異なる適応をしていたことも十分考えられる。ドメスティケイションとは時代ごと・地域ごとにリズムと強さの異なる、複雑で多面的な現象であったにちがいないからである。

参考文献

Smith,B.D.,1998
The Emergence of Agriculture. New York: Scientific Library.
Verhoeven,M.,2004
Beyond Boundaries: Nature, Culture and a Holistic Approach to Domestication in the Levant. Journal of World Prehistory 18(3): 179-282.

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(本館客員助教授/先史学)
翻訳・近藤康久
(本学大学院人文社会系研究科研究生/考古学)
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Ouroboros 第28号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成17年11月30日
編集人:高槻成紀・佐々木猛智/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館