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フィールドより

里帰りしたタヒ

高槻 成紀


 私たちの前になだらかな丘陵を背景にしたタヒの群れがいる。のんびりと草を食み、子馬は母馬にまとわりついている。私はそれを不思議な感動をもってながめていた。タヒとはモウコノウマ(蒙古野馬)のモンゴルでの呼び名で、西洋社会ではプルゼワルスキー馬として知られている。実は私たちが見ているのは真の意味での野生馬ではない。 野生馬は15 世紀前後にヨーロッパでいなくなり、絶滅したと考えられていたが、19世紀の終わりになってロシアの軍人であるプルゼワルスキーがモンゴルに赴いたときに野生馬を確認し、ヨーロッパは大騒ぎになった。そして世紀の入れ替わりの頃に苦労の末、いく度かの捕獲行によって数十頭のタヒがヨーロッパに持ち帰られた。
  いっぽう本場であるモンゴルそのものでは狩猟によってタヒがどんどん減少して、気がついたときには姿が見られなくなってしまっていた。1960年代のことである。かすかな希望は1969年にわずかに1頭が見られたことであったが、風前の灯火というに近い状態であることはまちがいなかった。
  事態は悪い方向へ進んでいた。ヨーロッパに行ったタヒの末裔たちが飼育下の近親交配によって病弱な個体が多くなっていたのである。このままでは野生でも飼育下でも途絶えてしまう可能性が大きくなった。この事態を憂慮したオランダの有志が1980 年代に残った個体の交配をするなど懸命の努力をしたおかげで、タヒは健康をとりもどし、また1986年にはモンゴルのフスタイ・ヌルーという場所に復帰のための場所が確保された。実はモンゴルでは家畜の放牧のために野生有蹄類にとって住みよい草原はほとんど残っていないのである。
  こうした努力の結果、1992年にいよいよヨーロッパから16 頭のタヒが里帰りすることになった。その後着実に頭数が回復し、現在では100 頭以上にまでもどっている。
  私はここ数年、モンゴルでモウコガゼルというもうひとつの野生有蹄類の研究を始めたが、タヒのことは気になっていたので機会を作ってフスタイ・ヌルーを訪問したのであった。今後モンゴルの研究者たちとタヒの生態学についても研究を展開する運びになっている。 無心に草を食むタヒ、とくに幼い子馬を目の前にして、ちょっと間違えば確実にこの地上からいなくなっていたであろうタヒの運命を想い、少なからぬ感動を覚えたのであった。

図1.フスタイ・ヌルーのタヒの群れ(2005 年6 月)

図2.タヒの新生児

 

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(本館助教授/動物生態学)
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Ouroboros 第28号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成17年11月30日
編集人:高槻成紀・佐々木猛智/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館