東京大学総合研究博物館にて、来る11月1日から12月15日まで開催されるこの展覧会では、古代地中海域の葬祭文化についての記録が展示の対象である。古代の民族や文化の多くがそれぞれの墓所、また死者や先祖を敬う祭礼に関しては、現代の大多数の人々よりもはるかに多くの時間、金、労力など、多大の資財をつぎ込んだことはよく知られる。
図1 タルクィニア、鳥占い師の墓、神官(奥壁部分)、前520年ごろ(エトルリア葬祭絵画)) | 図2 タルクィニア、碑文の墓、馬に乗る青年(左壁部分)、前520年ごろ(カルロ・ルスピによるエトルリア葬祭絵画の透写図 1835年) | 図3 タルクィニア、碑文の墓、踊り手達と銘文(右壁部分)、前520年ごろ(カルロ・ルスピによるエトルリア葬祭絵画の透写図 1835年) |
1829年に創立されたローマのドイツ考古学研究所の古文書資料室から、19世紀に制作されたエトルリア葬祭絵画の一連の複製画や透写図などが本展に出品され、日本で初めて公開されるはこびとなった。これらの作品は、記録的、学術的な価値のみならず、それ自体が芸術的な価値を有する。19世紀の墓の発見者や研究者達がすでに、遺構を飾るこれらの絵画が損傷を受けやすく永久保存が困難であること、したがってその記録資料を残すことがいかに重要であるか認識していたのである。
図4 パエストゥム、アンドゥリウオーロ墓地-第86墓、有翼のニケの乗る2頭立て戦車、前4世紀後半(南イタリアの葬祭絵画) |
彼らには当時、透写図、線描画、あるいは水彩画といった方法しか記録を残す手段がなかったわけであるが、今日それは高精度の写真、あるいはデジタル技術によって置き換わることが出来る。この展覧会のもうひとつの重点は、特に日本の見学者達に、約150年にわたる期間にどのような記録資料が製作されてきたかを明示することである。これらの古文化財がいつまで保存され、またいつまで一般見学が許されるかを考えるとき、地理的に遠く離れ、実際にこれらの原作を目にする機会がごく限られる人々を意識しての企画となった。
図5 アルピ、メドゥーサの墓、メドゥーサ頭部の浮き彫りされた破風中央部分、前3世紀前半(プーリア地方の大型記念墓 | 図6 タラント、葉綱の墓、葉綱の描かれた墓室内、前2世紀(南イタリアの有名なギリシア植民都市における葬祭絵画) |
本展においては、前7世紀前半からヘレニズム盛期(前3世紀後半-前2世紀前半)にいたるエトルリア(特に主要都市タルクィニア)の葬祭絵画は、壁画の原寸大写真多数並びに前述の貴重な複製画や透写図を通して紹介するほか、南イタリア(主としてルカーニア地方パエストゥムとプーリア地方北部アルピ)の彩色装飾墓とマケドニア(ヴェルギナ、レフカディア、ディオン、アギオス・アタナシオス)やトラキア(カザンラク、シプカ、ズヴェシュターリ、マグリッツ)の王侯諸侯の墓については、その墓建築や葬祭絵画、さらには豪奢な副葬品など最近の出土例も含め豊富な写真資料を公開する。タルクィニアの墓2基とパエストゥムの墓1基の、透写図もしくは写真を用いた立体展示は墓の内部を原寸大で忠実に再現するものである。
また北エトルリアの広大なネクロポリスや王侯貴族の墓(主にポプローニア)の記録のほか、特に前6世紀から前1世紀まで地中海圏の多くの地域で普及した岩窟墓の現象についても写真と参考資料を加えた。日本のコレクションからは副葬品の一端を示すものとして若干の陶器や納骨容器が出品される。
モニュメンタルな墓建築や葬祭絵画の現象は、時代的にはさらに下るが、日本とも深い関係をもつ。日本の世論、またマスメディアにおいて示される考古学への高い評価を思い、日本、東アジアから遠く離れた古代地中海世界の葬祭文化についてのドキュメンタリー展が、見学者達の関心に少しでも答えられればと願う次第である。
(本館客員教授/古典考古学)
Ouroboros 第12号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成12年10月1日
編者:高槻成紀/発行者:川口昭彦/デザイン:坂村健