データベースの仕様

標本名

「綴子」「中山」「鵜ノ木」「菅谷」のいずれかを掲載した。断定できなかったもの、出自の不確定なものは「?」を付与した。


採集地

「人類学教室原番号カード」「A番号カード」「大判カード」、遺物表面の注記内容及び、付属したラベル等の情報に基づいて、採集地と思われる地名を記載した。なお、現在の地名に改めず、採集当時に近い地名で表記している。


器種

八幡一郎の「大形石器」に相当すると考えられる遺物を「大形尖頭器」とし、それ以外の標本については基本的に「人類学教室原番号カード」「A番号カード」「大判カード」に記載されている遺物名を採用した。すなわち、「石器」「土器」「土偶」に大別し、それぞれの器種名を特定できるものは「石匙」「石鏃」「深鉢」「壷」等の細分類名を記載した。カードに遺物名の記載のない資料についてはほぼ同一の基準で中村が分類し、( )で表記している。


石材

石器標本については、用いられている石材名を記載した。中村が肉眼観察によって分類し、東北地方の縄文時代遺跡に多く見られる石材名称を踏襲するよう努めたが、地域的に呼称の統一されない石材や分類困難な石材に関しては「?」を付与した。行方不明の資料に関しては空欄とした。


残存状況

土器・土偶標本については、残存状況を記載した。「完形」「ほぼ完形」のほか、部分のみの資料については「口縁部」「胴部」等の残存部位の名称を記載している。行方不明の資料に関しては空欄とした。


人類学教室原番号

大正末期~昭和初期に作成されたとされる遺物カード(7.5×12.5 cm)に対応している標本番号で、1~8480番(1~4桁)までがある。さらに、10000番台以降の5桁の番号は、それまでに「人類学教室原番号」が付けられていなかった遺物に付与されたもので、1968年以後に赤澤威らによって大判の遺物カード(12.5×20.5 cm)が作成された時に付与された.


枝番号

複数の遺物に対して同一の「人類学教室原番号」あるいは「A番号」が付与されている資料が認められた。個別の遺物を特定するために、今回の調査過程で「人類学教室原番号」に「枝番号」を設定し、「人類学教室番号-枝番号」と表記した。


A番号

Aの後に4桁以下の数字が入る標本番号。A1~A3700番台までは、1965~69年に作られた遺物カード(7.5×12.5 cm)に対応している。1968年以後に赤澤威らによって大判の遺物カード(12.5×20.5 cm)が作成された時に、継続してA番号が付与された。


長谷部番号

1938年以降に作成された「長谷部カード」と呼称される遺物カード(7.5×12.5 cm)に対応している。4~5桁の数字とアルファベット1文字による番号で、アルファベットは遺物内容を示しており、土器がA、土偶がB、石器がC、骨角器がDである。長谷部言人が東京大学への赴任時に持参・寄贈した標本につけられたと考えられているが、詳細は不明である。今回の調査で長谷部番号がつけられた資料は石器のみであったので、「4~5桁番号-C-連続番号」と表記される。


新規番号

遺物カードが作成されておらず、番号が付与されていない遺物で、注記や収蔵状況の一括性から遺跡名のみ特定できる可能性のある資料について、新規番号を付与した。新規番号は既にある「遺跡番号」に順ずる方向で設定した。「遺跡番号」は、1980年代に赤澤威によって付けられたアルファベット2文字による番号である。今回調査の対象となった綴子・中山・鵜ノ木・菅谷に関しては、この「遺跡番号」が割り当てられていなかった。そこで、既にあるアルファベット番号を持つ遺跡の中で地理的に最も近い遺跡のものを用い、さらに該当遺跡名の頭文字を付加し、連続番号をつけた。

今回の調査の中で番号が付与されていなかった資料は、「菅谷村下中山」と「大畑」の資料が相当する。「菅谷」は、最も近い新潟県三島郡越路町来迎寺の登録記号「来迎寺(PV)」を用い、それに「菅谷」の頭文字(S)を加え、「PV-S-連続番号」とした。「大畑」は、最も近い秋田県北秋田郡鷹巣町麻生の登録記号「麻生(BE)」を用い、それに「大畑」の頭文字(O)を加え、「BE-O-連続番号」としている。


法量

石器については長さ・幅・厚さ・重さを、土器については器高(非完形品は現高)・最大径(または最大幅)を、土偶については長さ(高さ)・幅・厚さを測定し、記入した。


収蔵位置

本報告書出版時点における、遺物を収蔵している棚・平箱の番号。この情報は、永続性がないものの、当面の管理運営の都合上、あえて公開データベースにも搭載することとした。博物館人類先史資料室前の展示ケース、資料室内の移動式標本棚(PD列)、移動式平箱棚(PE列)、木製標本棚(PA列)、土偶標本棚(PI列)、別室の石器標本棚(PJ)がある。行方不明の資料は「missing」と記載した。なお、今回の調査が終了した2007年3月時点で、「大形石器」についてのみ平箱から新規の収蔵場所(PE-7-12-11)に一括して移動している。

2007年3月
中村真理(東京大学大学院新領域創成科学研究科)
2008年3月
佐宗亜衣子(東京大学総合研究博物館)

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