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写真番号 1017
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの腰帯と腰帯用のボタン。
掲載カタログ 第4部
プレート 22
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1018
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの儀礼用の幣冠と櫛。
掲載カタログ 第4部
プレート 23
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1019
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの木幣。
掲載カタログ 第4部
プレート 24
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 94ページ 掲載番号 4-3-1
千島アイヌの木幣。
写真番号 1020
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌのムリ草製背負い袋・男性用。
掲載カタログ 第4部
プレート 25
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1025
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの火切り具。
掲載カタログ 第4部
プレート 26
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 95ページ 掲載番号 4-3-2
千島アイヌの火切り具。
写真番号 1026
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌのムリ草製背負い袋・女性用。
掲載カタログ 第4部
プレート 27
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1029
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの椀と、神に酒を捧げるための器具(捧酒箟)。
掲載カタログ 第4部
プレート 28
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1030
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの匙、椀(1029と同じもの)、盆。
掲載カタログ 第4部
プレート 29
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 96ページ 掲載番号 4-3-3
千島アイヌの匙、椀、盆。
写真番号 1032
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの短刀。左ふたつが女性用。右が男性用。
掲載カタログ 第4部
プレート 30
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 97ページ 掲載番号 4-3-4
千島アイヌの短刀
左ふたつが女性用、右が男性用。
写真番号 1033
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 右は千島アイヌの靴。左はおそらくその木型。
掲載カタログ 第4部
プレート 31
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 98ページ 掲載番号 4-3-5
千島アイヌの靴と木型。
写真番号 1035
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの草製小篭(テンキ)。
掲載カタログ 第4部
プレート 32
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1036
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの子負い具。額から掛け、赤ん坊を腰掛けさせて背負うための器具。
掲載カタログ 第4部
プレート 33
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1038
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの食器。上はマナイタを兼ねた鉢。下は焼き串。
掲載カタログ 第4部
プレート 34
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 99ページ 掲載番号 4-3-6
千島アイヌの食器
上はマナイタを兼ねた鉢。下は焼串。
写真番号 1039
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの雪靴。
掲載カタログ 第4部
プレート 35
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 100ページ 掲載番号 4-3-7
千島アイヌの雪靴。
写真番号 1040
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの弓矢。
掲載カタログ 第4部
プレート 36
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1043
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 上ふたつはカムチャダールから千島アイヌに渡ったとされる針刺し。下は千島アイヌの帯(編みかけ)。
掲載カタログ 第4部
プレート 37
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 101ページ 掲載番号 4-3-8
カムチャダールから千島アイヌに渡ったとされる針刺し(左二つ)と千島アイヌの帯(編みかけ)。
写真番号 1044
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 北海道アイヌの家族と倉。撮影時期・場所ともに不明。
掲載カタログ 第4部
プレート 38
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 102ページ 掲載番号 4-3-9
北海道アイヌの家族と倉。
撮影時期・場所ともに不明。
写真番号 1045
撮影年 1899
地域 アイヌ
場所
写真の説明 和人(日本人)の女性と赤ん坊。1899年6月色丹で撮影したものと思われる(撮影時期については、1046、1049,1052,1053,1055についても同じ)。
掲載カタログ 第4部
プレート 39
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1046
撮影年 1899
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの若者たち。
掲載カタログ 第4部
プレート 40
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 103ページ 掲載番号 4-3-10
千島アイヌの若者たち。
1899年(明治32年)6月撮影。
写真番号 1049
撮影年 1899
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの女性と赤ん坊。
掲載カタログ 第4部
プレート 41
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 104ページ 掲載番号 4-3-11
千島アイヌの女性と赤ん坊。
1899年(明治32年)6月撮影。
写真番号 1052
撮影年 1899
地域 アイヌ
場所
写真の説明 和人(日本人)の男性と赤ん坊。
掲載カタログ 第4部
プレート 42
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1053
撮影年 1899
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの人々。後中央は鳥居龍蔵の通訳をつとめたグリゴリー氏、その右はゲシラム氏と思われる。
掲載カタログ 第4部
プレート 43
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 105ページ 掲載番号 4-3-12
千島アイヌの人々
後中央は鳥居龍蔵の通訳をつとめたグリゴリー氏、その右はゲラシム氏と思われる。1899年(明治32年)6月撮影。
写真番号 1054
撮影年 1899
地域 アイヌ
場所
写真の説明 戦艦武蔵上で踊る千島アイヌの婦人たち。1899年5-6月撮影。
掲載カタログ 第4部
プレート 44
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 106ページ 掲載番号 4-3-13
戦艦武蔵上で踊る千島アイヌの婦人たち。
1899年(明治32年)5-6月撮影。
写真番号 1055
撮影年 1899
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの若者たち。
掲載カタログ 第4部
プレート 45
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1056
撮影年 1899
地域 アイヌ
場所
写真の説明 シュムシュ島モヨロップ湾。千島アイヌの竪穴住居の跡。1899年5月25日-30日撮影。
掲載カタログ 第4部
プレート 47
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1057
撮影年 1899
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの竪穴住居。おそらく色丹島と思われる。
掲載カタログ 第4部
プレート 48
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 107ページ 掲載番号 4-3-14
千島アイヌの竪穴式住居。
おそらく色丹島と思われる。1899年(明治32年)6月撮影。
写真番号 1058
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの村長ヤーコフ・ストロノフ氏。
掲載カタログ 第4部
プレート 49
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1059
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 千島アイヌの若者たち。1055と同一人物。
掲載カタログ 第4部
プレート 46
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1061
撮影年 1912
地域 アイヌ
場所
写真の説明 拓殖博覧会展示のニヴフの住居。
掲載カタログ 第4部
プレート 51
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 109ページ 掲載番号 4-3-16
拓殖博覧会展示のニヴフの住居。
1912年(大正元年)10-11月撮影。
写真番号 1062
撮影年 1912
地域 アイヌ
場所
写真の説明 拓殖博覧会展示の樺太アイヌの幣柵。
掲載カタログ 第4部
プレート 52
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 110ページ 掲載番号 4-3-17
拓殖博覧会展示の樺太アイヌの幣柵。
1912年(大正元年)10-11月撮影。
写真番号 1064
撮影年 1912
地域 アイヌ
場所
写真の説明 拓殖博覧会展示の北海道アイヌの住居。右の女性は金田一京助の著作で有名な鍋沢コポアヌ媼。
掲載カタログ 第4部
プレート 53
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 111ページ 掲載番号 4-3-18
拓殖博覧会展示の北海道アイヌの住居。
右の女性は金田一京助の著作で有名な鍋沢コポアヌ媼。1912年(大正元年)10-11月撮影。
写真番号 1065
撮影年 1912
地域 アイヌ
場所
写真の説明 拓殖博覧会展示の樺太アイヌの住居と幣柵。
掲載カタログ 第4部
プレート 54
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 1066
撮影年 1912
地域 アイヌ
場所
写真の説明 拓殖博覧会展示の樺太アイヌの住居。人物は左から木村チカマ、坪沢テル、影山チウカランケ、坪沢六助の各氏。
掲載カタログ 第4部
プレート 55
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 112ページ 掲載番号 4-3-19
拓殖博覧会展示の樺太アイヌの住居。
人物は左から木村チカマ、坪沢テル、影山チウカランケ、坪沢六助の各氏。1912年(大正元年)10-11月撮影。
写真番号 1081
撮影年  
地域 アイヌ
場所
写真の説明 北海道アイヌの倉。撮影時間・場所とも不明。
掲載カタログ 第4部
プレート 56
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 113ページ 掲載番号 4-3-20
北海道アイヌの倉。
撮影時期・場所とも不明。
写真番号 3002
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 満州族の武人。
掲載カタログ 第4部
プレート 17
カタログ補足説明 撮影地点不明.銃を持った兵士を従えた満州旗人と考えられる.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3004
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 村芝居。
掲載カタログ 第4部
プレート 21
カタログ補足説明 撮影地点不明.一連の3カットのうちの一枚.清末の村芝居のありさまがよくわかる.通常このような舞台は,廟宇に向かい合って北向きに作られている.一種の祭祀演劇としての地方戯の形態を保存しているのである.残念なことに鳥居は,このような漢族農民の民俗については,ほとんど書き残していない.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3006
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 瀋陽の北陵。
掲載カタログ 第4部
プレート 12
カタログ補足説明 北陵は太祖ホンタイジの陵墓である.鳥居がこの時○陽で北陵に行ったことは,1928aによって確かめられる.この写真は隆恩門から北を望むアングル.正面は隆恩殿,その後方が陵墓にあたる.左右は角楼である.
「乾板に刻まれた世界」掲載 127ページ 掲載番号 5-3-6
奉天(○陽)の北陵
滞在中鳥居は東陵(清の太祖ヌルハチの陵墓)と、この北陵にも足を運んでいる。北陵は太祖ホンタイジの陵墓である。この写真は陵墓を囲む方城の正門、隆恩門から北を臨む。正面が隆恩殿、その後方が陵墓にあたる。
写真番号 3007
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 興京から集安への山越え。
掲載カタログ 第4部
プレート 15
カタログ補足説明 この写真は一連の3カットのなかの一枚.人物の防寒着と,森林の様相から高冷地での寒期の撮影であることが推定される.3037に写っている鳥居の容貌から,第二回調査の時のものであると考えられる.旅程から考えて,興京から集安への山越えがこれに該当する.興京を出発する際,「この地駐軍川村将軍,高級副官三浦大佐」が護衛としての随員と,旅行中の車輛,食糧などを準備してくれたという記述が1953にある.この馬車と兵士がそれであろう.
「乾板に刻まれた世界」掲載 129ページ 掲載番号 5-3-8
興京から集安への山越え(その1)
この写真は、人物の防寒着と森林の様相から、高冷地での寒季の撮影であることが推定される。このときの旅程から考えて、興京から集安への山越えがこれに該当する。『ある老学徒の手記』(1953年)によれば興京を出発する際、「この地駐軍川村将軍、高級副官三浦大佐」が護衛としての随員と、旅行中の車輌、食料などを準備してくれたという。この馬車と兵士がそれであろう。
写真番号 3016
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 遼陽陸軍兵站病院敷地内の発掘現場。
掲載カタログ 第4部
プレート 1
カタログ補足説明 遼陽滞在中,「伊東軍医」が突然訪れ「病院敷地内で磚が一列に敷かれたような跡があるので調べて欲しい」と言った.発掘してみると磚墓であった,というのが発見のいきさつである(1953).右が鳥居.左端の赤十字の腕章をした人物が「伊東軍医」か.
「乾板に刻まれた世界」掲載 122ページ 掲載番号 5-3-1
遼陽陸軍兵站病院敷地内の漢代磚墓の発掘現場(その1)
おそらく8月中に撮影されたと推定される。場所は遼陽城西門外2千メートル、ロシア人によって敷設されて間もない東清鉄道(後の満鉄)線路の西側。遼陽滞在中、「三等軍医伊藤壽氏」が突然訪れ「病院敷地内で磚が一列に敷かれたような跡があるので調べて欲しい」と依頼してきた。これが記念すべき満州における漢代墳墓の最初の発見につながった。右が鳥居。左端の赤十字の腕章が伊藤軍医か。
写真番号 3021
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 遼陽陸軍兵站病院敷地内の発掘現場。右端が鳥居。
掲載カタログ 第4部
プレート 3
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3036
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 満州族の農民。
掲載カタログ 第4部
プレート 18
カタログ補足説明 撮影地点不明.当時写真撮影の困難のひとつは,人々が写真を恐れて逃げ出してしまうことにあった.この老人はカメラの前に立たされて,思わず拝んでしまった.さぞかし恐ろしかったことだろう.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3037
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 興京から集安への山越え。
掲載カタログ 第4部
プレート 16
カタログ補足説明 鳥居の調査の旅の様子を知る上で貴重な映像資料である.馬車の上でオ-バ-にくるまっているのが鳥居.
「乾板に刻まれた世界」掲載 130ページ 掲載番号 5-3-9
興京から集安への山越え(その2)
3007と一連のカットである。鳥居の調査行の様子をよく伝えている。馬車の上でオーバーにくるまっているのが鳥居。
写真番号 3043
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 賓図王府での記念撮影。
掲載カタログ 第4部
プレート 14
カタログ補足説明 今回満州関係の写真75枚のうち,唯一モンゴル族を撮影したものである.この写真は一連の4カットのうちの一枚であり,他のカットではこの建物が草原中の小高い丘に建った大邸宅であることが知れる.1905-06に「(康平から)三四日行程の蒙古の賓図という王様の所へ参って御馳走に呼ばれたりして,ともに写真をとりました」とあるのがこれに該当する.
「乾板に刻まれた世界」掲載 128ページ 掲載番号 5-3-7
賓図王府での記念撮影(推定)
この写真は実は一連の4カットのうちの一枚であり、他のカットによってこの建物が草原中の小高い丘に建った大邸宅であることがわかる。畑はなく草原であることから、撮影地点が絞られる。この調査行では一度しか蒙古草原に足を踏み入れていないからである。『満州に於ける人類学的視察談』(1905~6年)に「(康平から)三四日行程の蒙古の賓図という王様の所へ参って御馳走に呼ばれたりして、ともに写真をとりました」という、そのおりの記念写真と推定される。
写真番号 3048
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 奉天(瀋陽)清寧宮内の宝物。
掲載カタログ 第4部
プレート 9
カタログ補足説明 これも鳥居が注目した熊の剥製.乾隆19年(1754年)に将軍阿送到が献じたとされている.鳥居はシャ-マンの祭具や鹿角椅子やこの熊などは「満的心性及び固有の風習を示せるものにして,余は幾多高価の金玉類よりも斯くの如きものの調査に重きを置くものなり」と結んでいる(1905).右端が鳥居.
「乾板に刻まれた世界」掲載 125ページ 掲載番号 5-3-4
奉天宮殿(瀋陽故宮)西寧宮内の宝物(その2)
これも鳥居が注目した熊の剥製。乾龍19年(1754年)に将軍阿送到が献じたもの。鳥居は鹿角椅子やこの熊などは「満的心性及び固有の風習を示せるものにして、余は幾多高価の金玉類よりも斯くの如きものの調査に重きを置くものなり」(『満州調査復命書』1905年)と述べている。
写真番号 3049
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 遼陽陸軍兵站病院敷地内の発掘現場。
掲載カタログ 第4部
プレート 5
カタログ補足説明 左端の人物は1910c図版32B「磚棺内部ヲ発掘スル所」と題された写真にも写っている.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3057
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 奉天(瀋陽)清寧宮内の宝物。『皇清職貢図』の貴州苗族の部分。
掲載カタログ 第4部
プレート 11
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 126ページ 掲載番号 5-3-5
奉天宮殿(瀋陽故宮)西寧宮内の宝物(その3)
西寧宮の文書中、鳥居が最も注目したのが満州語による盛京省地図とこの『皇清職工図』の原本であった。テーブルの上で巻物を広げ、立てた状態で写真複写したもの。これは貴州省苗族を描いた部分。漢語、満州語対照となっているのがわかる。
写真番号 3058
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 奉天(瀋陽)清寧宮内の宝物。
掲載カタログ 第4部
プレート 6
カタログ補足説明 この写真は1909gに「奉天清寧宮内保存の薩満教祭具」として収められている.それによればこれらは乾隆帝当時のものであるという.このなかでも鳥居はとりわけシャ-マンの用いる太鼓に注目し「この太鼓(手鼓)及び鞭は,尤も古形を有するものにして,現今黒龍江方面に行わるるそれと全く相等し」と述べている.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3061
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 奉天(瀋陽)清寧宮内の宝物。
掲載カタログ 第4部
プレート 10
カタログ補足説明 鳥居がとりわけ注目したのがこの『皇清職貢図』の原本であった.ここには一般に流布している『皇清職貢図』にはない満州語が並記されている.これは台湾の「帰化生蕃」を描いたもの.このように巻き物をひろげて,立てた状態で複写したことがわかる.参考:1906,1926a
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3062
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 遼陽陸軍兵站病院敷地内の発掘現場。
掲載カタログ 第4部
プレート 2
カタログ補足説明 3016とちょうど逆のアングルで撮影したもの.遠くに見える塔は,遼陽の西城壁の外にある磚塔(いわゆる白塔).遼の聖宗・興宗のころ(10世紀末~11世紀初頭)のものと鳥居は判断している.
「乾板に刻まれた世界」掲載 123ページ 掲載番号 5-3-2
遼陽陸軍兵站病院敷地内の漢代磚墓の発掘現場(その2)
3016とちょうど逆のアングルで撮影したもの。遠くに見える塔は、遼陽の西城壁の外にある磚塔(いわゆる白塔)であり、現在では遼陽市白塔公園として整備されている。
写真番号 3065
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 奉天(瀋陽)清寧宮内の宝物。
掲載カタログ 第4部
プレート 7
カタログ補足説明 同じく1909gに紹介されたシャ-マンの宝冠(写真は掲載されていなかった).シベリアにもよく似たものがあると説明されている.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3066
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 瀋陽の北陵。
掲載カタログ 第4部
プレート 13
カタログ補足説明 陵墓のマウンド(宝頂)の西側から南を望む.正面奥,三層の建物が隆恩門.3006はその門上から撮影したもの.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3069
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 遼陽陸軍兵站病院敷地内の発掘現場。発掘途中の磚墓をスケッチする鳥居。
掲載カタログ 第4部
プレート 4
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3070
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 満州族の農民。
掲載カタログ 第4部
プレート 20
カタログ補足説明 撮影地点不明.85年前に撮ったとは思えないほどファインな一枚である.当時のカメラでも壷にはまるとこれだけのものが撮れたという良い例といってもよい.むろん鳥居の技術の高さを証明するものでもある.
「乾板に刻まれた世界」掲載 131ページ 掲載番号 5-3-10
農民の一家
撮影地点不明。袖の長い綿入れ。白く乾いた土。風雨にさらされて剥がれた春聨。中国北方の初冬の雰囲気がよく伝わってくる。調査のため、時には嫌がる土地の人を、なかば無理やりレンズの前に立たせることもあった鳥居だが、この写真のカメラアイは不思議と静かで優しい。
写真番号 3073
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 満州族の農民。
掲載カタログ 第4部
プレート 19
カタログ補足説明 3036と一連のカット.女性のかんざしに満州族の特徴が表れている.鳥居の集合写真の撮り方がよくわかる.まずロングで撮ったあと,アップで撮る.今日でも行われている方法を,鳥居は経験のなかから考えだしたのであろう.
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 3075
撮影年  
地域 満州
場所
写真の説明 奉天(瀋陽)清寧宮内の宝物。
掲載カタログ 第4部
プレート 8
カタログ補足説明 鳥居が清寧宮の宝物中最も高い評価を与えた鹿角椅子と鳥居.満州族が長白山下興京にいた当時の古風を伝えるものと述べ,「殆どすべてが漢的作品になるに拘らず,なほこの満的作品あり.万緑中の紅一点とも称すべきものなり」と讃えている(1905).
「乾板に刻まれた世界」掲載 124ページ 掲載番号 5-3-3
奉天宮殿(瀋陽故宮)西寧宮内の宝物(その1)
8月末もしくは9月に撮影されたと推定される。西寧宮は清の太宗ホンタイジの居室。ここで鳥居(当時35歳)は少壮気鋭のシノロジストであった市村○次郎(中国史、同41歳)、伊東忠太(東洋建築史、同38歳)、内藤湖南(中国史、同39歳)と合流し、ともに西寧宮の入口にある一室に宿泊し宮殿内の調査を行った。写真は鳥居が西寧宮の宝物中、最も満州族の古風を伝えるものとし称賛した鹿角椅子と鳥居自身。
写真番号 6003
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 沖縄相撲をとる少年たち(八重山)。
掲載カタログ 第4部
プレート 98
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6011
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 伊波貝塚(沖縄本島中部・石川)。
掲載カタログ 第4部
プレート 79
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6014
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 道を往く男性たち(沖縄本島南部)。
掲載カタログ 第4部
プレート 70
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6016
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 八重山の男性の衣服。
掲載カタログ 第4部
プレート 99
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6017
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 八重山・川平の獅子舞芸能。
掲載カタログ 第4部
プレート 101
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 175ページ 掲載番号 7-3-13
八重山・石垣島川平(かびら)の獅子舞芸能
獅子舞は悪霊を払い、豊穣・繁栄をもたらす芸能として沖縄各地で行われる。
写真番号 6020
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 首里の玉陵(タマウドゥン:第二尚氏王統歴代の墓)。
掲載カタログ 第4部
プレート 62
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6021
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 浦添ヨウドレ(浦添城跡:英祖王統および尚寧の墓)。
掲載カタログ 第4部
プレート 63
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6024
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 二名の神女(沖縄本島)。
掲載カタログ 第4部
プレート 69
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6025
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 入れ墨のある女性。
掲載カタログ 第4部
プレート 97
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 174ページ 掲載番号 7-3-12
入墨(針突)のある女性(中央)
沖縄には大正期頃まで人生儀礼として女性に入墨を施す習俗があった。
写真番号 6041
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 琉装の老女三名。
掲載カタログ 第4部
プレート 89
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 173ページ 掲載番号 7-3-11
琉球の老女三名
写真番号 6042
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 八重山の女性と子供の衣服。
掲載カタログ 第4部
プレート 100
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6044
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 市場(マチ)の全景(沖縄本島南部)。
掲載カタログ 第4部
プレート 59
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6046
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 沖縄本島北部・羽地の水田風景。
掲載カタログ 第4部
プレート 82
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6050
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 琉装の老男子三名。
掲載カタログ 第4部
プレート 88
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 172ページ 掲載番号 7-3-10
琉球の老男子三名
写真番号 6059
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 二棟作りの住居(沖縄本島)。
掲載カタログ 第4部
プレート 73
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6060
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 八重山の墓地(右はヌーヤ墓)。
掲載カタログ 第4部
プレート 106
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 177ページ 掲載番号 7-3-15
八重山の墓地
茅葺き屋根と石積みによる八重山独特のヌーヤ墓が右に見える
写真番号 6068
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 家族(沖縄本島南部)。
掲載カタログ 第4部
プレート 67
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6069
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 ワラ葺き屋根の住居(八重山)。
掲載カタログ 第4部
プレート 103
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6070
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 ワラ葺き屋根の住居(八重山)。
掲載カタログ 第4部
プレート 104
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6072
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 縁側に座った老人(八重山)。
掲載カタログ 第4部
プレート 105
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6077
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 頭背負運搬・カサギーン(沖縄本島北部・本部)。
掲載カタログ 第4部
プレート 84
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 171ページ 掲載番号 7-3-9
女性の運搬法の一つ、カサギーン(頭背負運搬法)
沖縄本島北部・本部(もとぶ)のもの。この運搬法は本島でも北部だけにみられる。
写真番号 6082
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 幼児を抱く少女(八重山・与那国島のクミャー)。
掲載カタログ 第4部
プレート 102
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 176ページ 掲載番号 7-3-14
幼児を抱く少女
八重山・与那国島のクミャー
写真番号 6091
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 琉装の若い女性二名。
掲載カタログ 第4部
プレート 91
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6102
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 舞踏衣装の若い女性。
掲載カタログ 第4部
プレート 92
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6103
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 琉装の若い女性。
掲載カタログ 第4部
プレート 90
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6109
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 フクギの繁る集落(沖縄本島北部)。
掲載カタログ 第4部
プレート 81
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6114
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 山羊を飼う農家(沖縄本島中南部)。
掲載カタログ 第4部
プレート 78
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6115
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 中城城跡(沖縄本島中部・中城)。
掲載カタログ 第4部
プレート 77
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6117
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 奄美大島・名瀬の全景(半)。
掲載カタログ 第4部
プレート 87
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6118
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 奄美大島・名瀬の全景(半)、6117と合わせて名瀬の眺望になる。
掲載カタログ 第4部
プレート 86
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6127
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 女性(上半身・横向)。
掲載カタログ 第4部
プレート 96
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6128
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 女性(上半身・正面)、6127と同一人物。
掲載カタログ 第4部
プレート 95
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6131
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 男性(膝上・横向)。
掲載カタログ 第4部
プレート 94
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6132
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 男性(膝上・正面)、6131と同一人物。
掲載カタログ 第4部
プレート 93
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6135
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 扇を持つ祝女(ノロ:沖縄本島)。
掲載カタログ 第4部
プレート 68
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 167ページ 掲載番号 7-3-5
扇を手に持ったノロ(祝女)
ノロは沖縄本島およびその周辺離島で神祭を司る高位の神職者であり、敬称辞を付してノロクモイともいう。
写真番号 6136
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 ヒジャーガー(桶川:井戸)で洗濯をする女性たち(沖縄本島中南部)。
掲載カタログ 第4部
プレート 65
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 166ページ 掲載番号 7-3-4
湧き水を筧(かけい)で引いた井戸・ヒジャーガー(樋川)で洗濯をする女性たち
沖縄本島中南部。
写真番号 6138
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 葛芋をつくる女性(沖縄本島首里・那覇付近)。
掲載カタログ 第4部
プレート 66
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6139
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 井戸で芋洗いをする女性(沖縄本島首里・那覇付近)。
掲載カタログ 第4部
プレート 64
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6140
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 女性の頭上運搬(首里付近)。
掲載カタログ 第4部
プレート 80
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6146
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 沖縄本島南部のサーターヤー(製糖場)。
掲載カタログ 第4部
プレート 71
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 168ページ 掲載番号 7-3-6
沖縄本島南部のサーターヤー(製糖場)
一日平均一樽ほどを製造した。
写真番号 6147
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 亀甲墓群(沖縄本島南部)。
掲載カタログ 第4部
プレート 75
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6148
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 亀甲墓(沖縄本島南部)。
掲載カタログ 第4部
プレート 76
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6150
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 風葬所(沖縄本島北部・今帰仁)。
掲載カタログ 第4部
プレート 83
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 170ページ 掲載番号 7-3-8
風葬所
沖縄本島北部・今帰仁(なきじん)のもの。
写真番号 6162
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 牛を使ったサトウキビ搾汁。
掲載カタログ 第4部
プレート 72
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
写真番号 6166
撮影年  
地域 琉球
場所
写真の説明 頭背負運搬の女性(奄美)。
掲載カタログ 第4部
プレート 85
カタログ補足説明
「乾板に刻まれた世界」掲載 掲載番号
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