東京大学総合研究博物館
標本資料報告 第124号

東京大学総合研究博物館 人類先史部門所蔵
明治期理学部博物場 古物学目録掲載標本

初鹿野博之

はじめに

東京大学総合研究博物館人類先史部門では、明治時代初期の学史標本の調査・整理を2003(平成15)年度以来、進めてきた。まず、1879(明治12)年に佐々木忠次郎と飯島魁が発掘した陸平貝塚標本の調査に始まり、その成果を2006(平成18)年に標本資料報告第67号として報告した。続いて、E. S. モースらが1877(明治10)年に発掘した大森貝塚標本の調査を行い、2009(平成21)年と2010(平成22)年に標本資料報告第79・84号を刊行した。これらの標本調査の過程で、モースが日本各地で収集した標本を確認する必要が明らかになった。また、モースの提言により1879年に設置された「東京大学理学部博物場」の展示標本も一定数現存することをも再認識し、これらモース関連標本を系統だって調査し、その成果を2017(平成29)年に標本資料報告116号として発表した。

博物場の展示標本は、モースが帰国した1879年以降も収集・展示が続けられ、1884(明治17)年に印刷された標本目録ではNo.1~No.788までの3365点に及ぶ。それらは、大森・陸平貝塚ほかの標本に始まり、蜷川式胤が寄贈した陶磁器・瓦、海外から寄贈された土器・石器類、加藤敬介や富士谷孝雄といった地質学者の収集標本、そして後に人類学会を築く坪井正五郎らの収集標本に至る。まさに近代日本の人類学、考古学草創期の歩みをたどる標本群となっている。標本資料報告116号では主に目録No.1~No.184を調査対象としたが、今回はそれ以降の全ての旧博物場標本を対象に悉皆調査を実施した。その結果、半数以上に及ぶ標本を確認することができ、本資料報告書はその成果を記述するものである。

旧博物場標本の現存状況については、2017年度から2018(平成30)年度にかけて調査が実施され、2019(令和元)年度に写真撮影と収蔵状況の更新が行われた。並行して文献調査と本報告の執筆等が進められた。これらの作業はすべて初鹿野博之が中心に行い、佐宗亜衣子と稲葉佳代子が協力した。

本書は、17年間に及ぶキュラトリアルワークの一つの到達点となっている。陸平貝塚の標本調査以来、多くの方々・諸機関からご協力を賜ってきた。特に、長年にわたり、優れた専門知と集中力をもって粘り強く調査を継続した初鹿野博之氏に敬意を表し、深く感謝したい。明治から平成に至る時代変遷の中、少なからず混乱を来していた人類先史部門所蔵のモース時代関連標本コレクションについて、今回達成し得た調査・記録状況は、本部門にとって一つの模範となり得るものである。最後に、本書本文の写真等の資料掲載にあたり、津山郷土資料館、千葉市立郷土博物館、坊谷津自治会、フォッサマグナミュージアムの皆様にご協力をいただいた。ここに謝意を表し、厚く御礼申し上げる。

2021年3月

諏訪 元(東京大学総合研究博物館)

2018年2月付記

大森貝塚と陸平貝塚標本、モース関連標本のより詳細な調査結果については、それぞれ 大森貝塚出土標本データベース陸平貝塚出土標本データベースモース関連標本データベース に示している。陸平貝塚標本の詳細は標本資料報告第67号に、大森貝塚標本は標本資料報告第79・84号に、モース関連標本は標本資料報告第116号にもとづき、各データベースに示している。

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