「百工ノ補助」




近代以前の絵画、彫刻、建築は、工業技術の基礎学として位置づけられていた。それらは国家建設に必要な技術だった。明治9年、日本最初の官立美術教育機関としての工部美術学校が工部省工学寮の傘下に誕生したのもそのためである。しかし、イタリアから将来された正則美術教育は、職人画工ではなく、芸術家の誕生を促すことになった。



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