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研究部より

時間と空間の旅-
オランダから来た中東考古学者と日本
TRAVELLING in Space and Time:
A Near Eastern Archaeologist from Holland in Japan

マーク・フェルフーフェン
Marc Verhoeven


北シリアの伝統的な日乾煉瓦家屋
図1 北シリアの伝統的な日乾煉瓦家屋(1984年撮影)
はじめに

 私は2004年5月1日、客員助教授として総合研究博物館に赴任しました。このポジションのおかげで、私の大好きなこと、つまり中東考古学の研究、教育、公開にかかわる絶好の機会が得られました。赴任して何ヶ月かがすぎ、そろそろ私自身のことや活動の内容を語る時がきたように思います。


◆これまでの研究と仕事

 私が生まれ育ったのはオランダです。アムステルダム大学で考古学を専攻し1990年に卒業しました。学生時代の1988 年には、シリアのテル・サビ・アビヤドという遺跡の発掘に参加する機会がありました。北シリアのステップ地帯にある小さな川縁の遺跡です。トルコの国境からも遠くありません。テルというのは「集落丘」とでもいうべきもので、この遺跡の場合は6700-5700 BC ごろの先史時代集落がいくつも重なって盛り上がった丘となっています。考古学的には新石器時代という時代に属します。発掘では残りのよい建物、お墓、土器、石器、動植物など食べ物残滓などが次々に見つかり、大いに興味をそそられました。さらには古代中東の遺跡・遺物のすばらしさ、景観や現地の人々の魅力にとりつかれ、以後、私は中東の考古学から抜け出せなくなってしまいました(図1)。

 

 卒業後はライデン国立古代博物館でサビ・アビヤド遺跡の層位や建築の分析にたずさわりました。最終的にはこれが私の博士論文のテーマになり、ライデン大学でいわゆる遺跡空間分析にとりくむことになったのです。

テル・サビ・アビヤド遺跡で見つかった 「焼失村落」の復元
図2 テル・サビ・アビヤド遺跡で見つかった 「焼失村落」の復元(6000 BC頃)

 この研究は先史集落の中での遺物分布をGISの手法を用いて詳しく解析するものでした。目的は、遺跡内の空間、つまり建物や窯、中庭などがそれぞれどのような機能をもっていたかを解き明かすことです。対象としたのは円形や長方形の建物がたちならんでいた6000BCごろのサビ・アビヤド集落です。大規模な火災でもって放棄されていたことから「焼失村落」ともよばれています(図2)。分析の結果、大形の長方形建物はもっぱら土器や篭に入れた食物を貯蔵するのに使われており、円形の建物は家屋だったらしいということがわかりました。さらに、これら二種類の構造物は互いに異なった、しかし密接に関連した二つの社会経済的集団のものであったことがわかりました。円形家屋は、この集落に住んでいた在地の農耕民です。もう一つはいわゆる遊牧民で、この集落には時折住んだだけの人たちです。遊牧民たちが長方形の建物を利用し、自分たちの持ち物を保管していたようなのです。


 もうひとつわかったことがあります。少々おどろくべきことですが、この焼失村落でおきた火災はどうやら壮大な葬送儀礼であったのではないかと考えられました。二人の人物の死に際し、粘土で作られた神話上の生き物を祀り、そして集落全体を意図的に「火葬」したのではないだろうか、と。火を使った儀礼は民族誌にもいくつか類例があります。たとえば北海道アイヌの人たちも、誰かが亡くなったとき家屋を意図的に燃やすことが知られています。 

 最後に述べた発見によって、私は先史時代の儀礼や象徴行動の研究に引き込まれていきます。そして博士号取得後は、ライデン大学のポスドク研究員として中東新石器時代の儀礼の解釈に取り組むようになりました。先史時代の儀礼一般に関する理論的論文、特に社会人類学的な文献を分析し、最終的に、先史時代の儀礼を再構築するための多面的モデルを構築するにいたったのです。それは、いくつもの方法論的・解釈論的なステップを踏んで考古学的データを解釈するというモデルです。

 このモデルを使って新石器時代の儀礼を解釈してみました。第一に先土器新石器時代(8500-7000 BC)、ついで土器新石器時代(7000-5000 BC)の儀礼についてです。

 中東の先土器新石器遺跡では目をみはるような遺構・遺物が発見されています。どれも儀礼と関係するとみられるものです。たとえば、「神殿」、動物を彫り込んだ石柱、装飾された人間の頭骨、あるいは石製の仮面(図3と6)などです。先述のモデルを使って、それらそのもの、あるいはその出土状況を分析してみると、この時期の儀礼や世界観には4つの基本原則があることが推定できました。

石製仮面
図3 イスラエル、ヘブロン遺跡で見つかった石製仮面。
先土器新石器時代 (8500-7000 BC.頃)

 


(1)公共性。多くの儀礼が公共の場で人々に「見られる」ことを前提としていること(例:儀礼用建物、石柱、仮面)
(2)強力な象徴性。きわめてビジュアル性に富んだしかも強力で圧倒的なシンボルが用いられていること(例:大形彫刻、仮面、動物の角、漆喰頭骨)
(3)動物と人間との融合。両者がモノとして、あるいは観念の中で融合していること。
(4) 生命力。個々人の生きる力、そして多産を願う観念があらわれていること。世界中の諸民族にもこのことは言えます。

 こうした原則がどう表現されているのかを分析しながら、先土器新石器時代の儀礼システムや集落の配置を解析しました。

 その後、土器新石器時代の儀礼を分析して先土器新石器時代の構造原則と比較してみると、対照的なものであることがわかりました。土器新石器時代の儀礼は家庭的で公共性を欠いており、個別におこなわれていたようです。おそらく個人や家族単位でおこなわれたのでしょう。どちらの時代にも社会階層はなく政治的リーダーなどはいなかったと考えられますから、では、社会を統率していたのは何だったのでしょうか。象徴システムという点からいえば、先土器新石器時代は公共儀礼、土器新石器時代は土器の装飾ではなかったかと私は考えています。

テル・サビ・アビヤド第2遺跡の建物
図4 テル・サビ・アビヤド第2遺跡の建物。
先土器新石器時代末(7000 BC頃)

 さて、こうした研究や論文執筆に従事するのと同時に、いくつもの発掘調査にも参加してきました。考古学者なのだから当然です。オランダ、ドイツ、中東(シリア、パレスチナ、イエメン)はもとより最近、日本でも発掘を経験しました(後述)。最も主力をそそいだのはサビ・アビヤド第2遺跡の調査指揮で、その結果、この地域ではあまり知られていなかった先土器新石器時代の村落生活について詳細な知見を得ることができました(図4)。

 ポスドク終了後の私は、不本意ながら、しばらく中東の考古学から離れることになりました。この分野では職を得るのは難しかったからです。そのため、オランダで、いわゆる埋蔵文化財業務に従事することになり、RAAPという財団で調査部長の職につきました。大規模な考古学調査、緊急発掘などの段取りをつける仕事が主な業務です。踏査や試掘など実際の現地調査もこなしました。また、いわゆる埋蔵文化財包含地予測もおこないました。いくつか選び出した遺跡や地域の調査結果から、もっと広範囲の地域に埋まっているであろう遺構・遺物の質や量を予測しようという業務です。

 この仕事から学ぶところはたくさんありました。しかし、正直、満足できるものではありませんでした。得られた調査データを十分に分析したり出版したりする時間がとれなかったからです。アカデミックな仕事とは言い難い業務をこなす中、やりきれなさを感じていたとき、旧知の西秋良宏氏から総合研究博物館で研究員を募集しているという話を聞きました。一つのきっかけからとんとん拍子で話は進み、私は今こうして日本にいます。つまり、この文章のタイトルのような状況となったわけです。


総合研究博物館での仕事

 私の総合研究博物館での仕事はかなり多岐にわたっています。大きく分けると、データベース作成、展示準備、研究、講演、セミナー、学生指導、現地調査ということになります。以下、それぞれ簡単に説明します。

データベース作成
 まず、考古美術部門の三國博子さんとともに中東考古学関係の標本データベースを作成したりアップデイトしたりする仕事があります。主として対象としているのはかつて東京大学がイランで発掘した膨大な標本群です。土器や石器、土製品、石製品、動物骨などがあり、道具だけでなく土偶や装飾品など内容も多彩です。また、総合研究博物館が豊富に所蔵している中東の古写真にもたいへん興味を引かれています。

展示
 博物館にいるからには展示の仕事もあります。現在、西秋氏らのグループが計画しているシリア考古学展のプラニング、準備に携わっています。これは総合研究博物館だけでなく筑波大学や高知工科大学、ダマスカス大学、シリア考古局ほか多数の関係機関によびかけながら計画している大規模なものです。まだ開催時期、場所などは決まっていませんが、そのシナリオ作成と展示物選定に関わっています。
 展示は大きく二部にわかれるものとなりそうです。第一部はシリアの先史時代を扱うもので、現生人類の拡散、農耕の開始(シリアは世界最古の農業がおこった土地です)、都市の誕生(シリアは都市文明揺籃の地です)といったパートに分かれます。第二部はシリアの歴史や現在を紹介するもので、ダマスカスの古写真やシリアで活躍中の日本調査隊の活動などをもりこむことになっています。

研究

中東における農耕牧畜の発展の諸相
図5 中東における農耕牧畜の発展の諸相(20.000-6000 BC頃)
漆喰頭骨
図6 イスラエル、イェリコ遺跡出土の漆喰頭骨。
先土器新石器時代(8000 BC)

 現在とりくんでいるのは、中東の農耕牧畜の発展の様相を分析し再構築する研究です。私は、農耕牧畜とは環境、植物、動物、人々、モノ、超自然的存在など多様な要素の相互関係が変化しつつ生まれた長期にわたるプロセスだととらえています(図5)。その間、人々はそれらの諸要素をコントロールしていったのです。このプロセスをうまく理解するには、自然と文化双方のデータをとりこんだ全体的アプローチが必要で、特に人間とその他の要素との象徴面での関係に注意をはらおうと思っています。最終的には20000-6000 BC頃の発展を、農耕牧畜の萌芽期(ケバラン)、 出現期(ナトーフィアン)、発展期(先土器新石器時代前半)、拡散期(先土器新石器時代後半)、確立期(土器新石器時代)にわけて理解できるものと考えます。

 これとは別に新石器時代人物像の機能や意味についての研究も始めました。特に主眼をおいているのは、この時期によくみられる頭骨はずしの習慣です。土偶などでも頭部を欠いているものがよくみられますが、これは意図的、儀礼的なもののようで、同時期におこなわれた遺体の頭骨はずしと関係するもののように思います。遺体から頭骨をはずし、漆喰や顔料で化粧をほどこすこともあります(図6)。これらはどちらも類似した構造のもとになされた習慣で、生命力がもっとも強力に宿る場所としての頭部が注目されたものと考えられます。実際の遺体であれ象徴の世界であれ、死に際して頭部に特別な扱いをほどこすことは生命の再生のために不可欠なものだったのでしょう。

講演会
 私のこれまでの仕事を紹介する意味で、1階講義室にてこれまで4回の公開講演会をおこなってきました。演題をあげておきます。
第1回「シリア、バリーフ川流域の先土器新石器時代 −テル・サビ・アビヤドII号丘」(2004年5月27日)
第2回「シリア、バリーフ川流域の土器新石器時代 −テル・サビ・アビヤドI号丘」(2004年7月1日)
第3回「北シリア、テル・サビ・アビヤド遺跡にみる土器新石器時代の空間・場・儀礼」(2004年10月28日)
第4回「先土器新石器時代の儀礼と世界観 —レヴァント、南東アナトリア地方の場合」(2004年11月25日)

 今後も、次のような講演を計画していますので、専門家以外の方にもぜひご来場いただきたいと思います。詳細な日程は決まり次第お知らせします。
「後期新石器時代の儀礼と象徴性 —レヴァント、シリア、南東アナトリア地方の場合」
「中東先土器新石器時代に『巨大集落』はあったか」
「民族考古学、類推法、古代社会」
「縦割り・横割りを超えて —中東農耕牧畜研究への全体的アプローチ」

セミナー
 主として大学院人文社会系研究科の学生を対象として、「社会考古学の諸問題」と題したセミナーをおこなっています。そこでは最近話題になっている理論的側面について議論しています。たとえば象徴性、物質文化の意味論、建築がもつ社会的意味、自然と文化の二分論、景観論、儀礼、死、農耕牧畜、あるいは類推法の是非などといったテーマについてです。

学生指導
 中東考古学を学んでいる学生、たとえば北メソポタミアにおける彩文土器の発展を研究している修士課程の学生などの指導もおこなっています。また所属は他大学ですが総合研究博物館で研究している学生で今度、ライデン大学に留学したいという学生について、私のオランダ人脈を活かした助言もおこなっています。

野外調査

クマ牙偶破片
図7 北海道オホーツク文化期のクマ牙偶破片(450-1200 AD頃)

 私は考古学者ですから野外調査も欠かすわけにはいきません。大変、幸運なことに、人文社会系研究科の宇田川洋教授が指揮している北海道常呂町の発掘に参加することができました。この調査に関連して北海道各地を巡検することもできました。私が長らく興味をいだいてきた北海道アイヌの風俗についての情報収集のためです。アイヌの風俗は先史時代の儀礼の研究にたいへん示唆的なものでした。
 常呂町での発掘はトコロチャシ遺跡の竪穴住居を対象としたものです。これはオホーツク文化期(450-1200 AD)の遺跡です。この文化は海岸文化とでもいうべき独特な文化で、海岸部にしか遺跡がみられません。多くの竪穴住居址にはクマ祭りの痕跡が認められるのも特徴です。クマの頭骨を取り外して積み上げたもので、骨偶・牙偶など儀礼遺物がともなっています(図7)。ほとんど全ての竪穴住居は火災を受けていました。アイヌ文化にみられるクマ祭り(イオマンテ)や意図的な火災による家屋放棄の習慣はオホーツク文化に由来するもののように思われました。
 一方、総合研究博物館の西秋氏が主宰している東北シリアの先土器新石器遺跡、テル・セクル・アル・アヘイマルの調査にも参加することができました。発掘だけでなく、シリアに関する考古学展示の情報収集もかねての参加です。私の担当区ではおそらく肉類の調理に用いられた多くの窯が見つかりました。おもしろいことに、そのうちの一つからは人骨が出土しました。どうやら二次的なお墓だったようです。つまり、二つの完全な頭骨が見つかったほかは身体の各部位がばらばらになっており、しかも全部の部位がそろっていませんでした。これは先に述べたような先土器新石器時代の頭蓋儀礼にかかわるものと思われます。この二次葬の下からもう一体の人骨が見つかりましたが、時間切れでその発掘は来シーズンにもちこしとなりました。


日本での生活

 

図8 日本の自然と文化(2004年撮影)

東京あるいは日本で暮らしているとさまざまな人々に出会います。異国での生活やそこで出会う人々はとても興味深いものです。私にとって初めての日本生活なのですから特にそうなのでしょう。で、どう思っているか。答えは簡単です。たいへん気に入っています。生活も仕事も。総合研究博物館では予想もしなかったほどすばらしく広い研究室を与えていただき、多くの仕事をこなすことができています。アカデミックな環境に戻れたことがこのうえなくうれしい。研究者や学生と接触することで大いに刺激を受けていますし、また、大学の諸施設が非常にすぐれていることもありがたく思っています。

 日本で暮らすことなど想像もしていなかった私ですから、日本のことについてはよく知りませんでした。ここに来る前まで東京生活を少しおそれていたくらいです。人がいっぱいいてストレスのたまるところではないかと。しかし、それは正反対の間違いでした。私に与えられた白金台のインターナショナルロッジは確かに狭いですが、妻との二人暮らしにはまず十分です。しかも閑静で安全で緑があふれ、博物館や公園、しゃれたレストランもたくさんあります。

 特にいいと思うのは自然と文化が融合している点です。たとえばお寺は美しい公園や森の中に作られています(図8)。もちろん日本にお寺がたくさんあることは知っていましたが、それらが、こんなにも素晴らしい自然の中にとけ込んでいることなど思いもよりませんでした。私の国オランダでは自然は大半が破壊されてしまっています。都心から二〜三時間電車に乗っただけで深い森林の中を散歩できる東京がなんとうらやましいことか。

 最後に、日本の方々がどなたも親切でやさしいこともたいへん印象的です。変な日本語で私はみなさんを困らせているに違いないのですけれども。

 要するに、私は日々の生活を楽しみ、自分がやりたかった仕事につき、刺激的な世界に生きているというわけです。このことが、オランダと日本、そして中東を結び付けることにつながったらいいなと心底から望んでいます。

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(本館客員助教授/先史学)
翻訳:西秋良宏(本館助教授:先史学)


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Ouroboros 第26号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成17年1月30日
編集人:高槻成紀・佐々木猛智/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館