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中尾万三先生の生薬標本

滝戸 道夫


私は本博物館の薬学部門に現存する生薬(動植物、鉱物の薬用とする部分を簡単に加工した薬物)の標本を再整理する目的で、手始めとして中尾万三先生が大正末期から昭和の初めにかけて中国の東北地方や上海市場で収集された貴重な標本の起源を明らかにし、現在の市場品との比較研究を試みている。

 中尾先生は1908年東京帝国大学医科大学薬学科を恩賜の銀時計組で卒業され、直ちに大連の関東都督府中央研究所(後の南満州鉄道株式会社中央研究所)に勤務、続いて1927年頃より32年まで上海自然科学研究所の設立や生薬科主任として活躍された。先生は電気化学、和漢薬の成分研究をはじめ本草(天然薬物学)の古文献の学術的考察や中国、朝鮮半島産の古陶磁器についての自然科学的、芸術史学的研究の先駆者で、学会、業界に多大の貢献をされた。

 先生の標本は約300種でセットIIとした標本棚に高さ15センチほどのガラス製のビンに入れて保存され、標本の生薬名はラベルに漢字で示されている

 標本の名には直ちには解らないものもあるが、その名の由来、変遷や薬効との関係などを調べると誠に興味深いものがある。次に似た名の標本の2、3の例を披露させていただく

 初めに紹介するのは月石と月砂である。人間が未だ月に到着していない時の標本だから隕石ではないかと想像したが、前者は白く光った鉱物で、後者はやや扁平で柔らかい丸い淡褐色の球状体である。調べてみると月石は硼砂であり、月砂は野兎の乾燥した糞便であることが判った。

 月石は中国、宋時代の「三因方」(1174)に記載されている硼砂のことで、明時代の「本草綱目」(1578)には蓬砂や盆砂の名でも記されている。月石の名は硼砂の硼に由来するのであろうか

 盆砂は硼砂を水と練って盆に入れて結晶させたからだと云われるが、蓬砂の名の意味は解らない。江戸初期に出版された「多識編」(1612)には「南蛮乃須那久須利(なんばんのすなくすり)」という和名が記されている。英名はBorax、化学式はNa2B4O7・10H2Oである。現在は防腐薬、特に洗眼用薬とする。

 月砂は中国の南北朝時代の「集験方」に翫月砂(がんげつしゃ)、宋時代の「大平聖恵方」に明月砂、「蘇沈良方」に兎糞という名で記載されている古い薬で、清時代の「本経逢原」(1695)には望月砂(ぼうげつしゃ)と記され、近年の市場では望月砂、時に月砂と呼称されているようである。東北兎など数種の野兎の糞を野草が枯れて露出した頃採集するか、或いは巣穴の中の糞を集めて乾燥して生薬にするという。しかし家兎の糞は薬としない。中国で解毒薬、白内障や痔瘻の治療に利用するが日本では使われない。望月砂の名は生薬の形態を満月(望月)の形に擬らえたのであろう。

 次に紹介したいのは紫叩と赤叩である。標本は共に果実で前者は白豆(びゃくずく)、後者は紅豆(こうずく)のように見えたがラベルの名と結びつかない。「満州の漢薬」(1937)の記事から紫叩は白豆で白叩ともいい、赤叩は紅豆であることは確かめられたが何故に同一であるか不明であった。

 朝鮮人参を一般に人参と略し、参の字には古くはを書いたが音が同じなので参の字を当てた例があるので、発音を調べるとも叩もで同一であることが判り、白豆、紅豆の豆を略し、を叩としたことが解った。

 白豆は唐時代の「本草拾遺」(739)に記載されたショウガ科のアモミュム クラバン(Amomum kravanh)の成熟乾燥果実で、精油3〜8%、脂肪油を1〜2%含み、胃痛、消化不良などに用い、中国では食後の口直しに種子を噛むという。

 紅豆は外皮が紅褐色の果実で一端に灰褐色の花被の残部がある。宋時代の「開宝本草」(973)に記載されたショウガ科のアルピニア ガランガ(Alpinia galanga)の乾燥果実で、精油、フラボノイド、脂肪油などを含み、消化不良、腹痛、下痢や嘔吐に利用している。

 次に紹介するのは白葯子(びゃくやくし)と黄葯子(おうやくし)である。通常、何々子と後に子の付く生薬は果実か種子であるが、これらは共に根、根茎或いは木部の切片のように見える。中尾先生の著した「漢方薬写真集成I」(1929)では前者をウリ科のトリコサンテス パルマタ(Trichosanthes palmata)の根、後者をヤマノイモ科のニガカシウの根であろうとしている。

 白葯子は唐時代の「新修本草」(659)に記載された古い薬で日本でも最古の本草書「本草和名」(918)や最古の医書「医心方」(984)に収載されているが、近年の中国では中尾先生の見解とは異なり、白葯子にツヅラフジ科のタマサキツヅラフジの塊根やヤマノイモ科のジオスコレア パンタイカ(Dioscorea panthaica)の根茎などを当てているので現在精査している。

 黄葯子は宋時代の「本草図経」(1062)に記載された薬で、現在も前述のごとくニガカシウの塊茎(担根体)とされているが、これにもイタドリの根やセンニンソウの根を当てる説もある。内服薬として、煎剤を止血、鎮咳薬に、外用薬(抽出エキス)を皮膚化膿症などに使用している。

 最後にもう一組を擧げると黒丑(こくちゅう)と白丑(はくちゅう)がある。これらは共にアサガオの種子で、種皮の色が黒色か白褐色かの違いだけで一般には両方とも牽牛子(けんごし)という。牛を丑に置き換えたのであろう。峻下剤(強い下剤)として利用している。

このように生薬の名前には略字や当字もあって、何物かが解り難いものもあるが、その名の由来や変遷にはその時代の文化が染み出ていて誠に興味深く、楽しく研究を続けている。

 

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(本館協力研究員・日本大学名誉教授/生薬学)

  

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Ouroboros 第13号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成13年2月5日
編集人:西秋良宏/発行人:川口昭彦/発行所:東京大学総合研究博物館