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専門性の多様性

村上 陽一郎


 ヨーロッパが大航海時代を迎えたのは、16世紀である。開かれた新しい世界(それは単にヨーロッパの人々にとって、であったが)からもたらされる新奇な風物に、人々は目を見張ると同時に、それらを「喜ばしいニューズ」として歓迎した。日本語で「ニュース」と言えば新聞や放送における報道であるが、英語での本来の意味は書くまでもなく「新しいもの・こと」にほかならない。17世紀に頻繁に使われた英語表現に<joyfull news from the new world>(lを重ねたのは当時の綴り字である)というのがあるが、まさしく、新世界からもたらされた「新しいもの・こと」が「喜ばしい知らせ」であったことを物語っている。神の創造の世界が、人間の想像できる範囲をはるかに超えて、大きく、また多様に、広がったことが「喜ばしい」ことであったのであるが、それはまた人間の好奇心をかきたてることでもあった。ドイツ語の「好奇心」は<Neugier>であるが、これも言うまでもなく「新しいもの」に関連する言葉である。

 かくして人々は、「新しいもの」ならば何でも集めて、収蔵することを始めた。家の壁にアルコ—ヴを造って、そこにケースをはめ込み、観音開きの扉のなかは、およそ脈絡のない(と今から見れば思われる)収集品がところ狭しと並べたててあり、訪れた客に自慢する、というのが、多少経済にゆとりのある市民の流行になった。南海で採れた(と称する)貝殻、アジア産(と称する)の珍獣の角、熱帯にだけ繁茂する(と称する)植物の実などなど、得体の知れぬ収集物の山がそこにはあった。

ディアスコリデスの本草学(スペイン、サラマンカ刊。1560年代)

 博物学に相当する学問の伝統は、古代ギリシャにもあった。アリストテレスは「自然の階梯」という概念を定着させた人として知られるが、こうした考え方は、基本的には博物学のものである。ヨーロッパでは、こうしたギリシャ的自然観とキリスト教における神の世界創造とが結びついて、独特の「自然誌」的関心が生まれた。

 それを背景にして、しかし、17世紀後半にはすでに次第に顕著になりつつあった世俗化の流れのなかで、あからさまな「好奇心」が、人間活動を支える主たる動機として浮かび上がってきたのである。先走るが、19世紀以降に制度化された科学が、しばしば<curiosity-driven>つまり「好奇心駆動型の」知的営みとして規定されるのも、ゆえなきことではない。博物館というのは、こうした「好奇心」の所産である。

ただ、博物学そのものは、科学の制度化とともに衰退する。科学は、その名の如く、専門的な「科」に岐れることを特徴としている。博物学のように「雑多な寄せ集め」という印象を与えるものとは対極にある。このヴェクトルの違いは決定的であった。否が上にも細分化された「狭い好奇心」と自然と人為の双方の全般に亘る「広い好奇心」とは、論理的に相容れないかどうかはともかく、実際的にはお互いに斥け合うものであったし、それは現在でもそうである。

十年ほど前、ある理学系の大学でのこと、学術講演会が終わって、立食の懇親会の席上、近づきになった生物学関係の助教授が、こんな述懐を洩らした。自分は鱗翅学会に入っているのだが、そのことは学内では公にできない、今後助教授から教授に昇進しなければならないが、そのとき妨げになり得るからだ。鱗翅学会というのは、蝶や蛾の好きな人々も入ることができる比較的オープンな集まりである。しかし、それは職業的で専門的な科学者の世界から見れば、好事家の集団としか映らないのだろう。ことほどさように、現在の科学は、「単なる好奇心」と「学問的・専門的好奇心」とを区別するようになってしまっている。

そして、この構図は大学のなかにも反映されて、ことさらに「専門性」が重視される傾向がある。「専門性」が重視されるのは構わないが、そこでは常に、「広い好奇心」の軽視、あるいは蔑視を伴っているのが実情である。確かに「単なる好奇心」は、現在の科学、あるいはより広く学問にとって重要ではなくなっているかもしれないが、それとともに、「広い好奇心」まで投げ捨てなければならないと考えることは、間違っているように思う。

そして大学に博物館があり、そこでの学問があり得る、という事態は、まさしく、その間違いを糾すことができることを意味している。私は、現在の学問の専門性を軽視せよ、と言っているのではない。しかし、専門性という概念は一色ではない。色々な専門性があり得るのである。博物学がそのまま現代に復活するとは思わないが、しかし、博物学的な感性と知性との復活は、現代の学問が陥っている隘路への、少なくとも一つの治療法であると信じる。

 

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(國際基督教大学教授・東京大学名誉教授)

 

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Ouroboros 第13号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成13年2月5日
編集人:高槻成紀/発行人:川口昭彦/発行所:東京大学総合研究博物館