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美しき「学誌財」

西野 嘉章


総合研究博物館の業務のひとつに学術標本の収集、登録、保管の仕事がある。扱うものは自然史から文化史まで多岐に亘っており、それは旧総合研究資料館時代から途絶することなく続けられてきた。しかし、近年、この基本的な業務のあり方が少しずつ変わりつつある。海外や国内の学術調査での成果物を自由に持ち帰ることが以前にも増して難しくなり、既存のコレクションを再整備したり、資料収集のための新たな「フィールド」を開拓したりする努力が必要とされる時代になっているからである。

そうしたなかで、この何年か、博物館がとくに力を入れているのは、教室や研究室でお荷物扱いされている古い学術標本のシステマティックな回収作業である。現代の学術知やテクノロジーは驚くほどの勢いで日々進歩している。その傍らには、学術の進化を支えてきた「モノ」が取り残される。やがてそれらは意識の外にはみ出され、いつしか人の記憶から忘れ去られる。学術研究の現場である大学にはこうした「学術的残滓」が山のように残されている。研究のニーズに応え難くなった一次資料や実験器材、かつて学内の教育研究の現場で使用されいまや用を為さなくなった教室什器、大学の歩んだ歴史を即物的に跡づける写真帖や記念物など、学内にあって時の流れから取り残された学術的な文化財——すなわち「学誌財」の収集と保管が、総合研究博物館の取り組む重要な課題のひとつとなりつつある。

写真1 機構モデル、明治初期
写真2 捩り計、昭和30年代

写真3 天秤計、昭和30年代
 歴史の流れのなかを生き延びてきた「学誌財」は、ある専門領域の研究目的には最早適わなくとも、見方を換えるなら、どれもかけがえのないものばかりである。事実、思いつくままに言っても、科学技術史、学説形成史、教育研究史、造形デザイン史など、関連諸学をいくらも挙げることができる。東京大学に眠る「学誌財」の稀少さと貴重さは、近代日本社会における学術研究の進展を顧みても、あるいはまたそのなかで本学の果たした役割に想いを馳せても、むしろ当然のことと受け止めるべきであり、現に、ひと昔前の東大構内には、歴史的に見たとき国内最初と目される試作品の類や、その時代でもっとも性能の良い機械や精度の高い器具や、国内でもっとも首尾の良いコレクション、他所のどこにもひけを取らない上等の什器類といったものが、いくらも当たり前に存在していた。そうした貴重な文化財が、施設の狭隘化を理由に不要品として徒に廃棄されたり、あるいは倉庫の片隅に放棄されたままになったりしている光景を眼にするたび、私は歴史的な物品の価値についてひとつ認識を共有し合うことの難しさを痛感せずにいられないのである。

 稀少にして貴重なものであるとはいえ、歴史的な物品の収集と保管は易しいものでない。博物館に持ち込まれるものは、大方が埃や塵や脂で真っ黒に汚れており、触るのさえ憚られるものも少なくない。とはいえ、クリーニングの作業を行いながら、救われた気持ちになることもある。古色を帯びた事物が、旧くなった衣を脱ぎ、見事に変容を遂げる、そうした瞬間に立ち会ったときがそれである。私のように人文学を専攻してきた者にとって、工学や理学の研究に用いられた道具類は、機構や、性能や、用途など、およそ不案内な世界に属するものであるため、徒な詮索をするより、むしろ純粋にそれらを製作した人々の仕事ぶりや、事物それ自体の外形的な特性に眼が行き、結果としてそれらの即物的な美しさが際立って見える。

写真4 材料試験器、昭和初期
写真5 木材見本、昭和初期
 博物館に蓄積されつつあるそれら古い器具類を見て感じるのは、明治から昭和初期にかけて作られた道具は、どれもみな美しいフォルムを持っているということである。もちろん、事は道具類に限られない。同じ時期に作られた学術標本にもまた、時間と手間が惜しみなく注がれた結果として、見事な佇まいを有するものが多い。思えば、それらはみな特定の用途、目的に供すべく作られたものである。ために、研究者のファンタジーや制作者の審美的な趣味が介入する余地などなかったはずである。しかし、機能的であること、合目的的であることををぎりぎりまで追究した結果、道具の外形は驚くほど無駄のないフォルムを取り、標本の形状は呆れるほど調和の取れた形式を保つ。耐久的なものにしようと思えば、理として、使う材料は贅沢なものとならざるを得ないし、製作の行程もまた念の入ったものとなる。実際のところ、大学での特殊な実験や研究に用いられる備品や用具は、どれも特注品でしか賄えなかったはずである。学術研究の構成要素は、世間一般に普及する大量消費財とは自ずと位相を異にするものであり、多くが贅沢品と目されるものの類であったに違いない。

 もし、ある事物についてそれまでなかった新しいものの見方を提示するというのが博物館の役割のひとつであるとするなら、こうした「学誌財」の総合的な再評価もまた大学博物館の重要な使命といえるだろう。古い学術文化財の有する多面的な価値のなかで、私がとくに強調したいのは、それらの形態の美しさ、デザインワークの見事さ、製作技術の巧みさである。理由は単純である。現在の私たちの仕事場である大学の教育研究環境、さらには住環境を構成する施設や諸物品のデザインがあまりにお粗末である、というよりもデザインの質的な側面への配慮があまりに乏しいと感じるからである。調和のとれた美しい学術環境に恵まれずして、質の高い人間的な研究成果の獲得はあり得ない。そうした認識を確認するため、私は何年かしたら博物館において、東大の「学誌財」を、学術研究の水準でなく、デザインの質を物差しとして振り返るような展覧会を実現させたいと考えている。古いものの持つ洗練されたデザインを即物的に検証することが、今日の私たちを取り巻く学術環境の質を再考する契機になることを願うからである。

 

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(本館教授/博物館工学・美術史)

 

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Ouroboros 第13号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成13年2月5日
編集人:高槻成紀/発行人:川口昭彦/発行所:東京大学総合研究博物館