展示レビュー
企画展「神岡展」の終了
田賀井 篤平
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ボーリングコア:金属鉱業事業団が行った広域調査で採集した600mのボーリングコア
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6月29日、企画展「神岡」展が無事終了しました。神岡鉱山は、日本を代表する鉛・亜鉛の鉱山であり、明治以降の産業の近代化を支えてきた非鉄金属鉱山でした。
神岡地方における鉱山の発見は8世紀初めの養老年間とする説がありますが、本格的な開発は、16世紀末、金森長近につかえた茂住宗貞によると言われています。元禄時代には衰退し、銅・鉛鉱山として細々と稼行されていたようです。
明治になると、三井組が神岡に進出し神岡鉱山稼行を始めました。その後、近代的な工法を西洋から積極的に導入し、選鉱・製錬設備の近代化も図られました。日清・日露戦争から非鉄金属である亜鉛の重要性が認識され活発な採掘が行われました。昭和に入ると戦時産業に対応するべく増産体制がとられましたが、第二次大戦後は、乱掘などの戦争中の後遺症に苦しみました。
昭和48年のオイルショックによって、生野・別子・足尾などの日本を代表する鉱山が次々と閉山しましたが、神岡鉱山は近代的採鉱法を導入して高能率鉱山として生き残りました。
また、近年はニュートリノ観測のためのカミオカンデ・スーパーカミオカンデが設置されていることで知られています。
本展示では、神岡鉱山の図資料とモノの両面からの総合的検証を試みました。神岡鉱山の鉱物・鉱石・岩石、東京大学の研究者が残した研究素材、坑内スケッチ、坑内ボーリング資料、さらには資源探査のための600mボーリングコアなどから神岡鉱山を多角的に解剖してみました。また昭和25年ころに撮影された映画「飛騨のかなやま」をデジタル化して上映し好評を得ました。
その神岡鉱山も、この展示が終了するその日に鉱山部門が閉山となりました。本展示が、奇しくもその記念展となったことは担当者として感慨深いものがあります。ご協力を戴いた神岡鉱業はじめ皆様に感謝いたします。
(本館教授/バイオ鉱物学)
「石と金属の飾り物」展を終えて
倉林 眞砂斗
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玉類各種:勾玉、管玉、切子玉からなる首飾り
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玉類各種:勾玉
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4月9日(月)〜6月29日(金)まで、当館の一角において、「石と金属の飾りもの」と題する第4回新規収蔵・整理標本展がおこなわれた。人類先史部門には前方後円墳時代の遺物が数多く収蔵管理されており、その内容は土器および土製品から石製品、青銅製品、鉄製品、ガラス製品等さまざまである。機能別にみると、とくに身体装飾品が大きな割合を占めている。具体的には、金属製の耳環、首飾とされた石製ないしガラス製の玉類、貝製・石製・金属製の腕飾等である。ここ数年にわたって、これらの身体装飾品および石製品の新規整理プロジェクトが進められており、その成果の一つとして本展示が実施された。
前方後円墳時代とは、前方後円墳を頂点とした一定の秩序のもとに、日本列島の広範囲で大から小まで数十万基の古墳が造られ続けた時代である。およそ1750年前から350年間ほど続いたと考えられている。あくなき造墓活動は、祖霊崇拝が社会秩序の維持拡充と表裏一体のものであったことをよく示している。同時に、現実の勢威は「鉄」の獲得保有に大きく依存していた。このような時代にあって、当時の人々は自らをどのように飾り立てたのか。本展示のねらいは、この点について概観してもらうことにあった。
まず、腕飾に関しては、石製・貝製・青銅製の三種を並べ置くことで、色・形・質感等の違いを明らかにした。耳環の場合は、大きさ、ひいては重さにかなり幅があることを示すとともに、耳環装着の表現がなされた人物埴輪を併せて展示した。玉類は、種類の増加、材質の変化ひいては色調の変化を意識した展示をおこなった。各々に、やや詳しい解説を添えることによって、身体装飾品における変化の方向性が理解しやすいように配慮したつもりである。
いずれ他の標本資料も併せて、当該時代に関する総合的な展示が必要であろう。その際には、大半の出土状況が不明である点をふまえて、出土状況に関して補完的な説明をしても良いと思う。
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玉類各種:鉄輪
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玉類各種:貝輪
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(城西国際大学助教授・本館協力研究員)
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Ouroboros 第14号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成13年7月13日
編集人:西秋良宏/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館