東京大学所蔵の陸平貝塚標本は、主として以下のものからなる。
これらのうち、平箱50箱余りからなる酒詰調査標本はほとんど手付かず(未洗浄・未注記)の状態にある。ここでは陸平貝塚出土の、戦前の調査・収集標本を中心に、東京大学における管理・運営の歴史を分かる範囲内で記述する。
佐々木・飯島が発掘した陸平標本は、「博物場」と呼ばれる施設で展示された歴史がある。博物場に関しては文献 〔14〕 〔19〕 〔20〕 に記されているが、E.S.モースの提言により1879年に当時理学部のあった神田一ツ橋に開設され、展示品には大森貝塚や陸平貝塚出土の先史考古標本が多数含まれていたことが知られている。展示品には朱書きで番号が付けられ、1884年には目録 〔5〕 が作成された。
博物場は1886年頃に閉鎖され、展示されていた標本は人類学教室に移管された。1938年に人類学教室教授に着任した長谷部言人は、当時地下室などに置かれていた遺物を「再発掘」と称して調査し、その際に博物場に展示されていた標本にも遭遇したとしている 〔16〕 。また小山富士夫は、モース収集の古陶磁器コレクションの多くに朱書きの番号が付されており、それが展示品目録と一致することを指摘している 〔17〕 。
明治時代後半には大野雲外による調査・標本収集が行われた。1904年には、地元の武田俊蔵氏から土器1点と骨器3点が寄贈されたとの記録が美浦村に残っており、寄贈された土器は双口土器と考えられている 〔25〕 。
1920年代には、杉山寿栄男によって『原始文様集』 〔13〕 と『日本原始工芸』 〔15〕 が相次いで発表され、人類学教室所蔵の陸平標本も数点掲載された。また、中谷治宇二郎は日本各地の遺物の図を集成してカードを作成しており(東京大学総合研究博物館考古部門所蔵)、ここにも陸平標本が含まれている。大部分は『日本原始工芸』の図を転用したものだが、中谷自身が描いたとみられる図も数枚ある。これら杉山・中谷の図の中には、佐々木・飯島の報告にはない標本が認められる。
大正末期~昭和初期にかけて、人類学教室が所蔵していた完形土器などの主要な標本に、1~8480までの標本番号(以下「人類学教室原番号」と呼ぶ)が付けられ、対応するカード(7.5 cm×12.5 cm)が作られた。
現在たどれる標本整理とデータベース化の試みとしては、先ずは渡辺仁の指導のもとで行われた1960年代から70年代初頭のものがある(赤沢威、2006年私信)。1966年には東京大学総合研究資料館(現総合研究博物館)が設置され、理学部人類学教室所蔵の先史標本の多くが総合研究資料館の人類先史部門へ移管された。その前後の1965年~69年の標本整理活動により、本報告書で「A番号」と呼称している標本番号が一部の標本に付けられ、A1~A3700番台までのカード(7.5 cm×12.5 cm)が作成された。
これと一部並行して、おそらく1968年から1970年代にかけて、新たに大判のパンチカード(12.5 cm×20.5 cm)の遺物カードが作成された(以下「大判カード」と呼ぶ)。このカード・システムでは、従来の人類学教室原番号(8480まで)を踏襲しながら、一部の標本には、新たに10000番台以後の番号が付与された。本報告書では、8480番までと10000番台以後のものを、共に人類学教室原番号と呼称した。また、大判カードにおいては、土器標本を中心にA番号が一部の標本に追加された(6000番台まで)。従って、人類学教室原番号とA番号が同一標本に付与されている場合と、そうでない場合とがある。
1980年になると、赤澤威によってデータベースの電算化が推進された 〔21〕 。その一環として、所蔵資料の出土遺跡にアルファベット2文字による「遺跡番号」が付けられ 〔21〕 、陸平については「BQ」が遺跡番号として割り当てられた。また、陸平貝塚出土と思われる一部の標本には、新たにBQ-1~112までの標本番号が付けられた(以下「BQ当初番号」と呼ぶ)。BQ-1は骨角器、BQ-2~112は土器片で、いずれも佐々木・飯島の1882年の英文報告(以下「英文報告」)に記載がなく、それまで標本番号が付けられていなかった標本である。
以後、磯前順一と赤澤により、総合研究博物館所蔵の縄文時代土偶・土製品の標本資料報告 〔23〕 が1991年に出版され、若干の追加訂正と共に1996年に再版された 〔24〕 。この標本資料報告に陸平貝塚出土の土偶が2点掲載されているが、これらについては英文報告などに記載がなく、由来は不明である。なお、1990年代末には、この標本資料報告にさらに若干の追加訂正を加え、同時にフォーマットを変更して電算化した。これにカラー画像を付した様式の一つを、 「縄文時代土偶・土製品画像データベース」 として、2000年から博物館ホームページにて公開している。
諏訪 元(東京大学総合研究博物館)
初鹿野博之(東京大学大学院人文社会系研究科・考古学研究室)