展示板付きの標本について

博物場で使用されていた展示板もしくはラベルが残っていたものを表29に示した。このうちNo.118・No.153・No.163の展示板3枚は、薄い青緑がかった灰色に塗装され、穴を開けてタコ糸もしくは細い針金で標本を固定している(No.118とNo.163は標本資料報告116号に掲載)。

今回新たに報告する展示板13枚は、すべて黒色に塗装されている。厚さ約1.5cmの板で、サイズは大きいものでおよそ30cm×22cm、それを2分割したもの(22cm×15cm)、4分割したもの(15cm×11cm)がある。それらを展示する標本に合わせてタテ方向やヨコ方向に使用していた。板の下端には紙ラベル(タテ4cm×ヨコ7.5cm程度)が貼られ、目録とほぼ同じ内容が記載されている。標本は、穴をあけて糸を用いて固定しているものがほとんどである。No.478(図版25-4)は太い針金を使用しているが、ラベルがなく、博物場当時の展示状況ではない可能性もある。No.662(図版51-3)とNo.663(図版51-4)もラベルがないが、いずれも板に鉛筆書きで「Nishigaharamura」と記されている。前者は、穴と糸の状況から固定されていた標本が1点であることが分かるため、No.662の石斧1点(標本未確認)の展示板と推定した。後者は、同じ平箱で保管されていたNo.663の石器3点の展示板とみられる。また、No.572(図版42、武蔵草加貝塚)の板にも「kaidzuka」と鉛筆書きされており、これらはラベルを貼る前に下書きとして記された可能性がある。

なお、図版20-1(小樽の石器)も板に固定されているが、No.298とNo.300が混在していることと、博物場番号がない石器3点も同じ板に固定されていることから、博物場当時の展示板ではないと判断した。

以下、前項までに取り上げなかった標本について補足的に紹介する。

No.243(図版2-2)は出土地不明の石棒で、「霹靂へきれきちん」は江戸時代の好古家によって付けられた名称である。

No.541(図版40-1)は「谷中本町」出土の土師器・須恵器である。現在の東京都台東区谷中周辺の遺跡とみられる。

No.553(図版40-2)は「安積高隆寺」出土の瓦で、天平時代のものとされるが、現在の地名との対応は明らかでない。瓦の凸面には赤字で「553」の注記がある。凹面には「安積高隆寺ヨリ堀出ス時代天平」と書かれた紙が貼られているが、板に固定すると見えなくなってしまう。一方、展示板に貼られたラベルには「No.553 Broken piece of tile. (nunomegawara) 宮城郡多賀城」と書かれている。多賀城の瓦は目録ではNo.554となっており、点数が記載されていないなど、目録と標本の対応に混乱がみられる。

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