有坂鉊蔵 1923「日本考古学懐旧談」『人類学雑誌』38巻5号
有坂鉊蔵 1935「弥生式土器発見の頃の思出」『ドルメン』4巻6号
今井功 1968『黎明期の日本地質学』
上田英吉 1887「下総国千葉郡介墟記」『東京人類学会雑誌』2巻19号
鵜沼わか 1991『モースの見た北海道』北海道出版企画センター
かながわ考古学財団 2002『稲荷山貝塚』かながわ考古学財団調査報告131
加部厳夫 1881「古器物見聞の記」『好古雑誌』1
木村政五郎 1886「真砂楼遺稿」『東京人類学会報告』7号
小金井良精 1890「本邦貝塚ヨリ出タル人骨ニ就テ」『東京人類学会雑誌』6巻56号
巨智部忠承 1883『概測常北地質編』理科會粹第四帙附録 東京大学
小山富士夫 1939「東京帝国大学人類学教室にあるモールス・コレクション」『陶磁』11-3
齋藤玲子 2015「坪井正五郎によるアイヌ民族資料の収集」『民博通信』No.150 国立民族学博物館
佐々木忠二郎 1882「塚穴考」『東洋学芸雑誌』15号
佐原真 1988「モールス先生から坪井正五郎までの間」『考古学叢考』斎藤忠先生頌寿記念論文集刊行会編
白井光太郎 1886「中里村介塚」『人類学会報告』4号
白井光太郎(神風山人)1887「貝塚ヲ貝塚村ニ探ルノ記」『東京人類学会報告』2巻13号
白井光太郎(無名子戯稿)1900「採集かばん」『東京人類学会雑誌』15巻166号
神保小虎 1886「下総国曽谷貝塚」『東京人類学会報告』2巻10号
千葉県 2000『千葉県の歴史 資料編 考古1』
千葉県教育委員会 1983『千葉県所在貝塚遺跡詳細分布調査報告書』
千葉市 1953『千葉市誌』
千葉市 1976『千葉市史』史料編1
千葉市 1977『千葉市史』史料編2
千葉市 1993『絵でみる図でよむ千葉市図誌』下巻
塚原徳道編 1978『久原躬弦書簡集』津山洋学資料第3集 津山洋学資料館
坪井正五郎 1884「東京近傍古跡探鑿ノ事」『理学協会雑誌』7号
坪井正五郎 1886a「東京近傍古跡指明図」『東京人類学会報告』5号
坪井正五郎 1886b「東京近傍貝塚総論」『東京地学協会報告』8-4
坪井正五郎 1889「帝国大学の隣地に貝塚の跟跡有り」『東洋学芸雑誌』91
坪井正五郎 1893「西ヶ原貝塚探究報告 其一」『東京人類学会雑誌』8巻85号
坪井正五郎 1904「東京人類学会満二十年紀念演説」『東京人類学会雑誌』20巻223号
寺田和夫 1981『日本の人類学』角川文庫
東京帝国大学 1897『日本石器時代人民遺物発見地名表』
奈良市教育委員会・奈良国立文化財研究所 1996『平城京・藤原京出土軒瓦型式一覧』
西野嘉章 1997「明治三七年の坪井正五郎 人類学教室標本展覧会をめぐって」『学問のアルケオロジー』東京大学創立百二十周年記念東京大学展 学問の過去・現在・未来[第一部]
蜷川辰子 1902『観古図説 瓦の部』
蜷川親正 1988「モースの陶器収集と蜷川式胤」『共同研究モースと日本』守屋毅編 小学館
長谷部言人 1939「測人器」『ドルメン』5-6
服部翁顕彰会 1943『服部一三翁景伝』
福家梅太郎・坪井正五郎 1883「土器塚考」『東洋学芸雑誌』19号
富士谷孝雄 1883「中村穴居考」『学芸志林』第十三巻
三島徳三 1998「―北大人骨放置事件―新渡戸関与説を批判する」『新渡戸稲造研究』第7号
守屋毅 1988「モースとその日本研究」『共同研究モースと日本』守屋毅編 小学館
吉川芳秋 1933「日本人類学の始祖 故坪井正五郎博士の自叙伝 二」『ドルメン』2巻7号
Barber, E. A. 1917 ILLUSTRATED CATALOGUE OF CHINA, POTTERY, PORCELAUNS AND GLASS
Haldeman, S. S. 1881 On the Contents of a Rock Retreat in South Eastern Pennsylvania, Transactions of the American Philosophical Society, Vol. 15, No. 3, pp. 351-368
Morse, E. S. 1901 CATALOGUE OF THE MORSE COLLECTION OF JAPANESE POTTERY
E. S. モース著、石川欣一訳 1970『日本その日その日』2 平凡社東洋文庫172
E. S. モース著、石川欣一訳 1971『日本その日その日』3 平凡社東洋文庫179