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東京大学総合研究博物館小石川分館蔵
関野貞コレクション

関野貞は、明治期後半から昭和期初頭にかけて日本及び朝鮮半島、中国の文化財調査とその修理保存に活躍した建築史学者である。以下の年譜から、その研究をうかがうことができる。

1868年1月10日(明治元年1月10日、旧暦慶応3年12月15日)越後国高田藩生まれ

1895年7月 帝国大学工科大学造家学科を卒業

1897年6月 奈良県技師として古社寺の調査保存(6月「古社寺保存法」公布)

1901年9月 東京帝国大学工科大学助教授に就任

1902年6月 韓国建築調査(『韓国建築調査報告』1904年)

1906年9月 中国(清国)調査

1909年9月 韓国古建築調査

1910年9月 朝鮮遺蹟調査、以後毎年朝鮮半島で古蹟調査

1918~1920年 インド、ヨーロッパ、アメリカへ留学

1918年3月 中国調査、6月天龍山石窟発見、11月ムンバイ着

1920年5月 帰国、11月東京帝国大学教授に昇任

1926年4月 奈良県で法隆寺五重塔調査

1928年3月 東京帝国大学を退官

1929年4月 東方文化学院東京研究所の研究員となる

1930年5月 中国調査(1935年まで継続)、建築、陵墓、石碑の調査

1935年7月29日 永眠

日本国内では、法隆寺非再建論、平城京及び大内裏の考証、朝鮮半島では、古蹟調査とその保護、高句麗壁画古墳調査、『朝鮮古蹟図譜』全15冊(1915年~1935年)の刊行、中国では天龍山石窟の発見、遼・金時時代の建築調査、皇帝陵の調査などが学史に残る業績である。

その研究方法は、文化財(建築、考古、仏像などの美術)の細部の構造やそこに見られる文様を細かく読み取り、相互に比較することにより、文化財の年代や様式的変遷を明らかにした。そして、その成果は文化財保護にも役立てられた。主な対象となる地域は、上記の年譜からもわかるように日本、朝鮮半島、中国と東アジア全体に及んだ。関野貞は、このように学術的評価に裏付けられた文化財の調査と保護のパイオニアであり、修理保存などの実践的活動を行った。彼の代表的論文は、『朝鮮の建築と芸術』『支那の建築と芸術』『日本の建築と芸術』(上・下)にまとめられた。

以上の活動を通じて、写真、拓本、フィールドカード、図面、地図、絵葉書、書簡、文書、原稿、模写などの学術資料が作成、収集された。


関野貞コレクションは、生前に東京帝国大学工科大学に所蔵されたものと、長男の関野克教授が勤めていた東京帝国大学第二工学部(のち生産技術研究所)で保管されてきたものがある。後者の資料は、2003年に東京大学総合研究博物館に移管された。ここで公開するのは後者の資料である。種類が多岐にわたり、数も多いので、写真、拓本、フィールドカード、その他の四項目に分ける。

なお、関野貞資料全体については、藤井恵介「関野貞資料と関野展の私的覚書」『文化資源学』4、2006年を参照されたい。