The University Museum, The University of Tokyo : Material Report No.133
大沼克彦打製石器復元製作コレクションについて
西秋良宏
1. はじめに
大沼克彦博士は南山大学卒業後、英国ロンドン大学大学院にて石器技術学を修め、長く国士舘大学で先史考古学の教鞭をとられた。東京大学理学部においても20年近くにわたって先史学実習を担当された。その略歴は、次の通りである(『ラーフィダーン』第38巻、2017より)。
1944年6月2日 | 満州生まれ |
1973年3月 | 南山大学文学部人類学科卒業 |
1977年3月 | 南山大学大学院文学研究科修士課程修了(文化人類学) |
1982年4月 | 国士舘大学イラク古代文化研究所講師 |
1986年11月 | ロンドン大学考古学研究所博士課程修了Ph. D.(先史考古学) |
1987年4月 | 国士舘大学イラク古代文化研究所助教授 |
1994年4月 | 国士舘大学イラク古代文化研究所教授 |
1997年4月 | 国士舘大学イラク古代文化研究所長(2003年3月まで) |
2006年4月 | 国士舘大学大学院グローバルアジア研究科教授 |
2015年3月 | 同上定年退職 |
2015年6月 | 国士舘大学名誉教授 |
非常勤講師: | |
1999年~2014年 | 東京大学理学部生物学科人類学課程「先史学実習」 |
2004年 | 東京都立大学人文学部「考古学特殊講義I」 |
2006年〜2008年 | 札幌大学大学院文化学研究科「古代文明特論」 |
2007年 | 筑波大学歴史・人類学系「考古学方法論I」 |
本書に掲載するコレクションは、このキャリアにおいて大沼博士が残した実験的復元石器コレクションのエッセンス、ならびにその記録である。それに含まれる本人の実験ノート(Plates 1; 2)によれば、1979年1月9日から2001年12月2日の記録である。ただし、実際には石器製作は続け得られており、標本の寄贈は2017年からコロナ禍前までにかけて断続的におこなわれた。この間、本人の研究関心にしたがい多様なタイプの石器、技術が復元されており、本コレクションは石器時代のほぼ全期をカヴァーするものとなった。実物標本もごく数点あるが(Plate 52: 2)、目玉は何と言っても復元製作品である。これによって、“製作者”の観点から人類史における石器技術の発展、変化を追跡しうる資料が得られたと考える。
以下、活用のためのガイドもかねて、コレクションのおおまかな構成を示す。
2.コレクションの構成
2.1 石器製作技術と製作具
先史時代において打製石器製作に用いられた技術、道具は多岐にわたっていたことが知られている(Plate 9: 1)。大沼コレクションはその代表的なレパートリーを網羅する。
(1) 直接打撃
ハンマー
直接打撃(direct percussion)とは、原石をハンマーによって直接、打ち割る技術である。先史時代には石、金属、鹿角、木材等のハンマーが使用された。コレクションに含まれる石製ハンマーの材質は安山岩(Plate 3: 1)、硬質砂岩(Plate 3: 2)、砂岩(Plate 3: 3)などである。大形は粗割り用(Plates 9: 2; 11: 1)、小形はより細かい作業用に用いられた(Plate 14: 1)。金属ハンマーは銅製である。それらは柄に装着して押圧剥離(後述)にも用いられた(Plate 8: 2)。
有機質ハンマーには鹿角製と木製とが含まれる。いずれも原材から適度の大きさに切り出して用いられた。鹿角の多くはニホンジカであるが(Plate 8: 1)、一部は海外産のものもある(シフゾウ; Plates 3: 4; 10: 2)。木製ハンマーは多種におよぶ。カマツカ、アカガシ、シラカシ、ピラカンサスなどの堅い木材が目立つ(Plates 3: 5; 4: 1, 2; 5: 1; 10: 1)。
こうしたハンマーの違いは、製作された石器の性状に大きな差異をもたらす。そのため、先史時代諸遺跡でどのようなハンマーがどんな種類の石器製作に利用されていたかは、考古学上の重要な研究テーマとなっている。ただし、有機質のハンマーは遺跡にほとんど遺存しないため、使用ハンマーの種類を推定するには打ち割られた側の剥片、石核の技術形態的特徴を調べねばならない。
先史時代のハンマーは、一般にハードハンマー(hard hammer)とソフトハンマー(soft hammer)に大別される。前者には石製、金属製、後者には有機質製が該当する。しかしながら、各種ハンマーの効能は有機質製であるかどうかよりも、打ち割られる原石との相対的な硬度差に左右されることが多い。たとえば、石製ハンマーであっても硬度の低い砂岩や石灰岩は、鹿角製ハンマーと同等の剥離効果をもたらすことが経験的に知られている。したがって、有機質ハンマーが過去に使用されたかどうかを判断するには、軟石ハンマーの使用可能性をも想定した実験によってハンマー硬度と製品形状との対応を事前に調べておく必要がある。大沼コレクションに比較的ハンマーが豊富にそろっているのは、かつて、博士がこの点を調べる研究を実施したことがあったからである(鈴木ほか2002)。その際に製作された各種のハンマー試験片を、共同研究に参加していた筆者(西秋)が保管していたため、今回の目録作成にあたって、それらも本コレクションに加えている(KO22.2など)。
割れ円錐
打製石器の材料となる原石はガラス質石材であることが多い。これを直接打撃で打ち割ると、割れ口にいわゆる割れ円錐(Hertzian cone)が生じる。この繰り返し、組み合わせによって打製石器が製作されていくわけだが、なかなか初学者には仕組みがわかりにくい。これを説明すべく教材用に製作された割れ円錐標本が本コレクションには含まれている(Plate 51: 1, 2)。
(2) 間接打撃
この技術は、石製、有機質製あるいは金属製の「タガネ」を原石に押し当て、それをハンマーで敲いて剥片剥離をおこなうものである(indirect percussion)。前もって打ち割り点を定めてから打撃するため、ハンマーを直接振り下ろす場合と比べて正確な剥離をおこすことができる。
「タガネ」は考古学では通常、パンチ(punch)と呼ぶ。大沼博士が鹿角製パンチを用いて間接打撃を行っていた写真が残されている(Plate 11: 2)。また、それによって製作された作品も本コレクションに豊富に含まれている(Plate 40: 1, 2)。ただし、パンチそのものは今回の寄贈資料には含まれていない。
(3) 押圧剥離撃
上記は打撃による剥離であるが、押圧によっても剥離は生じる。押圧剥離は各種の器具を押し当てて圧力によって石材の割れをおこす技術である(pressure flaking/pressure debitage)。これには大別して二つの方式がある。一つは、押圧によって素材そのものを加工して石器を製作する整形押圧(blank pressuring)、第二は石材から押圧によって石器素材用の石刃や剥片を取得するための石核押圧である(core pressuring)。旧石器考古学においては前者の出現が早く、アフリカの約10万年前の中期石器時代など複数地域で早くから用いられたと考えられている。一方、後者の石核押圧は2万数千年前の東北アジアで出現したという理解が一般的である(西秋2001a; Nishiaki 2021)。整形押圧においては圧力で剥がされた剥片は石屑として扱われるが、石核押圧で剥がされる剥片は将来使用すべき素材であるから厳密な形態コントロールが求められる。すなわち石核押圧の方がはるかに難易度が高いことを考慮すれば、出現経緯が違うことも首肯できるであろう。
大沼博士の実験には、これらの押圧技術を実地に研究するための標本が多々、含まれている。
素材押圧
素材押圧の作品として日本で最もよく知られているのは石鏃や尖頭器であろう(Plate 49)。素材両面が丁寧に押圧剥離されている。ミュージアムにおける石器製作教室で子どもたちに教示されるなど比較的容易な技術ではあるが、石材によっては事情が異なり、工夫と熟練が必要である。
その工夫の一つが原石を事前に熱して剥離を起こりやすくする加熱処理(heat treatment)である。この技術は黒曜石のように剥離が容易な石材に適用されることは稀であったが、その他の石材にはしばしば用いられたと推定されている。ただし、石器資料から加熱処理の痕跡を読み取るのは容易ではない。そのため、この技術が用いられていたことを実物石器の剥離面観察によって認定するための方法開発が必要となる。そのような研究を大沼博士は実施している(大沼1998)。頁岩等をオーブンで熱して剥離性状の変化、剥離面の表面変化などを調べた研究である。本コレクションに含まれる一連の試験資料は、当該研究の成果検証のために必須の資料体である(Plate 50)。加熱処理を適用した剥離においては石核押圧についても実施されているから、その分析資料も本コレクションを彩っている(Plates 47: 1, 2; 50)。
石核押圧
石核押圧にはさまざまな方式があったことが推測されている。近年のJ. ぺルグラン(Pelegrin 2012)の整理によれば、掌で石核を支えて簡単な押圧を加える方式(モード1)から、押圧具に柄を装着して胸(モード2)や腹(モード3)で押す方式、立ち上がって長柄の器具で押圧する方式(モード4)、そして、石核と押圧具に加えて梃子(テコ)を組み合わせて剥離する方式(モード5)などが利用されたのではないかと推察している。
大沼博士の実験資料には、これらの再現に用いられた押圧具が多々、含まれている。モード1用の小形押圧具(Plates 6: 1; 11: 3; 12: 1, 2)からモード2〜4用の長形押圧具(Plates 5: 2; 13: 1, 2)、そして、モード5用の梃子式押圧具(Plate 7: 2)などである。この技術の遂行には押圧具だけでなく、石核を固定する器具も必要である。この点は直接打撃や間接打撃とは事情が違う。大沼コレクションの固定具には掌に敷く革パッド(Plate 6: 2)や骨製(Plate 6: 3)、木製(Plate 6: 4)といった簡便な器具も含まれている。一方、梃子式押圧剥離(モード5)の使用器具は大がかりである(Plates 1; 7: 1; 14: 2; 15: 1, 2)。人力では不可能なほどの強い圧力を梃子によって生じさせ、長大な石刃を剥離するためである。梃子式押圧剥離はコロナ禍前まで総合研究博物館の裏庭で継続されていた研究課題であって、筆者らの個別記録も残る。
さて、こうした押圧具はほとんどが有機質素材で製作されたため、遺跡では通常、発見されない。したがって、どんな押圧剥離が過去に実施されていたかを知るには、作品や、その製作の過程で生じた副産物たる石片を分析して推し量るしかない。
そもそも、打撃で製作された剥片と押圧によるそれを、作品のみから区別できるものかどうか。押圧剥離による素材は両側縁や稜が平行して走ること、側面観が薄くて均質であることなど定性的な特徴で判断されているのが現状であるが、その判断は観察者による経験にしたがっている。そこで、それら定性的判断を形態学的観点から定量化すべく大沼博士がおこなった実験的研究の標本が本コレクションには含まれている(Plates 41: 1, 2; 42: 1, 2)。作品の打撃面の形状と胴部の形状とのサイズ比が手がかりになるという提案がうまれた研究である(Ohnuma 1993)。その試験標本群は、この指標の妥当性を検証するのに欠かせない資料である。
2.2 復元製作された石器標本
先史時代においては、以上のような各種技術、道具を使用して、多様な打製石器群が産出されたと考えられている。大沼コレクションに含まれる石器作品の主なものを紹介する。
(1) 前期旧石器時代
人類が作り出した最古の石器はアフリカ大陸で見つかっている。その起源は330万年前にもさかのぼるという意見もあるが、確実なのは約260万年前頃以降に普及した石器群であり、オルドワン(文化)と呼ばれている。特徴的な石器は石核、剥片、礫器などであり、先述のような単純な直接打撃などで製作されたものである。
より複雑な手順を踏むようになった約160万年前以降のアシューリアンについて、大沼コレクションは複数の復元標本を含んでいる。大別すれば、アシューリアンの前半に特徴的であったハードハンマーによる打撃のみで製作されたハンドアックス(Plates 17: 1; 20: 1)、後半で顕著になったハードハンマーとソフトハンマーの組み合わせで製作されたハンドアックス(Plates 16; 19: 1)の二者である。後者は前者と比べて、平面断面とも、はるかに対称的であり、かつ薄手である。
これらのハンドアックス作品について特記すべきは、実験にあたって製作までに要した剥離回数や産出された石屑の剥離順序、サイズ、重量など細かなデータがそろうものが含まれている点にある。一部を分析した筆者(西秋2001a)によれば、大沼博士のハンドアックス製作技術が、その師匠であったM.ニューカマー博士の作品の特徴(Newcomer 1971)と瓜二つの傾向を示すことがわかった。これが、単純な技術故のそら似なのか、師匠から弟子への技術伝承の結果であるのかの検証は、きわめて興味深い研究テーマとなろう。
(2) 中期旧石器時代
西ユーラシアでは約25万年前頃、中期旧石器時代(Middle Palaeolithic)が始まる。ネアンデルタール人が主役となった時代である。この時代においても、石製ハンマーを用いた直接打撃による石器製作が主流であった。ただし、この頃、解剖学的な現生人類が誕生したアフリカ大陸では別個の石器文化が展開しており、その時代は中期石器時代(Middle Stone Age)とよばれる。その頃、素材押圧技術の利用が始まったのではないかという見解があることについては先述したとおりである。
ユーラシア、特に西アジア中期旧石器時代は大沼博士の博士論文のテーマでもあったから、多くの復元石器標本が残されている。特にネアンデルタール人が盛んに用いたルヴァロワ技術に関する作品が目立つ。それらには、先のハンドアックス同様、剥離順序や過程で生じた調整剥片がナンバリングされている標本セットが多数ふくまれる(Plates 21–25)。また、博士が特に関心を寄せた西アジア中期旧石器時代に特徴的であったルヴァロワ尖頭器の製作資料も貴重である(Plates 2; 26)。
その他、特記すべきは、次のテーマにかかわる標本群である。
ルヴァロワ技術の起源
この技術は石核の両面を十分に事前整形して、最終的に剥がされる目的剥片の形状を剥離前に定めるという特徴を持つ。この技術の起源は複数地域にあったと思われるが、その流行圏がハンドアックス文化分布圏と重なることから、前期旧石器時代のハンドアックス製作伝統にルーツがあったと見る向きは多い。
大沼コレクションには、ハンドアックス製作時にルヴァロワ的剥片が生じることを示す標本が複数、残されている(Plates 17: 2; 18: 1, 2)。ルヴァロワ起源についての大沼博士の解釈を示すものなのだろう。
ルヴァロワ技術と円盤形石核技術
中期旧石器時代を特徴付ける石核剥離技術はルヴァロワ技術(Levallois technology)だけではなく、もう一つ、円盤形石核技術(discoidal core technology)が知られている。後者は、石核作業面を原石の周囲から剥離して目的剥片を得るものであるが、その作業自体はルヴァロワ技術の求心的方向剥離作業にも共通するから、これら二大中期旧石器時代技術の異同については長く議論されてきた。この時代の技術研究の大家、F. ボルド(Bordes 1961)は、円盤形石核技術は剥がされる剥片も小さいから原石が十分にない遺跡、地域で好まれたのではないかとかつて述べた。これに対し、現在では両者は石核剥離コンセプトを異にする技術との了解が一般的である(Böeda 1995, 2014)。すなわち、ルヴァロワ石核技術は目的剥片を取るための作業面と打撃面を明瞭に区分しているのに対し、円盤形石核技術では目的剥片作業面と打撃面が容易に入れ替わると言う違いが指摘されている。
大沼博士がこの両者の違いを実験的石器研究の観点から調べようとされた頃には(大沼1994)、そうした認識は国際的に一般的ではなかった。果たして熟達の石器製作者であった考古学者がルヴァロワと円盤形、この二つの石核剥離技術を当時どうとらえていたのかはきわめて興味深い。本コレクションはその点検を可能にするはずである(Plates 30: 1, 2; 31: 1, 2)。
ルヴァロワ技術の学習にかかわる研究資料
さて、本コレクションの白眉とも言えるのは、ルヴァロワ技術が言語を用いて伝達されたのかどうかを調べた実験研究の関連標本であろう。典型的ルヴァロワ技術(preferential Levallois)においては、原石を数十回あるいはそれ以上、敲いて整形調整し、最後に一撃で望みの形態を備えた平たい剥片が剥がされる。先を読んだ剥離手順が必要であることから、その技術を後進に伝達するには論理的な洞察、文法言語が必要だったのではないかという推定が長らくなされていた。しかしながら、その検証はなされていなかったことを受け、石器製作に不案内な学生被験者を二群にわけて実験がおこなわれた。すなわち、一方には、言語を用いてルヴァロワ技術を教示し、他方には無言でジェスチャーのみで教示。そして、被験者が作成したルヴァロワ作品の練度を比較した研究である。その結果、予想に反して言語教示はほとんど関係なかったという結果が得られた(Ohnuma et al. 1989)。
ヒトを被験者とした試験には、様々な統制や制限が必要なため、この比較的ルーズな実験の結果をもってすぐネアンデルタール人が保有した言語能力の解釈にはつながらない。そもそも、現代の被験者がネアンデルタール人と同じ認知能力を持っている保証もない。しかしながら、この論文は長く引用され続けている先駆的研究である。今後、この問題をさらに議論する際には、例えば追試する際には、今回の寄贈標本が格好の参照点となりえよう(Plates 28: 2; 29: 1, 2)。
F. Bordesの石器型式キット
もう一つ言及すべき一群は、西ユーラシア前中期旧石器時代遺跡で頻繁にみつかる石器型式を63種に定義したボルド(Bordes 1961)のタイプリストにしたがって作られた復元石器標本群である(Plates 32–34)。大沼博士が講義等のために作成した教育用キットである。ボルドのタイプリストは、当初は、遺跡ごとの出土石器をそのリストにしたがって分類し、その相対的出現頻度でもって石器群を特徴付けようと企図されたものであった。現在では、そのような比較の妥当性そのものが疑問視されており、リストの相対頻度がそのまま比較されることは稀であるが、ボルドの「タイプ」そのものは研究者間の共通言語として定着している。したがって、研究者はそれを学んでおかねばならない。その学習に格好な教材が得られたことになる。
(3) 後期旧石器時代
この時代には旧大陸の大半がホモ・サピエンスだけの世界となった。前時代と比して、石器群において特徴的なのは石刃石器の流行である。石刃とは長さが幅の2倍以上ある定型的石器素材であって、これを二次加工によって整形し、彫器、背付き石器、掻器など中期旧石器時代では稀であった石器型式が多く作られた。多くは、柄に装着して用いられたと考えられている。
後期旧石器時代前半
石器素材となる石刃の製作技術の主体は前代と同じく打撃であった。大沼博士の博士論文では、西アジアにおいては、徐々にソフト(ソフター)ハンマーによる剥離が一般化していったと言う(Ohnuma 1986)。西アジアにおいては、中期旧石器時代に既に石刃製作は一般的であった。それを代表するのはハードハンマーを利用した、いわゆるタブンD型石刃インダストリーである。その復元製作資料が本コレクションに含まれていることは、後代との比較においてたいへん参考になる(Plate 27)。また、西アジアの後期旧石器時代初頭に特徴的であった「シャンフラン石器」という地域的石器の復元標本もみられるのは、西アジアをフィールドとした大沼博士らしい(Plate 34: 8)。
これらの他、単設打面石核を用いて石製ハンマー(Plates 35: 1, 2; 36: 1, 2)、軟石ハンマー(Plate 38: 2)、鹿角ハンマー(Plate 39: 1, 2)、間接打撃(Plate 40: 1, 2)など異なるハンマーを用いた石刃生産実験の作品も、後期旧石器時代前半期の技術復元に資するだろう。
後期旧石器時代後半
この時代の後半、2万数千年前以降、石器が小形化する現象が中緯度以北のユーラシア各地で認められている。幅が1.2cm、長さが5cmに満たない石刃が増加する現象である。西アジアなどでは、これをもって、「終末期旧石器時代」の開始としているが、日本列島など、それを後期旧石器時代の後半とみなしている地域も多くある。
細石刃は小さいため、柄装着して利用するのが前提であった。そのため、装着しやすいように細石刃を分割、整形する技術が西ユーラシアで開発された。マイクロビュラン技法という。その再現標本が本資料に含まれる(Plate 52: 1)。
この技術は、日本列島を含む北東アジアではほとんど知られていない。その理由は、おそらく、北東アジアでは、その頃、石核の押圧剥離による細石刃製作が始まったからではないかと思われる。定型的形態をもつ細石刃を産出する押圧剥離技術が普及した地域にあっては、マイクロビュラン技法などの細かな二次加工技術は不要だったのではなかろうか。
ではなぜ北東アジアでいち早く石核押圧の技術が開発されたのか。筆者は寒冷気候に由来する独特な原石環境が関わっていたと思う。冬季における地表の凍結は原石の探索を著しく難しくしただろう。加えて、そもそも動植物資源の低密度地域にあって、より広範囲の移動が必要であった先史時代集団にとって携行資材が軽量であるにしくはなし。これらの原石経済は、押圧剥離技術の進展に高い圧をかけたにちがいない(西秋2001b)。
日本列島、特に北海道は石核押圧細石刃生産が最初期に始まった地域の一つである。この地域を代表する細石刃生産技術は湧別式として国際的にも広く知られている。大沼博士は湧別技術(Plates 45; 46)あるいはその他の押圧細石刃生産(Plates 37: 1, 2; 43: 1, 2)の実験作品も多数ものされている。
なお、ヨーロッパの後期旧石器時代後半では、ソリュートレアンを代表として精巧な両面加工尖頭器が作られた。日本列島でも類似した尖頭器がさかんに作られたことがわかっている。本コレクションにも、それらを模した作品が製作途次に生じた石屑とともに残されている(Plate 48: 1, 2)。
(4) 新石器時代以降
新石器時代は世界で初めて西アジアで始まった。約1万1500年前、完新世の開始期以降のことである。当初は、野生種の穀物利用などが生業の中心であったらしいが、約1万年前以降は栽培種を用いた農耕牧畜社会が展開する。同時に家畜飼育も本格化する。農耕牧畜社会では、教科書でも知られているように磨製石斧、磨り石、石皿など磨製の石器が急増した。しかしながら、打製石器も引きつづき重要な道具でありつづけた。
新石器時代以降の特徴的な技術として本コレクションで言及すべきは、梃子式石刃石器資料であろう。長さ30cm、幅3〜4cmにもおよぶ長大な石刃を製作することも可能にする画期的技術である。この技術は、古代文明出現期にあたる紀元前3千年紀の西アジアで実施されていたことは、粘土板文書の記録からもほぼ確実である。問題は、それが、いつどこで始まり、各地に拡がったのかである。研究者によっては前8千年紀のアナトリア起源と言う(Chabot and Pelegrin 2012)。この点、合意を得ないのは有機質素材で製作されたであろう梃子は遺跡から出土しないからである。したがって、石器の特徴から梃子の使用を読み取る必要があるにもかかわらず、その研究が十分には進展していない。そもそも、大形装置や熟練の剥離経験がない研究者には、この技術の復元研究自体が困難なのである。
大沼博士はこれに挑み、実験を重ねている(Plates 1; 7: 1, 2; 38: 1; 44: 1, 2)。押圧具の端部としては鹿角、銅、石など多様な材料が試験されている。これらの解析は、この問題を明らかにするうえで貢献することであろう。
3. おわりに
本コレクションは大沼博士が西アジア先史考古学を専門とする研究者としての関心にしたがって作り出したものである。同時に、教育者でもあったから教材用に作成、収集した標本も含まれている。
筆者は、この資料を整理するうち、かつて刊行した『渡辺仁教授旧蔵資料目録』(西秋2007)の整理作業を思い出した。具体的には、渡辺仁教授がパプア・ニューギニアでおこなった弓矢調査の記録と関連標本の整理経験である。それは1970年代に渡辺教授が現地のあるムラに居住する全員にインタビューして、彼らが作った、あるいは保持する弓矢の由来を調べ、なおかつ関係する弓矢の提供を受けて、その形態や技術に関する記録を残したものであった。弓矢標本は総合研究博物館でこれまで幾度となく活用されている。
その何が印象的だったかと言えば、製作者と人工物(弓矢)をヒモづけることが何と後者の理解を深めるかという点である。太古の人工物標本しか相手にできない現代の考古学者には、個々の遺物の製作者や所有者の事情など聞く術もない。また、彼らがどのように道具を製作したのか、また使用したのかを尋ねることもできない。したがって、残された遺物(標本)を様々な角度から読み解く努力を続けている。その営みにおいて、決定的に重要なのは、どんな行動をおこせばどんな標本が残されるかの対応関係を理解することである。今日、有力とされている方法論には、他者が日常どおりに行動した結果と残された痕跡の対応を調べる民族考古学、研究者が目的的に行動を起こして得られた結果を調べる実験考古学とがある。渡辺コレクションは前者、大沼コレクションは後者にあたる。
ふつうに遺跡を発掘し出土した標本を分析している考古学者には、実のところ、民族考古学や実験考古学の情報と密に接する機会はほとんどない。しかし、ひとたび接してみれば、その情報の有益なこと甚大であることを、図らずも二つのコレクション整理をとおして強力に実感している次第である。
民族考古学標本は渡辺コレクションがあるとして、実験考古学については総合研究博物館が収蔵する考古学資料の中でも大沼コレクションが初めてのものであろう。また、同時代の先達たる大沼博士自身を他者として眺めて後進がその研究を論じる行為がなされるならば、それは民族考古学にも通じる。極めて稀な機会が得られたのであって、本コレクションが多様な観点から活用されることを期待したい。
引用文献
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鈴木美保・五十嵐彰・大沼克彦・門脇誠二・国武貞克・砂田佳弘・西秋良宏・御堂島正・山田哲・吉田政行(2002)「石器製作におけるハンマー素材の推定:実験的研究と考古資料への適用」『第四紀研究』41(6): 471– 484.
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西秋良宏(2002)「細石刃生産用押圧剥離の発生とその背景」『内蒙古細石器文化の研究』大貫静夫編: 169–177、平成10年度〜平成13年度科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書.
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