はじめに

中谷治宇二郎(1902–1936)は、昭和初期に活躍した考古学者の一人である。一般の方々には、雪の結晶の研究で著名な中谷宇吉郎(1900–1962)北海道大学元教授の実弟だと書くと伝わりやすいかも知れない。治宇二郎は東京帝国大学理学部人類学科選科に学び、後にフランス(パリ)に私費留学。病に倒れ早世したため彼の研究生活は実質10年ほどしかない。しかし、その間、長らく古物主義から抜け出せていなかった日本考古学の近代化をはかるべく、志高く縄文時代の土器研究に取り組み、種々の功績をなしたことで学史に名をとどめている。

治宇二郎が東京大学に残した標本としては、フランス留学中に収集した旧石器時代コレクションがある。それらは生前に東京帝国大学の収蔵品となっていた。それから70年ほども経て、1998年、長女、法安桂子氏がご自宅であずかっておられた治宇二郎の研究ノート、カード類、写真などのいわゆるアーカイブ資料が、総合研究博物館に寄託された。以後、展覧会や教育研究に活用させていただいてきたが、2019年になって法安氏から寄贈手続きがとられ、それらは総合研究博物館の正式な収蔵標本となった。

この寄贈受入を機に整理作業が本格的に進展し、今般、標本資料目録として刊行するはこびとなった次第である。

コレクションの白眉は治宇二郎自身による縄文遺物のスケッチや当時の出版物の写真などの切り抜きをとどめた遺物カードである。その数、総計約5000点。丁寧にインク清書され出版にも使える作品も少なくないという質の高さに感服することに加え、パソコンがないのはもちろん、コピー機もカメラも自由に使えなかった当時、考古学者がどのように標本情報を分類整理していたのかを語る学史資料として学ぶことが多々ある資料体である。さらには、パリ留学時代の記録には、日本の考古学などほとんど知られていなかった異国にて独力で展開した積極的な発信活動や、一世紀も前の時代における日仏交流を調べうる貴重な学史的手がかりが種々含まれている。

総合研究博物館では、日本に縄文時代という時代があったことを示した明治のお雇い外国人教授、エドワード・モース関連資料の目録など、日本における科学的考古学黎明期の標本資料を複数、公表してきた。今回の中谷治宇二郎資料も、それらへの重要な付加として、日本考古学史研究に活用されることを大いに期待したい。

貴重な資料群を寄贈くださった法安桂子氏、寄贈手続きをすすめてくださった御子息、法安史郎氏には改めて、篤く御礼申し上げる。とりわけ、御尊父の生涯を自ら調べ上げ、関連資料を守り、いくつもの著作をものされてきた桂子氏の長期にわたるご尽力には深い敬意を表するよりない。また、鬼籍に入られた今井富士雄(1909–2004)元成城大学教授にも心より御礼申しあげる。治宇二郎とは学生時代から親交があり、彼のパリ留学時代は日本での留守番役だったと自称されていた今井先生からは実に多くのご教示、激励を頂戴した。筆者の中谷治宇二郎への関心もそこから導かれた。

末筆ながら、掲載図版の一部(Plates 1、4、12.1)は本学東洋文化研究所野久保雅嗣氏の撮影によるものであること、編集の最終段階において三國博子氏の助力を得たこと、本書の刊行は総合研究博物館プロジェクト経費(2021–2022年度)の成果の一部であることも申し述べて謝辞としたい。


 東京大学総合研究博物館
西秋良宏

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