中谷治宇二郎コレクションの整理

西秋良宏・小川やよい・仲田大人


本書は2019年に総合研究博物館に寄贈された中谷治宇二郎関連資料の目録である。寄贈にいたるまでに複数の学外研究者が整理に取り組んでおられたため、資料には独自の整理痕跡をもつもの、すなわち、台紙に貼り付けられていたり、分類群ごとに封筒にまとめられていたりしていたものなどが少なくなかった。今回は、それらを解体せず、受入時の状態をも学史の一部として可能なかぎり保存するという方針で整理を実施した。


記載項目

資料目録(Material List)にある記載項目について以下、説明する。


(1)登録番号

資料群は大きく三つに分かたれる。第一は、横長のカード(14×18cm)である。一定サイズの木製ボックスに収められていた(Plate 4.1)。カードには遺物の実測図、スケッチのほか、刊行物から切り貼りした図面、写真などが記録されている。それらは遺物カードと呼ぶことにした。

第二は、カードのように規格的ではないサイズの一群である。手書きメモや原稿、絵葉書、領収書、ガラス乾板写真など雑多な資料がこれを構成する。ただし、それらには上述の遺物カードも若干、含まれる。過去にA4サイズの台紙に貼り付けられていたり、展覧会に出品したりしたなどの理由でボックスから取り出され別置されていたからである。

第三は、文献カード(9×14cm)である。第一群よりは小形のボックス9個におさめられていた(Plate 4.2)。文献カードと呼んではいるが、中には、遺物の縮小スケッチを貼り付けたものも混在している。

総合研究博物館での登録にあたっては、NJ19の統一記号を頭に付し、第一群には1番から通し番号を与え、第二、三群にはグループごと(封筒やボックスなどの収納単位)に10001番から通し番号をふった。遺物カードは第一、第二群にまたがっているため、登録番号の桁数が大きく異なるものが生じることになるが、データベースにおいては品名で検索すれば問題なく同定できる。


(2)品名

資料には便宜上、次のような品名を与えた。

・遺物カード:上述の遺物カード。

・文献カード:上述の文献カード。

・原稿:治宇二郎が出版に向けて書いた手書き原稿である。代表作、『日本先史学序史』の草稿や稿本も含まれる。

・図面:手書きの図面類。遺物カードとは別に、自由書式で描かれたものである。遺物だけでなく、地図や図解も含まれる。

・拓本:縄文土器など国内標本のほか、フランス考古遺物の拓本をも含む。

・絵葉書:写真が自由に扱えなかった当時、絵葉書の写真も研究者にとっては重要な資源であったにちがいない。それらには独自の品名を与えることとした。

・ガラス乾板:数少ないモノ資料の一つである。被写体の同定は完全ではないが、当時の東京帝国大学人類学教室の蔵品が多いように見受けられた。

・刊行物切り抜き:文献に掲載された写真や図版を切り抜き、利用しやすい形で台紙に貼り付けたりしたなどの一群。

・刊行物:資料に含まれていた書籍、雑誌そのものにこの品名を与えた。治宇二郎自身の著作も含まれる。

・資料:その他のカテゴリーにあたる。数は多くないが、手紙やフランス滞在中の出来事の記録など、興味深いアイテムで構成される。


上記の分類によれば、掲載資料の内訳は以下のとおりである。

遺物カード:          4822件4838点

文献カード:          11件9061点

原稿:             8件28点

図面:             86件151点

拓本:             39件39点

絵葉書:            13件270点

ガラス乾板:          9件137点

刊行物切り抜き(写真・図版): 153件479点

刊行物(書籍・雑誌):     20件20点

資料:             90件446点

総計:             5251件15469点


(3)遺跡・地域

対象資料が関係する遺跡や地域を記した。この作業が容易でなかった理由の一つは、昭和初期に通用していた旧国名が現在の都道府県区分に必ずしも対応していないことである。わかる範囲で現在の都道府県名を書いたが十分ではない。また、縄文資料であることがあきらかな場合は「日本」という区分も用いているが、現在の日本領以外の地域の東アジア地域で得られた標本について言及している可能性もあるため「不明」とした箇所も少なくない。


(4)内容

個々の資料につき精査し、わかる範囲で内容を記載した。「」で記しているのは資料そのものに書かれていた内容の引用である。出版物の切り抜きが貼付された資料も多々ある。治宇二郎直筆分だけでなく、それら貼付出版物からの引用も「」で示した。判読できなかった文字は□で表した。『』で示した番号(原番号とも呼ぶ)とはカードにスタンプで付されていた番号である。寄贈者の法安氏によれば、治宇二郎が出版用の整理番号としたのではないかと言う。


(5)出版歴

当該資料が出版されていることがわかっている主な刊行物を記した。


(6)点数

個々の登録番号にまとめられている資料の総計を記した。


(7)本書図版番号

巻頭図版に掲載されている標本についてPlate番号を記した。


データベース、本文中で引用した文献

板橋区立郷土資料館編(2011)『明治・大正期の人類学・考古学者伝』板橋区立郷土資料館。

江坂輝弥編(1972)『中谷治宇二郎集 日本考古学選集24』築地書館。

大野延太郎(1904)『先史土器図譜』嵩山房。

考古學會(1920-1924)『考古図集』考古學會。

小牧実繁(1926)「日本海沿岸石器時代遺跡の地理學的考察 (上)」『史林』11(1):81–97。

島田貞彦(1925)「有史以前の近江(上)」『歴史と地理』16(5):36–49。

杉山寿栄男(1923)『原始文様集』第1輯、工藝美術研究會。

杉山寿栄男(1924a)『原始文様集』第2輯、工藝美術研究會。

杉山寿栄男(1924b)『原始文様集』第3輯、工藝美術研究會。

杉山寿栄男(1924c)『原始文様集』第4輯、工藝美術研究會。

杉山寿栄男(1924d)『原始文様集』第5輯、工藝美術研究會。

杉山寿栄男(1924e)『原始文様集』第6輯、工藝美術研究會。

杉山寿栄男(1924f)『原始文様集』第7輯、工藝美術研究會。

杉山寿栄男(1924g)『原始文様集』第8輯、工藝美術研究會。

杉山寿栄男(1924h)『原始文様集』第9輯、工藝美術研究會。

杉山寿栄男(1924i)『原始文様集』第10輯、工藝美術研究會。

杉山寿栄男(1924k)『原始文様集』第12輯、工藝美術研究會。

杉山寿栄男編(1928a)『日本原始工藝 本編』工藝美術研究會。

杉山寿栄男編(1928b)『日本原始工藝 図版解説』工藝美術研究會。

東京帝国大学編(1905)『人類学写真集 日本石器時代土偶ノ部』東京帝国大学。

鳥居龍蔵(1910)『南満洲調査報告』秀英社。

鳥居龍蔵(1923)『下伊那郡の先史及原史時代』信濃教育會下伊那部會。

鳥居龍蔵(1924)『諏訪史 第一巻』信濃教育會諏訪部會。

鳥居龍蔵(1925)『有史以前の跡を尋ねて』雄山閣。

鳥居龍蔵(1926)『先史及原史時代の上伊那』信濃教育會上伊那部會。

中谷宇吉郎雪の科学館編(1999)『兄弟展–宇吉郎と治宇二郎』中谷宇吉郎雪の科学館特別展図録、加賀市地域振興事業団。

中谷治宇二郎(1929)『日本石器時代提要』岡書院。

中谷治宇二郎(1943)『校訂 日本石器時代提要』梅原末治校訂、甲鳥書林。

中谷治宇二郎(1948)『校訂 日本石器時代提要』再々版、養徳社。

中谷治宇二郎(1967)『日本縄文文化の研究』昭森社。

中谷治宇二郎(1985)『考古学研究への旅–パリの手記–』六興出版。

中谷治宇二郎(1993)『考古学研究への道–科学的方法を求めて』渓水社。

Nakaya, J. (1930) Stone age sites in Japan and their ages. Formes IV April MCMXX: 9–11.

長谷部言人(1928)「サイパン、ティニアン両島の遺物及び遺跡」『人類学雑誌』43(6):244–274。

早川荘作(1926)『越中石器時代民族遺跡遺物』中田書店。

エドワルド・エス・モールス撰著・矢田部良吉口譯・寺内章明筆記(1880)『大森介墟編』理科會粹第1帙上冊、東京大学法理文学部。

柳田国男(1928)「笑の文學の起源」『中央公論』43(9): 115–132。

横山由清(1876)『尚古図録』横山由清刊。


【中谷治宇二郎参考資料】

中谷治宇二郎についての年譜や業績などは幾度となく取りまとめられている。最も詳細なのは法安(2019)『幻の父を追って』の資料であるが、利用者の便のため最新情報を含めて以下、要点を掲載する。


略年譜

1902(明治35)年 0歳 1月21日、石川県に生まれる。

1922(大正11)年 20歳 東洋大学入学、印度哲学を学ぶ。

1924(大正13)年 22歳 東京帝国大学理学部人類学科選科入学。

1927(昭和2)年 25歳 東京帝国大学理学部人類学科選科修了。

1929(昭和4)年 27歳 東京帝国大学嘱託(1934年まで)。7月、フランス留学に出発。

1930(昭和5)年 29歳 フランス先史学会会員、フランス人類学会会員。

1932(昭和7)年 30歳 5月、フランスから帰国。大分県由布院温泉にて療養生活。

1936(昭和11)年 34歳 3月22日、死去。


主要著作(著書のみ)

1927(昭和2)年 『注口土器ノ分類ト其ノ地理的分布』東京帝国大学理学部人類学教室研究報告 第四編、東京帝国大学編、岡書院。

1928(昭和3)年 『日本石器時代遺物発見地名表 第五版』東京帝国大学編(八幡一郎と共著)、岡書院。

1929(昭和4)年 『日本石器時代提要』岡書院。

1930(昭和5)年 『日本石器時代文献目録』岡書院。

1935(昭和10)年『日本先史学序史』岩波書店。

1943(昭和18)年 『校訂 日本石器時代提要』梅原末治校訂、甲鳥書林。

1944(昭和19)年 『校訂 日本石器時代提要』再版、養徳社。

1948(昭和23)年 『校訂 日本石器時代提要』再々版、養徳社。

1967(昭和42)年 『日本縄文文化の研究』昭森社。

1972(昭和47)年 『中谷治宇二郎集 日本考古学選集24』江坂輝彌編、築地書館。

1985(昭和60)年 『考古学研究への旅–パリの手記–』六興出版。

1986(昭和61)年 『日本石器時代文献目録』復刻版、有明書房。

1993(平成5)年 『考古学研究の道–科学的研究法を求めて–』渓水社。

1999(平成11)年 『日本縄文文化の研究』増補改訂版、渓水社。

2000(平成12)年 『日本先史学序史』第二刷、岩波書店。


主な解説文献

伊藤玄三(1984)「中谷治宇二郎論」『縄文土器の研究 10 縄文時代研究史』:171–178。雄山閣。

今井富士雄(1999)「書簡にあらわれた中谷治宇二郎」『考古学研究への旅—パリの手記』:122–143。六興出版。

江坂輝彌(1972)「学史上における中谷治宇二郎の業績」『中谷治宇二郎集 日本考古学選集 24』江坂輝彌編:2–11。築地書館。

梅原末治(1943)「再刊序言」『校訂日本石器時代提要』中谷治宇二郎著・梅原末治校訂:1–5。甲鳥書房。

大場磐雄(1936)「日本先史学序史—故中谷治宇二郎君に捧ぐ—」『ミネルヴァ』4月號:28–33。

大村 裕(2014)「第11講 山内考古学と周辺の研究者の方法論との相違(2)」『日本先史考古学史講義 考古学者たちの人と学問』:105–120。六一書房。

岡 潔(1967)「中谷治宇二郎君の思い出」『日本縄文文化の研究』:123–141。昭森社。

賀川光夫(1999)「中谷治宇二郎のパリ時代」『考古学研究への旅—パリの手記—』:165–183。六興出版。

神田健三編(2016)『朗読用テキスト 中谷治宇二郎の「独創者の喜び」と『片山津温泉』』:2–31。中谷宇吉郎雪の科学館友の会。

小林達雄(1975)「タイポロジー」『日本の旧石器文化1 総論』麻生優・加藤晋平・藤本強編:48–63。雄山閣。

小林行雄(1933)「先史考古学における様式問題」『考古学』4(8):223–238。

斎藤 忠(1985)『考古学史の人びと』:220–224。第一書房。

鈴木克彦(2007)「第3章 注口土器の研究史」『注口土器の集成研究』:23–36。雄山閣。

杉原由記(2017)『中谷治宇二郎の生涯と彼の学問を支えた人々—フランス留学時代を中心に—』創価大学文学部歴史学メジャー卒業論文。

高村公之(1996)「日本における様式論の創始者 中谷治宇二郎—その生涯と業績―」『古代文化』48 (6):358–372。

中谷宇吉郎(2001)「日本石器時代提要のこと」『中谷宇吉郎集 第八巻』:312–314。岩波書店(初出は『西日本新聞』1955年7月19日)。

西秋良宏(1997)「作品解説」『精神のエクスペディシオン』西秋良宏編:348。東京大学出版会。

西秋良宏(2001)「考古学者中谷治宇二郎の記録」『ウロボロス』13:3–5。

西秋良宏(2001)「縄文とパリ展によせて」『読売新聞夕刊』2001年3月22日。

西脇対名夫(2009)「中谷治宇二郎の反型式学」『考古学の源流』木村剛朗さん追悼論集刊行会編:189–199。

林 謙作(1988)「考古学と科学」『論争・学説 日本の考古学1 総論』桜井清彦・坂詰秀一編:101–143。雄山閣。

樋口敬二(1999)「三人のパリ時代によせて」『考古学研究への旅—パリの手記—』:144–164。 六興出版。

福田友之(2002)「中谷治宇二郎の津軽—昭和三年夏の遺跡調査行—」『海と考古学とロマン』市川金丸先生古希記念論文集:369–382。市川金丸先生の古希を祝う会。

法安桂子(2019)[(2022)改訂版]『幻の父を追って[早世の考古学者 中谷治宇二郎 物語]』AN -Design & Writing。

山内清男(1929)「J. Nakaya: A study of the stone age remains of Japan. Ⅰ. Classification and distribution of vases with spouts.」『史前学雑誌』1(3):90–91。

山本寿々雄(1964)「学史に残る2つの友情—仁科義男氏と故森本六爾、故中谷治宇二郎氏(弥生式土器図集と遺跡分布図作成に寄せる書簡から)―」『富士国立公園博物館研究報告』12:1–10。

八幡一郎(1985)「追想断片」『日本縄文文化の研究』:143–148。昭森社。

Nespoulous, L. (2014) Un préhistorien Japonais à Paris: Nakaya Jiujirō (1929–1932). Études Japonaises (51):99–136.(「パリの中谷治宇二郎 1929~1932」『日仏交流』83:111–120)

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