小堀巌教授旧蔵コレクションについて

1. コレクションの背景

小堀巌教授は1924(大正13)年のお生まれで、東京帝国大学卒業後、東京大学東洋文化研究所、同理学部に奉職し、退官後は三重大学、明治大学、国連大学でも教鞭をとり、さらには数々の地理学団体を主導し後進の育成にも努められた。その略歴、主たる海外調査歴は、別表に整理した。一見して豊富な国際活動が眼をひく。かつ、多くの学術団体において指導的立場でおられたことは、教授のお人柄のたまものであろう。さらに詳しい業績、経歴については、向後紀代美・石山俊(2014)「乾燥地研究のパイオニアー小堀巌」『砂漠誌—人間・動物・植物が水を分かち合う知恵』縄田浩志・篠田謙一編:421-444、国立科学博物館叢書15、東海大学出版部を参照されたい。

国際的な地理学者として活躍なさったご経歴を反映し、小堀教授の収集コレクションのほとんどは国外に由来するものである。ご専門とされた乾燥地の水利用、地下水路にかかわる学術調査、巡検旅行などのため、海外渡航された折々に収集されたものとみられる。教授の海外調査歴は学生時代に参加した旧満州ホロンバイル草原調査に始まるが(1944年)、本格化するのは本学理学部に奉職された第二次大戦後である。海外渡航にあわせてコレクションを分類すると、大きく四つに分かたれる。

第一は、東京大学の研究者が組織した考古学、人類学調査に地理学の専門家として参加なさった際に収集されたものである。1956年に始まったイラク・イラン遺跡調査団(江上波夫団長、考古学)、それに続いて1958年に開始されたアンデス地帯学術調査団(泉靖一団長、文化人類学)、さらには1961年以降続いた西アジア洪積世人類遺跡調査団(鈴木尚団長、形質人類学)がそれにあたる。これらは、1960年に始まったヒマラヤ植物調査団(原寛団長、植物学)とともに、戦後日本で格段の発展をとげた海外学術調査の先鞭をつけただけでなく、現在につながった東京大学が誇る息の長い大型海外学術調査として評価の高いプロジェクトである。その立ち上げの時期に参加し、その記録を学術標本とともに残した小堀教授のコレクションは学史的価値がきわめて高いといいうる。

このうち、西アジア洪積世人類遺跡調査団には以後も主要メンバーとして参加を続け、1974年まで現地調査をともになさった。1967年には副団長もつとめられている。シリア、レバノン、イスラエルなどが主要な調査地であった。これら西アジアの乾燥地は、その後、自らの調査団を率いて活躍なさった地域であるから、それら先行調査団への参加は小堀教授の学術的な関心、方法論の中核を形成した源泉の一つと考えられる。

第二のグループは、教授自身が西アジアにおいて組織された学術調査の際に収集された標本群である。科学研究費補助金を得て実施なさった海外学術調査は、1977年の「旧大陸フォガラオアシス比較調査」に始まる。比較調査はユーラシア・アフリカ各地で広大なスケールで実施されたが、主たるフィールドとなったのは西アジアと北アフリカである。西アジアではシリア、イランを中心に、伝統的な水利用施設である地下水路(カナート)の調査を実施されている。野外調査に直接由来するオリジナルな図面や写真、さらにはシリア沙漠で収集した地理学標本、そこにすむ遊牧民(ベドウィン)の民族資料などがコレクションに残されている。シリアはその後、小堀教授が理事をつとめられた国際乾燥地域農業研究センター(ICARDA)の本拠がおかれた土地でもあり、終生、足繁く通われ、多くの標本類を招来されることとなった。

オアシス比較対象のもう一つの中心がマグレブ地方を中心とした北アフリカであり、そこで収集された資料が第三の一群を形成する。特に豊富なのがアルジェリアのサハラ沙漠オアシスである。ここもシリアと同様、お亡くなりになる直前まで足を運ばれたため、豊富なコレクションが残されている。調査に同行された関係者も多いことから、採集地の推測ができた事例が少なくない。同地になじみのない利用者のために地図を掲げた(図1)。小堀教授のアルジェリアとの交流は40年以上も続き、その軌跡は、アルジェリア国プロコム・インターナショナル社製作ドキュメンタリーフィルム『インベルベルの日本人』にも収録されている(日本アルジェリアセンター、ホームページ)。

そして第四のグループは、その他の調査、国際会議、客員教授、視察等で訪れた世界各地の乾燥地に関する資料である。中国の新疆省、内モンゴルなど先述の調査に比べれば規模の小さい実地調査で得られた資料のほか、新大陸、オーストラリア、さらにはヨーロッパなど直接の野外調査の対象とはされなかった地域に由来する資料も含まれる。

以上、半世紀以上にもおよぶ海外調査歴で収集された標本、写真、図面、ノートなどの数量は膨大である。本書には、そのうち、考古民族学的な資料をおさめた。資料化したのは総計325件、809点となる。岩石、植物など若干の自然地理学的標本もふくまれている。それらは考古民族資料とともに収集されたことが明らかな標本であって、教授があわせて保管していたものである。向後も一括して管理するのが妥当と考えた。

本書に収録しない自然地理的資料、また写真をふくむドキュメント類については、別途、整理公開していく計画である。


2. コレクションの記載

データベースの記載方針につき以下、凡例を述べる。
(1)登録番号(Registration no.):本資料群は全てKB12で始まる。2012年に総合研究博物館に集結し、整理を始めた小堀コレクションであることを示す。以下、件別に通し番号が付され、一件につき複数標本がある場合は枝番号が与えられている。
 なお、巻頭写真にもKB12もしくはKB14から始まる5桁の登録番号が付されているが、それらの詳細は別号にて記載する予定である。
(2)名称(Description):整理者が内容を判断して命名した。民族資料の一部については国立民族学博物館および仏国ケ・ブランリ美術館(Musée du quai Branly)が公開している標本資料データベースの名称にしたがった。
(3)国・地域(Country/ Region):残されたメモ、記録によって確実に判明したもの以外に、整理者の推測により記載したものには「か」とつけた。
(4)サイズ(Length, Width/ Diameter, Thickness/ Height):計測値は1mm単位で表記。1件につき複数個あり且つ大きさが著しく異なるものは最大のものを記録した。
(5)備考(Notes):整理者の所見を記した。注記・ラベル等が付されていた標本については、その内容を鉤括弧内に記し備考欄に照会した。ただし、ラベルには混在がみられたため、標本と採集地の記載が必ずしも一致しない場合がある。また判読できなかった文字は□で表した。また彩文土器片(KB12.302)は次の文献を参照した。
Schmid, S. G. (1997) Nabataean fine ware pottery and the destruction of Petra in the late first and early second century A.D., in G. Bisheh, M. Zaghloul & I. Kehrberg (eds.) Studies in the History and Archaeology of Jordan 6, Amman, Department of Antiquities of Jordan: 413-420.
Schmid, S. G. (2000). Die Feinkeramik der Nabatӓer. Typologie, Chronologie und kulturhistorische Hintergründe, petra. Ez Zantur, 2. Ergebnisse der schweizerisch-liechtensteinischen Ausgrabungen, Mayence, von Zabern.
(6)写真図版(Plates):冒頭にはフィールドワークの際に撮影された写真をいくつか掲げた。写真は教授自身の撮影になるもので、かつ、収集された歴史民族標本ないしその類品の使用状況を伝えるものを選定した。掲載した標本写真のうち、Plate 9-2、10、11-2、12~14、15-2、16-2、17~20、21-1、25-2、28-1、29、30、31-1、32-2、33-1、35-2、38、40、41-1、42~46、47-1、48~53、54-2、55~59、61~63、64-1、65-1、66~70、71-1、72-2、73、74-2、75-1、76~78は上野則宏氏、Plate 9-1、11-1、15-1、16-1、21-2、22~24、25-1、26、27、28-2、31-2、32-1、33-2、34、35-1、36、37、39、41-2、47-2、54-1、64-2、65-2、71-2、72-1、74-1、75-2は野久保雅嗣氏の撮影によるものである。



図1 アルジェリア地図と関連標本が収集された主要地点

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